2014年6月28日土曜日

人間ドック

健康なデブを目指して生きてきたツモリだったが、2年前には心筋梗塞を起こしてしまった。発症数年前から、数値的には適正値(旧基準)範囲内でメタボでも無かった(でも、デブだけど・・・)。心筋梗塞を起こす前までなら定期健康診断は、自分はデブだけど健康だと云う自信の拠り所になっていた。

私の場合、冠状動脈に限らず全身の血管が細いので血栓が詰まり易いそうだ。右冠状動脈なんかは細すぎてステントも入らないそうで、血栓を作らない生活をするしか無いのだそうだ。水分を多めに摂取しエコノミークラス症候群防止に心掛けるしか無い。(弾性ストッキングを奨められたが・・・ストッキングを履くのは日中も就寝時も無理だった)一生涯血栓が出来にくくする薬を飲み続けるそうで、3ヶ月毎の血液検査は欠かせないから、改めて定期健康診断に行く必要も無いカモ知れない。

以前なら、定期健康診断の1週間前位から健康的な生活に努めて少しでも良い結果としようと悪足掻きをしたモノだが、少々不摂生をしても数値的に大きな影響を受けない事は判っているので、イベントとしての定期健康診断が及ぼす健康促進効果は薄れつつあるのカモ知れない。

土曜日の朝一番(受付時間の8時半前から待っていた)で駆け込めば、2〜3オプションを加えても9時過ぎには全行程終了となる。やれやれ・・・





2014年6月27日金曜日

世界初の巨大第3世代炉を中国が稼働準備中

危惧が急拡大、中国に世界初・巨大炉を任せて



過去記事でもエネルギー問題に悩む中国の原発の新設ラッシュの事は書いてきたツモリだ。今後10年間で新設原子炉が60基増える事に成るそうだ。従来、中国では欧米で開発された科学技術が熟成し枯れた技術になった頃に導入していたが、今度は最先端の第3世代新型炉を世界に先駆けて中国が運転開始する事になりそうだ。



フランスのアレバ社の設計に基づいて中国が独自に製造し、後にアレバ社の検査官が審査するのだが管理状況が適正では無いと報告しているそうだ。月面探査船を送り込める中国の科学技術力を不安視しているのではなく、例の高架式高速鉄道脱線事故の際も原因究明が出来ぬまま運転を再開したと云う安全軽視の姿勢に大きな不安を感じてしまう。

我が国だけで中核派や反日活動家に扇動されて反原発活動に励んで原発を止めても、中国で急増する巨大原子炉で万が一にも重大事故が発生すれば我が国の被る被害は福島第一原発事故の比では無いだろう。

そして、更にフランスのアレバ社から安易に技術移転された新型「EPR 欧州加圧水型炉」は中国の国産技術として全世界に輸出されていく事に成るのだが、そのコピー商品にはアレバ社の安全思想は盛り込まれていないだろう。

原子力の火は、人間の力では制御できないほど強大でリスクの大きい科学技術なのカモ知れないが、今レベルの地球には必要悪として、より安全な商用利用に努めるしかない不可欠のエネルギーである・・・と御認識頂くしかない。

唯一の被爆国として福島第一原子力発電所事故を起こした我が国だが、より安全な原子力平和利用の普及に於いて全世界に貢献すべきである。その為には、技術水準を維持向上する為に原子力畑にも肥料や水を与えるしか無いと思うのだ。安全審査をクリアした原子炉の営業運転再開と、旧式炉を順次第3世代炉へのリニューアルを行うべきである・・・と思っている。





2014年6月25日水曜日

『そうだよね』『わかるよ』『辛かったね』

世の女性全部に当てはまる訳では無いのだが・・・、多くの女性が理解されたいと思っているらしい。

草なぎ剛主演ドラマ「独身貴族」では、「女性との上手い会話の方法」なるモノ祖父から教わった知恵を披露していた。
女性は、大抵退屈な話を延々と続ける。
だが、円満な関係を続けるためには、女性の話を聞いてやらねばならない。
その対策として、山手線の駅を東京から順番に思い浮かべ、ターミナル駅に到着するたびに、『なるほど』『確かに』 と、交互に相槌を打つのだ。
東京駅に帰ってくる頃には、話は終わっているよ。
私には、こんなナイスな知恵を授けてくれる祖父はいなかった(別の知恵は授けてくれたカモ知れない)が、幸いに私の周囲には「退屈な話をする女性」に不自由はしなかったので子供の頃から似たテクニックで乗り切る癖が付いていた。

私が愛用していた言葉は『なるほど』『確かに』ではなく『そうだよね』『わかるよ』である。長年同じフレーズを使い続けてきたのだがウケが非常に良いのだ。

何故ウケが良いと判るかだが・・・、私自身真剣に親身に相談にのった時の評価は芳しくないにも関わらず、私自身が聞いているフリをする為に『そうだよね』『わかるよ』と山手線を巡りながら相槌ダケを入れた時は評判が良いのだ。相談して気持ちが楽になった・・・とか、解決策が見つかった・・・とか、判って貰えて嬉しかった・・・とか、である。最強のバージョンでは、東京駅に戻って来る度に『辛かったね』と相槌を打つのだ。

個人的な相談に立ち入りすぎるのも個人情報保護の観点から望ましい事では無いので、話を終えてスッキリとした顔で礼を言われた後には私には何にも保護すべき個人情報が残っていないのは清々しい位だ。相談している女性は、意見を聞きたいのではなく理解されたいだけなのだろう、いや、理解されたと思い込みたいダケなのだろう。


『そうだよね』『わかるよ』『辛かったね』は魔法の言葉ではあるが、付き合いの長い奥方にはバレバレなので使えないのが悩みのタネである。何故なら、ドラマ「独身貴族」の祖父の知恵を愛用している事を見抜かれて、録画したドラマを見せられた訳だから・・・。

世の女性は・・・と思っていたが、これは男性にも使えるワザだと本日気が付いた。世の中の人々は男も女も承認願望に飢えているのカモ知れない?


2014年6月24日火曜日

大人の秘密基地?

これが大人の秘密基地か! ネカフェみたいな個室を作れる家具「KAKUREYA」でぼっち活動捗りそう - ねとらぼ:

自宅でネカフェ気分を味わえる「ぼっちてんと」発売 これで母ちゃんの目も気にならないぞ。俺たちの聖域がここに!ー ねとらぼ:

生まれてこの方ネカフェには行った事が無くネカフェの個室に憧れる気分を上手く共有出来ないでいるが、男の子の端くれ・・・秘密基地に憧れる気持ちは十分に理解出来るツモリでいる。

8000円と80万円・・・約100倍の価格差は何となく肯けるが、暑がりデブの観点から云えば80万円の方は冷房設備を内蔵して欲しいと思ってしまった。機器からの廃熱で冬でも暖房設備は不要だろうが夏場の暑さは許容できる範囲には無い筈だ。(冷房しても、このサイズなら省エネには貢献しそうである)

家庭内別居の必要性が生じたら・・・日曜大工で製作してみようか?

2014年6月23日月曜日

撮影のため許可を得てバスタオルを着用しています

混浴でも男性の目が気にならない! ワコールと岡山県真庭市が湯あみ着共同企画 - Peachy - ライブドアニュース:


数年前に東北の温泉を巡った際には、混浴温泉が多かったので年頃の娘さんをもつ父親として事前調査で混浴風呂は排除していた。その際に、入ってみて最悪混浴なら水着を着て入りなさいと妻子には云っていた。実は、私は不勉強から混浴風呂で水着着用が禁止されている施設が有るとは知らなかった。(勿論、混浴では無い入浴施設で水着を着て湯船に入るのがマナー違反だとは思うが、混浴風呂なら止むを得ないと思っていた。そんな正統派混浴風呂では、男女ともスッポンポンこそが正しいのだろう)

Wiki浴み着(湯着)に書かれている通り、『一般的に湯着はバスタオルに比べ衛生的に優れているといわれるが、素材や使用頻度・管理状態など違いがあるので、一概にそうともいえない』だと思う。勿論、水着だって同じだろう。衛生的に気を付けている場合ならバスタオルでも水着でも湯浴み着でも、裸と比べて劣っているとは思えない。

水着否定・湯浴み着支持派の理論武装の根拠は、掛け湯の容易性の問題なのだろうと思う。

しかし、掛け湯とは湯船の温度に身体を慣らす健康配慮行為であり、衛生上で有効な身体の汚れを落とす為の行為では断じてない。他者に対する衛生上の配慮ならば、石鹸等で身体を洗った後に湯船に入るべきだと思うのだ。掛け湯は他者への配慮を示す非言語コミュニケーションに過ぎない・・・と思う。

因みに、この岡山県真庭市が擁する湯原温泉の混浴露天風呂「砂湯(24時間無料)」のローカルルールでは水着・下着での入浴は禁止で、タオル着用が推奨されている。湯浴み着はタオル等に含まれる・・・のだろう。




・・・ま、どうでも良い事カモ知れないケド・・・


2014年6月17日火曜日

ありのままの自分・・・

大ヒットしているアナ雪の日本語挿入歌の影響で、「ありのままで」が時代のキーワード化している。

何かの影響を受けて「ありのままで無い自分」と云う仮の姿に身を窶している人が、ありのまま(偽りの無い実際の姿)に戻ると云う意味で使われているのだろうか?結局「ありのままの自分」って何なんだろうか?

「ありのままの自分」愛好家の方に聞くと、「自分の気持ちに正直な自分」の意味だと解説して下さった。飾らず自分自身の自然な心の動きのままに任せて穏やかに生きていく方法なのだそうだ。そう聞いたら悪い気はしないのだが・・・例えば「食べたいモノを食べたいと思う自分」「欲しい物を所有したいと思う自分」も「自分の気持ちに正直な自分」ではないのかと聞けば、そうでは無いと即座に否定されてしまった。幸い、他にも人間には106つ煩悩と云うモノが在って身心を乱し悩ませ智慧を妨げる自然な気持ちがあるのだが、その気持ちに正直に生きる事は、人が生きていく上の苦悩だとされている。

つまり、理想とされる「ありのままの自分」は「自分の気持ちに正直な自分」では断じて無く、「自分の欲求に無頓着な自分」の事なのカモ知れない。「ありのままの自分」とは、仏教修行をして行き着くらしい一種の悟りである無我の境地の事なのだろうか?

勿論、自分1人だけの欲求ではなく、他者に認められたいと云う欲求も、社会を維持する為に不可欠な社会的な欲求も有る筈で、一概に総ての欲求から解脱して無我の境地に入ってしまうと社会システムの存続すら危うくなってしまう。

#  論理が破綻していると自分でも気が付いている。

こんな時に便利な日本語があるので、これに頼りたいと思う。それは「ほどほど」だ。

つまり、理想とされる「ありのままの自分」とは「ほどほどの煩悩と上手く共存している自分」「必要以上に欲しがらない自分」と云う意味だろう。

# ふ〜ん、結局「ありのままの自分」って「さとり世代」的な時代のキーワードってオチなのかも・・・。しかし、私は「アナ雪」を観に行きたい欲求と上手く共存出来るだろうか?



2014年6月9日月曜日

ネットは実名性にすべきか?

ネットの匿名性等と云うモノは・・・、現に犯罪捜査が行われた際に明らかな通り、一部の例外を除き我が国のネット上には匿名性は存在しない。一部の例外と云うのは、正しい手順で国外の匿名プロキシ鯖や匿名プロキシネットを経由した通信は追跡が困難な様で在る事だ。

乱暴な表現を用いれば、一般人には容易に模倣できない高度な手続きを経た通信は秘匿され匿名化が実現し得る事から、ネットの実名化を推し進める事は一般人レベルのネット犯罪を減らす効果は期待できても、追跡困難な秘匿方法は歴然と存続し続ける事から高度な手段を講じた通信は犯罪性の如何を問わず匿名性が継続してしまう事に成る。因みに、そう云った国際的なプロキシサイトやプロキシネットは、社会的弾圧から告発者を守る為に秘匿化匿名化が推奨される人々が使用する為に必要だと云う国際間での共通の認識から存続が許容されている。そこへのアクセスに、更に同種のプロキシサイトやプロキシネットを多段的に使用すれば、恐らく我が国の警察では追跡不可能なのだろう。それは外事警察の情報漏洩事件の顛末が証明している。但し、こう云った国際的なプロキシサイトやプロキシネットの使用は我が国の法律では禁止されてはいないので全く合法的な運用なのだ。

一般人レベルで考えれば、匿名性を発揮させる為には、自分自身と紐付けがされていない環境から紐付けのされていない端末で書き込むのが良いのだろうが、ネットカフェ等でも保安上の理由から映像記録が保管される今日、極々限られた環境からしか紐付けから免れた書き込みは出来ない様に成っている。自分と紐付けがされていない他人の端末を無断借用する等の犯罪行為を行わない限り、自分との紐付けが為されない通信を行い秘匿し匿名化する事は出来ないと云う事だ。

「ネットの匿名性が、ネット犯罪を生んでいる」と云う指摘が、ドウ云った方々から問題提起されているのかは私には判らないが、ネット犯罪を無くす為にネットから匿名性を剥奪すべきと云う主張を行うならば、それは新たなネット犯罪を生む温床となると予測する。

何よりもネットの匿名性が担保すべきなのは、個人情報の保護に対して自己防衛が可能となる事だろう。昨今ではEU諸国でのネットの匿名性是非論が紛糾しているのだそうだが、お隣の韓国では2007年にネット上での誹謗中傷を止めさせる為やネット犯罪を撲滅する為に完全実名性(住民番号とISP加入情報を紐付けた)を導入した。その後、最高裁の違憲判決を受けて今日に至るが(大部分の一般人は、そのまま紐付けされた状態で使用している)、そのネットの実名性が国家規模で実施されている時でもネット上の誹謗中傷やネット犯罪は殆ど減らなかったと聞いている。

又、我が国だけでネット実名性を推し進めても、匿名化された通信が国外から越境されてくる事を妨げる事は出来ない。危機感を煽って、社会資本整備を進めたいと云うのが、不景気に突入した我が国日本の霞ヶ関の考え方の様だ。では、ハードウエア的にネット実名化を推し進める手段としてのIPv6化に国家規模で取り組んだら如何だろうか?

ハイウエイカードの偽造問題に端を発して日本式ETCを導入(でも、車両と車載器登録の紐付けが盲点となって今日でも不正事案は後を絶たず)、有料放送事業者契約者向けに選択受信を可能とする目的にICカード式のB-CASカードを導入(以降、何故かDRM方式のコンテンツ保護目的も相乗りしたが、ICカードの暗号鍵は破られていないにも関わらず、特定の受像機器製造メーカー用のバックドアからセキュリティが破られ不正事案が多発し社会問題化)、等々に引き続き・・・本邦のネット上の匿名化を抑制する為に国内情報通信のIPv6化を強力に推進してみては如何だろうか?

IPv6化はネットの実名化には直接的には繋がらないが、マジメな一般人のネット上の挙動や動向をクリアにする効果は期待できると思われる。悪い人に衆目を集める事は出来ないが、IPv6化が実現するユニークアドレスを正しく届け出ているマジメな普通の一般人が陥れられて悪い人だと疑われる事案は再来しない筈だ。満員電車の中で痴漢を働く破廉恥犯を炙り出す事は難しくても、両手を高々と挙げておく事で自分は痴漢は行っていないと衆目に晒す事は可能となる筈だ。

自動化された接続検査を常時行い・・・犯罪者では無いと両手を高々と挙げて身の潔白を証し続けている接続拠点に対して安心なネユーザーだと明かすマル適(高機能認証サーバー)を付与すれば、怪しい人と怪しくない人を世事に疎い一般人でも判別が容易くなる筈だ。

(勿論、前述の技術的問題への不安を何も払拭した訳では無いのだが・・・)


# Googleに任せてしまえば、意外に安上がりで一応の弁別は可能と成るカモ?


# 技術大国日本は、意地でも内製に拘るのだろうけど・・・


さぁ、これで我が国もIPv6化が促進される筈。

2014年6月6日金曜日

読書



我が国SF界の巨星であった小松左京の『虚無回廊』は、三島由紀夫の最後の長編『豊饒の海』や太宰治の『人間失格』と並び称せられる素晴らしい遺作だと思っている。私は別ブログ過去記事でも何度かネタにした・・・

(その3)大きく脱線・・・人工知能萌えな私 2011-11-03 19:59:02 | Innocent joke


この中で、私の最も好きな小松左京作品として同作への憧憬をネタバレとお粗末な解説と云う形で発露したツモリである。小松左京氏自身が、最後の長編小説だと意識して自身の過去作品への繋がりを意図的に盛り込んだ作品だと思っている。


巨星・小松左京氏の未完の大作として、阪神淡路大震災で受けた衝撃からか鬱病を患い平成12年には鬱病からの復活の狼煙として連載誌には未収録だった部分を第3巻として刊行された。だが、平成23年の同氏の死去に依って(未完の)遺作と確定してしまった。その続編が、『パラサイト・イブ』や『BRAIN VALLEY』で知られる瀬名秀明氏に依って、小松左京氏へのオマージュ作品として刊行されていると書評欄で知った。

瀬名秀明さん、小松左京さんへのオマージュ「新生」
YOMIURI ONLINE 本よみうり堂 2014年03月20日 08時00分
「べらぼうに面白く愛読書だった『虚無回廊』の序章で、回収されていない伏線を回収するのが目的でした」なのだそうで、『書かれざる過去と未来を膨らませ、愛の物語に昇華させた』のだそうだ。



尼で買って読んでみたが・・・御本業がSF作家ではない瀬名秀明氏だが、小松作品の筆致を丹念に模倣した見事なオマージュ作品に仕上がっていると思う。小松左京氏が自身の過去作品群を総括した『虚無回廊』を未完としてしまった為に、瀬名秀明氏も同じく小松左京氏の過去作品群へのオマージュとしての連作としたのだろう。私は、彼の手に依る『書かれざる過去と未来』に特段の違和感を感じなかった。最近のオマージュ作品では 映画『009 RE:CYBORG』での未完の大作に対する『書かれざる未来』には少々ガッカリさせられていたのだが、本作は素晴らしい。(但し、良く出来たオマージュ作品なので、小松左京作品群には何ら影響は及ぼさない・・・有っても無くても構わない代物である)小松左京ファンなら、連作の各部分に散りばめられた元作品が何かを考えるだけでも愉しいだろう。(この週末には、本棚を整理して小松左京作品を読み返そうと決心させられた)




故・小松左京氏は虚無回廊シリーズの続編に関する小松左京氏御本人のプロットが存在していて御遺族から提供されるのなら瀬名秀明氏に未完の大作を閉めて頂くのも良いだろうし・・・、このまま未完の大作として放置して頂くのも良いだろう。私自身は別ブログ過去記事に書いた通り『書かれざる未来』を勝手に想像していている。

2000年に第3巻が刊行された時の帯には「虚無回廊、執筆再開!」と謳われていたので、4巻以降の下書きかプロットは存在するのカモ知れないが、これが世に出る可能性は低いだろう。だが、架空の舞台装置である人工天体の謎は兎も角、ヒデオ・エンドウの分身でもあるAEのHE2と、アンジェラ・インゲボルグ(AI)の分身であるアンジェラ・E(AE)との、「ゴルディアスの結び目」でもある人間アンジェラに叶わなかった『生命の可能性』を高める方法の1つとしての「子作り」の営み(人類SF史上初の人工知能同士の有性生殖)が行われることは想像に容易い・・・だろう。(「架空の舞台装置である人工天体の謎は兎も角」と切り捨てたが、故・小松左京氏のSF作品中で舞台装置のSF的解釈が披露される方が少ない。「日本沈没」は数少ない例で、物体Oでは正体は明かされたが謎解きはされない。SF的舞台装置の種明かしはしないSF作家だったのだろう)未完の大作だが、自らの想像力で補完して『生命の可能性』で『永遠と無限』へ羽ばたかせてやりたいモノだ。

故・小松左京氏のHE2は、自然発生した<私>を持つ人工知能ではなく原形である人間・遠藤秀夫の魂の構造を模していると同時に、アンジェラ・インゲボルグを模したアンジェラ・Eの要素が基礎となっていて・・・、遠藤秀夫のコピーであると同時に人間・遠藤と人間・アンジェラの子供でも在るかも知れない。この展開では、HE2はオイディプス王(エディプス)の再来に成りそうだが・・・




娯楽小説を読む事を読書と誇るツモリは無いが、昨今の活字離れの風潮は嘆かわしいと思う。読書の良さとは、想像力の翼を思いっ切り広げられる事だろう。橋田壽賀子ドラマの様に、登場人物が長セリフに載せて自らの心情をゲロゲロ吐き出しているのを観ると吐き気すら覚えてしまう。日本人の信条は察しと思い遣りの筈だったが・・・。

岡山県百名山

死者はあなたを見守っている ― 実地調査でわかった、愛する者の死と、残された者のその後(1/3)|TOCANA:




日本は、こうしたスピリチュアルな事に寛容な国なので、冒初ホットテキストのTOCANAの記事の様な話は、自然な事として語られる事が多い様だ。だが、それが自分自身に起きると、自分自身の統失を疑うのが正常な反応なのだろう。

私の場合は、生前は特に懇意とは言い難い故人が夢に出てきて頼み事をされると云うモノだ。幸いなのが現実世界への侵出ではなく夢の中に登場する程度で、更に私本人が見ている夢の本編に恰もコマーシャルが挟まるが如くに故人が登場する特別シーンが挿入されると云う代物だ。最初の内はビックリして飛び起きたりしていたが、最近は手慣れたモノでCM明けには本編の夢の続きが始まるので起きないで寝ていられる次第。

希薄な気配だけでも、これが現実世界に侵出する様に成れば迷わず病院に行った方が良いのだろうと思うのだが、故人逝去の報を聞いて「ヤッパリ」と口走った御無礼からも判る通り、その日以来夢で同じ頼み事をされている。

その頼みと云うのが奇々怪々で、故人が夢に唐突に現れて、私に『岡山県百名山』の本を手渡して「都合で登れなくなったので、残っている山を登ってみてはくれないか?」と呼び掛けられるモノ。「岡山県百名山」と云う言葉すら知らなかったし、ナニよりも、どの山を登って、どの山に登っていないかを知る由も無い私には頼みを引き受ける事は出来ない。それに、故人が十数年掛けて登破出来なかった事が、私に達成出来るとは思えないし、私自身は趣味としての登山の経験も無い。

覚醒夢が見られる程度には夢の世界では自由が効くツモリの私だが、故人が登場するコマーシャル部分のカットは出来ないし、何時コマーシャルが挿入されるかも予測不能である。恐らく、この2年内で・・・14〜5回は見ている短編の夢である。

この事は私も気になっていて故人の法事の際に御遺族に聞いてみたのだが、御遺族の口からは故人が登山を趣味にされていたと云う証言は得られていないので、完全に私の妄想の産物なのカモ知れない。これが頻繁に続く様なら病院の門を叩くべきだろう。

今朝の夢では、承諾はしなかったモノの差し出された本を確かに手に取った筈なのだが、枕元に「岡山県百名山」の本が置かれてはいなかった。只、この本は既に絶版になっている風なのでAmazonに古本が在る内に買っておかないと永遠に手に入らなくなるカモ知れない。



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