2014年7月28日月曜日

風評による偽薬効果

「東京は、もはや人が住む場所ではない」東京から岡山に移住した日本人医師の発言が海外で話題に(1/2)|TOCANA:


私は予てから、我が国で最も安全な場所は岡山県の吉備高原都市だと主張してきた。「居住移転の自由」とは、基本的人権の一種であり、日本国憲法第22条第1項で定められている自由権の一つである。だが、他人に根拠の乏しい不安を押し付けて問題提起し逃げ出すのは、医師として公共の福祉に反すると思うのだ。


この過去の別ブログのエントリーで書いてきたが、福島第一原子力発電所事故の影響で
「東京は、もはや人が住む場所ではない」と医師に言われれば、一般人はそうカモ知れないと思ってしまい、偽薬効果で健康被害が発生すると思うのだ。

過去記事で少し説明をしたのだが、バイノミナル効果(低線量域に於ける過剰相対リスク)が知られている。原爆を投下された広島・長崎でも、チェルノブイリ原発事故でも、バイノミナル効果が実際に発生している事は疑う余地が無い。

「どんな微量でも放射線は危険である」と云うマラー仮説(LNT仮説)よりも更に、どんなに微量の低線量被曝でも放射能は断固絶対に危ないと云う主張をされておられる方の根拠と成っている。

過去記事でも何度も書いてきた事だが、42度のお風呂に3分入るのと、100度の熱湯に75秒入るのとリスクが同じでは無い筈で、温水の温度への閾値があると同じように放射線被曝に対しても何らかの閾値が在って呵るべきだ・・・と思っている。何故なら、我々の住まう自然環境には自然放射線があり人間の活動が無くても自然界にもともと存在している。更に、カリウム40炭素14と云った人間の活動とな無縁の放射性同位元素が自然界の食べ物には一定量含まれていて、普通に食べ物を摂取すれば常に体内被曝をしているのだ。人間の活動とは無縁に我々の地球環境には自然放射能が存在し、常時自然放射線に被曝し続けている。「どんな微量でも放射線は危険である」ならば生きていく事自体をリスクとして捉えるしか無いだろう。


「どんな微量でも放射線は危険である」を信奉する放射脳信者達には、低線量被曝に因る放射線ホルミシス効果は、科学的根拠の無いホメオパシーと同列に扱われ、私のブログはホメオパシーの本質を理解していないバカ側のエントリーとされてしまった。私は予てより、その学説のどちらかが正しいと主張するツモリは無いが、それらとバイノミナル効果(低線量域に於ける過剰相対リスク)は作用機序が異なると思っている。


私は予てより、バイノミナル効果はノセボ効果(プラセボ効果と同じ偽薬効果として、望まない有害作用が現われること)だと考えている。「どんな微量でも放射線は危険である」と信じている層には、本当に「どんな微量でも放射線は危険である」可能性が高まった結果がバイノミナル効果なのだ。「病は気から」と云う諺が正しいのか否かを争っても無意味だ。現に、「ストレスが原因」と云う様々なナゾの病気が続々と登場するに至っている。


「どんな微量でも放射線は危険である」と云う放射脳に捕らわれて戦々恐々と見えない放射線に怯えながら生きていくよりも、低線量被曝は健康を害しないと信じて生きていく方が、少しでも健康的に楽に愉しく生きていける可能性が高いのでは無いだろうか?日本人の死因のTOPは悪性新生物(ガン)であり、3人に1人はガンに罹って死ぬのだ。(死因に限らなければ、2人に1人がガンに罹るのだ)



医師と云う肩書きは他の職業よりも健康に関する偽薬効果を生じ易いと知られているのだが、1人でも多くの人々にバイノミナル効果を生じさせたいと願っているので無い限り根拠の無い妄言をバラ撒いて欲しくない。もし福島第一原子力発電所事故が起きなければ、ガンに罹らなかった筈の人々がガンに罹るのは確実だろうが、その原因の大部分がノセボ効果に因るバイノミナル効果(低線量域に於ける過剰相対リスク)だったら、人々は根拠の無い妄言に因って罹患した事になる。(もし万が一「どんな微量でも放射線は危険である」が事実だったとしても、それに応じてノセボ効果に因る低線量域に於ける過剰相対リスクが発生し、更に多くの人々が健康を害し、不幸な繰り言と共に死んでいく事になるのだろう)将来の結果を含めて、どちらかを選択するのなら「低線量被曝は健康を害しない」と信じて生きていく方が良いと思うのだが如何だろうか?





「悲観主義者はすべての好機の中に困難をみつけるが、楽観主義者はすべての困難の中に好機を見いだす」 ウィンストン・チャーチル






2014年7月18日金曜日

女性自身[光文社女性週刊誌]Web版より

医師が教える健康常識「悪夢を見る人はビタミンB6欠乏」(健康) - 女性自身[光文社女性週刊誌]:


表題「医師が教える健康常識」の部分で、既に少し眉唾感があるのだが・・・




ビタミンB6には確かに引用記事のような機能があるのだろう、だが、私の健康常識ではビタミンB6は腸内細菌が合成するので不足しないのだと思っていたが、確かに抗生物質の過剰摂取等や不健康な食生活等で腸内細菌のバランスが狂うと、連鎖の果てにはビタミンB6不足にも至るのだろう。






ここで天然型のビタミンB6製剤をさり気なくお薦めする辺りが眉唾感倍増だ。商業誌とは云え、ここではプロバイオティクスの生きたまま腸まで届く系の乳酸菌や、オリゴ糖などのプレバイオティクス系の商品をさり気なくプッシュしておけば良いのに・・・



しかし、この引用記事の前半【運動した直後にビタミンC、ビタミンEをとると老化が早まる】が事実ならば新常識カモ知れない。ビタミンCやビタミンEは確かに抗酸化物質として知られているが抗酸化物質として人体生体内で最も活躍しているのは痛風の原因物質として知られている悪玉イメージの尿酸である。サプリメントを売ろうとする商業主義が、日本人の好む二元論と云った幼稚な思想に基づいて・・・原理としてのの構図を、恰も「おとぎ話」的な善玉と悪玉として固定化し判りやすくする為に色分けをした結果なのだろう。こうして、子供にも判りやすく二元化した常識を、日本に住まう大衆共通の常識として普遍化を行い、おとぎ話の上に日本人が大好きな権威を重ねれば、新たな知見は常識となり事実となっていくのだろう。



勿論、胃腸とアンチエイジングの第1人者で在らせられる栃木市の江田クリニック院長・江田証先生御自身の知見と云うよりソースとなる学術論文は存在するのだろうが、その読み説きがサプリメントを売ろうとする商業主義に曲げられると、知見も曲がってしまうのだろう。




私の知る新常識では、水溶性ビタミンであるビタミンCは過剰摂取の弊害は無いと云われていたが、酸素欠乏状態である所謂虚血状態の生体内に於いてはビタミンCは周囲の鉄イオンと積極的に反応し活性酸素を作り出してしまう事が立証された。活性酸素を消去する筈の抗酸化作用を期待する善玉のビタミンCが、悪玉になってしまう事から特別な治療目的以外での過剰摂取は「百害あって一利なし」となるのだが、それは十数年掛かって組み上げた現在日本の常識おとぎ話とは反するので対応を苦慮していると云ったトコロだろうか?尚、ビタミンEに関しては、以前から過剰摂取の弊害が知られている通り特別な治療等で必要な場合以外用法用量を超えた摂取は害にしかならないので要注意。






ローマは1日にして成らずの通り、美や健康も安易なサプリメント補給で早成しないと云う事だろうか?

2014年7月17日木曜日

16年間・・・

体内に埋め込んで妊娠をコントロールする無線式「避妊インプラント」、販売へ « WIRED.jp:







望まない妊娠は、恋人同士である場合やセックスを楽しむ関係である場合は、双方で或る程度の避妊措置に傾注する事で防ぐ事が出来るのだろう。だが、中絶処置を受けた約半数は避妊は行っていたとアンケート回答しているのだそうだ。そして、強姦等の場合に避妊具が用いられるケースは非常に稀なのだろう。だから、長期間使い続けられる避妊措置への社会的要求は根強いのだろう。





従来認可されているのは薬剤を入れたインプラントをトロカー(注射器のような挿入具)で皮下に挿入するモノで徐々に放散し3年〜5年効果が持続するのだそうだ。引用記事に有る16年タイプは・・・体外から携帯用装置で作動ON・OFFを切り替えるのか、1日分のホルモン放出を同じく体外から携帯用装置で行うのか・・・判らないが、前者なら女性の去勢処置に等しい。避妊効果は高いだろうし忘れる心配も無いのだろうが、その期間が16年とは・・・正直チョット怖い感じがする。






身体に傷跡が残る卵管結索法はイヤだし、将来子供を授かる可能性を残す為に不可逆ではない避妊法で、且つ、ほぼ永続的に避妊を行いたいと云う向きに開発されたのだろう。デメリットとして・・・、長期間に亘るホルモン様薬剤の母胎への影響云々を医業ならぬ素人の私が申し述べるのは差し控えるとしても、避妊用ピル程度の副作用発症の可能性はゼロではなく体内挿入後の相当時間後に副作用が判明してもインプラントの取り出しが行えなくなったケース(旧来の合成ホルモン剤徐放散型)を聞く。まぁ、スイッチで機能をOFFに出来るなら取り出さなくてもOKと考えれば、16年と云う期間に関わらず女性本人が希望する期間を避妊できると云うメリットは計り知れないのカモ知れない。






その内、避妊用途だけではなく・・・例えばスマートドラッグを入れたインプラントを挿入しておいて、会議の前とか試験勉強の前とか・・・賢くなりたい時に外部装置で作動させる様な時代が来るのかも知れない。私のように賢く無い人は、常時フルブーストでスマートドラッグを注入し続けないといけないのカモ?







#チョット、ナンダカ、バラ色では無い未来像なのカモ?




2014年7月16日水曜日

ファクトリアル

" ! " の読み方は、日本語なら「感嘆符」、英語なら「exclamation イクスクラメーション」と読むのだが、日常生活では「ビックリマーク」と読む場合が多いようだ。尚、この" ! "は数学記号にもなっていて、その場合は「ファクトリアル」と読まれる。


数学記号 " ! " は階乗(非負整数の階乗)を表す記号である。



1 ! = 1

2 ! = 2×1 =  2

3 ! = 3×2×1 =6

4 ! = 4×3×2×1 = 24

5 ! = 5×4×3×2×1 = 120

6 ! = 6×5×4×3×2×1 = 720

7 ! = 7×6×5×4×3×2×1 = 5040

8 ! = 8×6×5×4×3×2×1 = 40320

9 ! = 9×8×6×5×4×3×2×1 = 362880

10 ! = 10×9×8×6×5×4×3×2×1 = 3628800





こうやって " n " の増加に伴って(文字通り)「幾何級数的」に増えていく。





小学生の算数で学んだ「順列・組合せ」で、互いに異なる " n " 個のものから " n " 個全部または " n − 1" 個を選んで「一列」への並べる方法は" n! " 通りであり、互いに異なる " n " 個のものから" n " 個全部を選んで円環状に並べる方法は " (n − 1)! " 通りだった。





「転び文系」の私なので、「スターリングの近似」や「Γ関数」の事は遙か追憶の彼方である。だが、数学の秘める超弩級の予定調和の一端は何となく垣間見る事が出来る。





そこで問題だが、"0 ! " は、何だろう?





小学校算数「順列・組合せ」では " n = 0 "である問題は出て来なかったし、0個のならべ方 を気にした事は無かったのだが、「0と正の整数」と云う非負整数だから小学校算数で考えてもみなかったのは大失態だった。昔から、やってはダメと云われる事をやってみるのが大好きな「子」だったので・・・" 0 " で割り算してはダメと云われて「足し算」や「引き算」や「かけ算」では、然したる禁忌感は無かったのに、その違いに戦慄したモノだ。







「転び文系」的に、文系チックに考えると  " n ! " とは 異なる順列の総数を意味するとすれば、0 個のものを並べる順列は「何も並べない」という1通りが有ると考える訳だ。







納得したような納得できないような・・・判ったような判らなかったような・・・









2014年7月9日水曜日

NewScientist Webより

NewScientist - 2014年7月2日 - 脳の一部である前障に電気刺激を与えることで、「意識のスイッチ」をオフにすることができたと発表:
前障には、バラバラに活動する脳の各エリアの知覚を一つの体験となるようまとめる役割があるとする学説が提唱されてきたが、今回の実験を行ったKoubeissi氏も同様の見解を示している。


この前障こそが、「ある特定の意識的知覚を共同して引き起こすのに十分な、最小の神経メカニズム」としての意識に相関した脳活動の座、受動意識仮説に於けるヒトをヒト足らしめる「心」の座なのカモ知れない。受動意識仮説とはAI研究の第一人者であった前野 隆司(まえの たかし、1962年 - )現・慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授が提唱した概念である。

私も別ブログで何度か受動意識仮説ネタを紹介している(ツモリ)


概ね、これらが受動意識仮説ネタのエントリーだが、「心の哲学」としてヒトの心のメカニズム論として私自身が得心がいく仮説なので、私はこの考え方を信じている。ヒトのリトルピープル(個々の人間の意識の深層にひっそりと存在する仮想人格の「闇」)が口々に叫ぶ様々な考えや閃きを、雑多なエピソード記憶から得た好悪感覚を糸口に編み上げていくと云う「情動」の源として、エピソード記憶の生成に携わり「私」と云う感覚を産み出す「空気さなぎ」的な中枢が前障にあるカモ知れないと云う訳だ。

尚、受動意識仮説については、別ブログのエントリーを繋ぐよりも前野教授御自身の解説ページを御覧頂いた方が話が早いだろう。

「意識」は受動的だろうか?(慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科 前野 隆司)

現代の脳科学の知見での前障が属する大脳基底核回路要素との関連は弱いと判明していて、解剖学的には脳のあらゆる部位からの入力を大脳皮質経由で受け付け、視床経由で大脳皮質に出力を返している。薄くて不規則なシート状の神経構造で島皮質内側面の下に隠れて存在している。

万物の霊長として人を人足らしめ魂を高尚足らしめていた中枢が前障だとすれば、受動意識仮説としての「川の下流にいる私」の正体が判明した事になるのだろう。他の生物には備わっていないとされた人間の魂の最重要な部分である「私」が、たわいもない錯覚だなんて信じたくないかも知れない。だが、この事は釈迦が説いていた自明の理であった。この事で人類の偉大さが損なわれる事は断じて無く、今後は新たな人類の価値が見出されていく新たなパラダイムが始まったのだ。既に我々は経験的に知っていた事・・・「私」と云う部分に率いられた自分が存在するのではなく、小さな自分(無意識)の集合体こそが「私」であると云う事を再確認するに過ぎない。

歴史上の大発見が為されたと思う。

2014年7月8日火曜日

BMI値と死亡リスクの関係

「太りすぎ」よりも「痩せすぎ」のほうが健康に悪いって本当!? - COURRiER Japon(クーリエ・ジャポン) - X BRAND:





女性はやや痩せ気味でも良いのかも知れないが、男性はやや太り気味の方が長生きが出来るらしい。この理由は、皮下脂肪の量が健康維持には重要だと云う事が判る。多分、恐らく、死亡リスクに於いては皮下脂肪は善玉で内臓脂肪は悪玉なんだろうと思う。肥満度が上がれば善玉の皮下脂肪が増えるに従って悪玉の内臓脂肪も増えてしまうので、肥満度が進めば死亡リスクが高まる訳だ。元々女性は、男性より皮下脂肪が多いので、データ補正が必要なのだと思う。だから、最も死亡リスクが低くなるBMI値を以て標準体重とすべきだろう。

このザックリとしたグラフから読み取ると、女性の標準体重は従来のBMI方式で問題無いが、男性の標準BMI値は24になる筈。つまり、BMI値26.2の私は、後12Kg体重を落とすのでは無くたった6Kg落とせば死亡リスクを最低に下げる事が出来る訳だ。

皮下脂肪が死亡リスクを下げている原因は、皮下脂肪が産生する善玉のアディポサイトカイン(生理活性物質)に依るのだろうと云われていて、例えば、アディポネクチンはインスリン感受性の亢進、動脈硬化抑制、抗炎症、心筋肥大抑制等の健康増進効果が知られている。他にも、TNF-αは腫瘍壊死因子として固形がんに対して出血性の壊死を生じさせるサイトカインである。(病理研究から悪玉サイトカインと類別されているモノでも、実は現代の医学では産生される総てのサイトカインの働きが判っている訳では無く、単純に不健康化因子としてだけ働く悪玉物質は少ないのではと云われている。取り敢えず、日本人の死因TOP3を構成していた心疾患とガンと脳血管疾患は、皮下脂肪が産生するサイトカインでリスクが低減する筈。:脚注)




俗に云われる「リンゴ型(内臓脂肪型)肥満」は死亡リスクを上げ、「洋なし型(皮下脂肪型)肥満」は死亡リスクを下げるのだろう。内臓脂肪は普通預金、皮下脂肪は定期預金に例えられていて、引き出し易い内臓脂肪を燃焼させ減らしていき皮下脂肪は減らしすぎない事が健康増進には必要なのだろう。単にBMI値だけで健康管理を行うのなら、旧来の標準BMI値に拘泥せず新たな知見に基づいて死亡リスクが最低になるBMI値を新たな標準体重とすべきだと思う。




だから・・・岡山県健康づくり財団人間ドックに於いてでも男性標準体重はBMI値24に緩和すべきだ。(そうすれば、今の私もギリ肥満から肥満気味に呼称も緩和されるだろうし・・・)




・・・と、偉そうに書いてみたモノの、後6Kg・・・どうやって落とそうか? < 私




脚注:厚生労働省の人口動態統計(2012年の年間推計)によると、死因別の死亡数は、がんが36万1000人でトップ。次いで心疾患(19万6000人)、肺炎(12万3000人)、脳血管疾患(12万1000人)の順であり、肺炎が死因第3位に登場している。生活習慣病対策が効を奏して肺炎が3位に食い込んだのか、高齢化に起因するのか、肺炎球菌ワクチン摂取の遅れと云った感染症予防体制が後れを取った結果なのかは専門家に任せたい。但し、肺炎に因る死亡リスクにもBMI値は関係していて、BMI値が高い方が抵抗力が高く死亡リスクは下がるのだそうだ。当に、デブ万歳である。

2014年7月6日日曜日

社会的アレルゲン

同僚や配偶者のいらつく行為に対処するには - WSJ


狩人の特性を持っていると云われる男性性は、目先の獲物の事だけに集中し続けないと狩りを失敗してしまうから、一説に依ると同時に複数の事を考えるのが苦手だとされていて、基本的に悩み事は1つであると云う幸せな性である。こう書いてしまうと、「私は複数の悩みを持っている」と男性の方に反論されるのだが、私も男性性なので判っているので言い換えると・・・「男性は最上級の悩みは1つで、2番目以下の悩みは複数持っている」ならクレームは付かないだろう。だが、採取営巣を生業とした女性性は、複数の悩み事をそれぞれの重要度に於いて持っているので、最上級の悩みを同時に2つ以上持つ事も可能なのだ。

男性性は単純で、女性性は複雑だと云うツモリはない(ま、実際に男は単純だけど)。男は楽ちんで、女は苦労が多くて大変だと云うツモリも無い(女の経験はないけど、男も女も大変だろうから)。

で、悩み事に潰されるのは弱い男の方が多いだろう。狩人だから、狩りの最中なら怪我も悩みも忘れて狩りだけに集中出来るけど、狩りが済んでしまえば単なる弱い男の子に戻ってしまうのだろう。短期間・短時間なら精神的な痛みも肉体的な痛みも耐える事が出来る男性性だが、長期間や期間の定めが無い痛みにはからっきし弱い。

心身症とは、精神的なストレスや悩みが体の症状として現れる病気の事である。身体的な治療と並行して、心理面の治療やケアが必要だとされている。以前、私は逆流性食道炎(だと思う病を)患っていた。だが、或る事をキッカケにケロッと治ってしまった事から、これは心身症だったと気が付いた次第。その後は、同じ状況に復したにも関わらず、再び症状が現れる事は無かったのだ。(ま、別の形で身体症状が現れたらイヤだけど・・・)

私の場合の社会的アレルゲンとは、実母である。実母と完全分離の筈の二世帯住宅で同居を始めた頃から胃潰瘍が悪化し吐血する位まで悪化した事がある。その後、趣味であるアウトドアに専念して週末は家を空ける事に徹して小康状態に落ち着き、偶に逆流性食道炎で夜中に胃液を吐く位になっていた。その後、母は長姉と一緒に暮らすと引っ越していった翌週から、すっかり胃腸症状は治ってしまった。これで明確に判明した。私は実母アレルギーだったのだ。(犬アレルギーや猫アレルギーと異なり、実母のフケやや抜け毛でアレルギーになる訳では無く実母の言動に因って苛立ちが生まれ、その苛立ちに私の身体症状がノーと表明した訳だ)だが、今度は彼女の長姉と喧嘩したらしく1年半前頃には引っ越して帰ってくる事になって・・・これで胃潰瘍や逆流性食道炎と云った胃腸症状が再発するのではと心配したのだが・・・実母アレルギーだと知った上なので、それなりの対応が効を奏したのか心身症は起きていない。

その課程で私自身が気が付き改めようと思った事柄が、冒初引用URLにはサラッと書いてあるのでネタにしようと思い至った次第。「他人(実母)は、悪意無く私を苛立たせる存在だと認識する」「他人(実母)を変える事は難しいが、自分自身を変えるのは容易い」「自分自身が変われば、他人(実母)は変わらぬままでも受け止め方が変わるので精神的ダメージは大幅に少なくなると知る」・・・だろうか?

これも1つのマザコンの形なのだと思うが、この人を実母と認めたがらなかった幼少期の自分を責める事も出来ない。その物心ついた頃の幼少期の私の心が全力でノーと叫んだ事がいい年放いたオッサンの心にも残っていて、それがいい年放いたオッサンを苦しめていたのだ。無理に愛そうと無駄な努力をしていた頃と違って、実母を嫌いだと思う心を(自分の心の中だけでも)隠さず解放したら、当に憑き物が落ちるように楽になれたのは事実だ。この世に命を賜ったキッカケである実母が嫌いだと思う等とは、天に向かって唾を吐く罰当たりな事だと思うが、隠さず大嫌いだと知った上で社会的生き物としての人間らしく実母に孝行をしなければとは思える。

#尚、余談だが・・・私は今では実母と(家族だから逃げ回る訳にもいかず)普通の親子のように普通に接していているツモリだし、特に彼女から冷たい息子だと指摘された事も無い筈だ。でも、人と人同士には相性と云うモノが存在していて、互いに相性が良いとは思っていないのだろうとは思う。綺麗事で覆い隠すのではなく、ありのままに受け容れる事が必要なのだ・・・と思う。しかし・・・、52歳にもなって天命も知らぬまま、こんな身勝手な事を考えているとは・・・恥ずかしい限りである。







2014年7月5日土曜日

今日で52歳になった訳だが・・・

「中年」は53歳から始まるという調査結果 | ロケットニュース24:


「たったひとつの真実見抜けない、見た目はオッサン、頭脳は子供・・・」である私は自他共に認めるピーターパン(症候群)である。


その意味は「大人という年齢に達しているにもかかわらず精神的に大人にならない男性を指す言葉」なのだが、実態として「成長する事を拒む男性」の意味合いが強いだろう。


いい年ブッ放いたオッサンの癖に、人間的に未熟でナルシズムに走る傾向を持っており、『自己中心的』・『無責任』・『反抗的』・『依存的』・『怒り易い』・『ずる賢い』というまさに子供同等の水準に意識が停滞してしまう大人の男性の事を指す。

ま、実際40代の半ばを過ぎてからも、自分自身が大人であるという自認を得られずに生きてきてしまった・・・或る意味、可哀想な私だが、来年からは私も中年の域に足を踏み入れる事になる様だ。

来年からは休みの度にどこに遊びに行こうかとワクワクしたりせず、休日は囲碁や将棋のTVを観ながら偶に庭で草取りをしながら縁側で渋茶と煎餅を食べる様になるらしい。大人に成るって、どんな感じなのだろうか?(チョットだけ愉しみでもある)

2014年7月2日水曜日

トリシティ125、欲しい

トリシティ125 - バイク スクーター | ヤマハ発動機株式会社:



(私の中では勝手に)次の原2は電動バイクだと決めていた。だけど・・・トリシティ125は価格も仕様も気軽な街のコミューターにはピッタリな気がして触手が動いてしまった。どうせ当たらないだけど、モニターにも応募してみた。モニター応募には、Twitter等のSNSで10回以上ツイートした上で抽選になるらしい。Google+以外のSNSを殆ど使っていない私だが、昨夜1回目のFormからの自動ツイートを発信した次第。(後、9回ツイートする予定なので関係者各位御容赦下さい)



これって、今の心境ではモニターに当たろうが当たるまいが買っちゃいそうな感じだ。奥方様に買っちゃいそうだとカミングアウトしたが「ソレでドコに行くの?」と聞かれて「・・・いや、その、あの・・・通勤とか、買い物とか・・・」と、しどろもどろになってしまった。イオン岡山SC開業に併せて、岡山駅周辺の2輪車駐車環境が整備されれば4輪車ではなくバイクで行ってみたいとは思うのだが・・・例え整備されてもトライクは駐車場所が無いカモ。



トライクだけど前2輪後1輪のトライクなので、新基準での2輪車扱いだからヘルメットの着用が義務付けられている代わりに、側車付3輪では無いので小型自動二輪免許(AT限定)で運転が出来て、更にファミリーバイク特約でフォローされる。



ファミリーバイク特約(が、改悪されない事を切望するが・・・)では、125cc未満の原付1種、2種が複数台有ろうとも一家に一契約でフォロー可能な点だ。(尚、ファミリーバイク特約だけでは、バイク運転中の人身傷害に対応しない保険会社もあるので要調査である)



そう云う訳で、原2が1台増えても良いんじゃない?(誰に言っているのだろう < 私)



ダイハツのCOPENにしろ、ホンダの新BEATにしろ、時代背景に沿った面白そうなダウンサイジング商品が続々登場していていて目が離せない感じである。