2014年6月17日火曜日

ありのままの自分・・・

大ヒットしているアナ雪の日本語挿入歌の影響で、「ありのままで」が時代のキーワード化している。

何かの影響を受けて「ありのままで無い自分」と云う仮の姿に身を窶している人が、ありのまま(偽りの無い実際の姿)に戻ると云う意味で使われているのだろうか?結局「ありのままの自分」って何なんだろうか?

「ありのままの自分」愛好家の方に聞くと、「自分の気持ちに正直な自分」の意味だと解説して下さった。飾らず自分自身の自然な心の動きのままに任せて穏やかに生きていく方法なのだそうだ。そう聞いたら悪い気はしないのだが・・・例えば「食べたいモノを食べたいと思う自分」「欲しい物を所有したいと思う自分」も「自分の気持ちに正直な自分」ではないのかと聞けば、そうでは無いと即座に否定されてしまった。幸い、他にも人間には106つ煩悩と云うモノが在って身心を乱し悩ませ智慧を妨げる自然な気持ちがあるのだが、その気持ちに正直に生きる事は、人が生きていく上の苦悩だとされている。

つまり、理想とされる「ありのままの自分」は「自分の気持ちに正直な自分」では断じて無く、「自分の欲求に無頓着な自分」の事なのカモ知れない。「ありのままの自分」とは、仏教修行をして行き着くらしい一種の悟りである無我の境地の事なのだろうか?

勿論、自分1人だけの欲求ではなく、他者に認められたいと云う欲求も、社会を維持する為に不可欠な社会的な欲求も有る筈で、一概に総ての欲求から解脱して無我の境地に入ってしまうと社会システムの存続すら危うくなってしまう。

#  論理が破綻していると自分でも気が付いている。

こんな時に便利な日本語があるので、これに頼りたいと思う。それは「ほどほど」だ。

つまり、理想とされる「ありのままの自分」とは「ほどほどの煩悩と上手く共存している自分」「必要以上に欲しがらない自分」と云う意味だろう。

# ふ〜ん、結局「ありのままの自分」って「さとり世代」的な時代のキーワードってオチなのかも・・・。しかし、私は「アナ雪」を観に行きたい欲求と上手く共存出来るだろうか?



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