2014年8月30日土曜日

正常性バイアス

2014年8月豪雨に因る広島市北部での大規模土石流が発生した。先ずは、広島市北部の土砂災害で被害を被った皆様にお見舞いと、お亡くなりになられた方へお悔やみを申し上げたい。

問題を平易化すべくマスコミは誰かを悪人にして槍玉に挙げたいのだろう。広島市の避難指示発令遅れが悪いと決めてみたり、昭和40年代の造成開発を悪としてみたり、二転三転して、今では異常気象が悪となったらしい。

# 私信や電話で、ずぶの素人である私に昨今の異常気象の原因をお訊ねになる奇特な方が多いので記事にしようと思い立ったのだが、昨今の異常気象の原因ネタは次回の宿題とさせて頂きたい。

で、異常気象は異常気象だとして、昨今頻発する異常気象で人的被害が何故相次ぐのか、今後我々はどうすれば良いのかを考えてみたい。

私の半世紀の人生の中で、ここ最近の15年位の間に「大自然の猛威の前には人間は無力」と思わせる災害が多い様に感じてしまう。私が生まれる前や物心が付く前には日本でも自然災害で多くの犠牲者が出る事態が頻繁に起きていて小学校の社会科でも習った。地震、雷、火事、おやじ(大山嵐)・・・大自然の猛威の前には人間は無力な存在だった筈なのに、15年前からの約30年間の平和と安寧が、恰も人類の英知が自然の猛威に打ち勝ったと錯覚させてしまっていたのカモ知れない。

耐震基準の強化で地震被害から、津波防潮堤の整備で津波被害から、防潮堤の整備で高潮被害から、都市部での動力排水で豪雨時の冠水被害から、土木技術の進歩で土石流や崖崩れから、人間を守り遂せたと勘違いさせてしまったのだ。その実は、想定された範囲内の事象しか発生しなかったので被害が発生しなかったと云う事が、2000年以降に次々と想定を超える自然災害が発生し、馬脚を現してしまった訳だ。

マスコミの論調では、広島市北部の土砂災害の原因は、被害地域一帯の地盤は古くから何度も土石流が発生していて土砂が堆積してできた「扇状地」と云う土砂災害が発生し易い場所に安易に大規模住宅地を造成し、都市計画の段階で次の土石流の発生を想定し一定の排水が出来る流路幅等を確保すると云った砂防等の安全配慮を怠ったとした。

扇状地には家を建てるな・・・と高校地理の時間には教わったが、日本ではこう云った扇状地に住宅地が多く造成されている。そして、その大部分で土石流に備える砂防対策等は、最大でも時間雨量50mm・1時間程度を想定して設計されているのでは無いだろうか?(因みに、地元岡山市は、時間雨量40mm・1時間、48時間の総雨量257mmで設計されている。)


現実に国内各所で、2000年以降時間雨量100mmを超える豪雨が頻繁に観測される様に成ったので、想定を引き上げるべきだと云うコンセンサスに至るに容易いが、新しい想定雨量は何mmにすべきだろう?ゲリラ豪雨の降らない場所は国内に存在しない筈なので、想定すべきは時間雨量100mm・1時間なのか?2倍の時間雨量100mm・2時間なのか?それとも最悪に備えると云う意味で時間雨量200mm・1時間とか時間雨量200mm・2時間なのだろうか?

私は素人なので、時間雨量最大50mm・1時間を前提に設計された都市計画を、時間雨量最大200mm・2時間にバージョンアップするのに必要な費用が如何程なのか判らないが、全国規模で取り組んだとして、そのコストを自治体や国が捻出する為には、莫大な増税と相当の期間が必要となる筈だ。それならば、想定上安全だとされる場所に移り住んだ方が社会資本の無駄が省けると云う考え方もあるだろう。津波対策としての高台移転と同じ考え方だ。

もし津波対策としての高台移転先が、時間雨量50mm・1時間でしか設計されていなければ、津波被害の次に土石流災害を被る為に公費私費を投じて移転したなんて悲惨な事態をも招きかねない事になる。某自治体が取り組んだ同事業では地耐力不足が入植開始と共に保証担保するハウスメーカーの自主調査で判明したと報じられているが、見解の相違の中で自治体判定に於いて基準ギリギリの地耐力しかない造成が行われた都市計画が、以前の考え方ではオーバースペックとされた時間雨量最大100mmなんかで設計されているとは到底思えないのだ。

本来ならば予算の範囲内で少しでも良い普請をしたいと考えるのが、日本の伝統的な有り様だった。だが、西洋的な考え方が入ってきて、オーバースペック(過剰品質)は悪となった。仕様通りの品質を1円でも安く提供する事に血道を挙げる事になる。日本は法治国家である。尚かつ、日本人は正直で真面目だ。敢えて法の定めを破ってまで経費を浮かせて、余分に儲けてやろうとする輩は少数派だろう。その結論として、オーバースペックを廃して、法の定めの範囲ギリギリに耐えうる様に設計する事が求められる事になる。それこそが株主利益の為であり、業者の為にであり、安く提供される顧客自身の為でもあるとする考え方だ。

その結果、行政が想定した時間雨量にギリギリ耐える土木工事が行われたのだろう。その証拠に、2000年頃完工の砂防ダムや治山ダムが設置された地域でも想定上の降雨量だったから下流で人的被害は発生している。昨今の異常気象で、想定雨量が50年に1度規模の時間雨量50mm・1時間では覚束なくなっているのであって、過去30年・70年のスパンの中では50年に1度規模の豪雨被害は無かった訳だから、批判は結果論に過ぎないだろう。民主党の蓮舫国会議員は公開仕分けの席上で200年に1度・100年に1度に備えるのは不経済だと曰った。その後の東日本大震災での津波被害で、整備中や着工前の津波防潮堤が完成していたらと云う幻想から、この考え方は民主党の将来を危うくしたが、決して間違ってはいない。

もしも200年に1度規模の豪雨災害に備えて広島市北部地域が整備されていれば人的被害は出なかったと思うが、500年に1度、1000年に1度規模の豪雨災害が起きれば、やはり人的被害は発生してしまうだろう。高台移転と同じ考え方に立てば、500年に1度・200年に1度・100年に1度の自然災害に耐えられる立地条件の良い場所に移転すべきだとなるカモ知れない。その前に、過大な社会資本整備を行わなければ人的損害が発生する恐れのある立地への建築規制を行うと云う強硬策に出てくる自治体等も今後登場するカモ知れない。

だが、しかし、日本全土の人間が存在している(住んでいるではなく)場所総てを自然災害が起きないように社会資本整備を行う事は不可能だ。50年に1度の自然災害に備える社会資本整備は可能でも、100年に1度・200年に一度レベルの自然災害に備える社会資本整備は対費用効果の面からも非現実的なのだ。

我々国民自身の防災に対する考え方を、防災の為の社会資本整備を行政が行う事を待つ事から、我々自身が命を守る行動を最優先で実行すると云った風にパラダイムシフトすべき時が来ているのだと思う。

昨年2013年の伊豆大島に於ける土石流災害では多くの人命が失われたのだが、地元自治体が避難勧告を出さなかった事が原因とされた。この広島市北部の土砂災害に於いても避難指示の遅れが問題とされた。避難指示が出ていれば、被災地の多くの方々が避難を完了していて多くの人命が救われていた・・・とは言い切れない。

認知バイアスとは、統計学的な誤り、社会的帰属の誤り、記憶の誤りなど人間が犯しやすい問題である。その中で、マスコミが陥っている誤りが「後知恵バイアス」であり、過去の事象を全て予測可能であったかのように認識する錯覚の事だ。その錯覚に基づいて大上段から行政を批判出来るのだろう。

そして、避難すべきだった危険地域の人々が陥ってしまう錯覚が「正常性バイアス」だ。自然災害や火事、事故・事件等といった何らかの被害が予想される状況下にあっても、自分にとって都合の悪い情報を無視したり、「自分は大丈夫」「今回は大丈夫」などと過小評価したりしてしまう人の心の特性の事だ。恒常性バイアスとも呼ぶ。

著者の広瀬弘忠氏は災害・リスク心理学の専門家であり、国や公共機関、地方自治体や企業から依頼され、防災・減災のための研究調査を行っている災害研究の第一人者である。著作によると、「地震や災害に巻き込まれても、多くの人びとはパニックにならない」とあり、「地震や洪水、火災などの災害に突然遭遇したとき、自分の身を守るために素早く行動できる人は、驚くほど少ない。」「現代人は安全に慣れてしまった結果、知らず知らずのうちに危険に対して鈍感になり、予期せぬ事態に対処できなくなっている。」

一般に信じられている「常識」だとされていたパニック神話・・・「非常事態→集団が叫び逃げ惑う→パニック」は間違いだと説いている。安全に慣れた現代の日本人は危険に対して鈍感であり、災害や事故の際にパニックに陥る事は滅多に無く、パニックを恐れて行政側が情報を隠せば一般市民は「正常性バイアス」によって迫っている危険を過小評価し命を守る為の行動を起こさないと警告されている。

この著作は東日本大震災の7年も前に書かれているのだが、その東日本大震災では2万人近くの人々が津波から逃げ遅れたと云うショッキングな事実が報道された。その報道を受けて、私自身も、恐らく、日本中の誰もがが危機が迫ったら迅速に命を守る行動をしようと思った筈だ。だが、その年の台風12号で、私の住まう岡山市南区には笹ヶ瀬川堤防決壊の恐れがあるとの事で避難勧告が発令された。結果、我が家も地下室の排水設備の不備も在って地下室が冠水する被害を受けたのだが、その際にも御近所の床上浸水したお宅でも避難はなさらなかった。避難勧告が発令された流域には17万4000人の方々が住んでいたが、99%の住民が避難はしなかった。避難した僅かな住民も指定されている避難所には行ってみたモノの誰からも対応が無かった事から自宅に戻ったのだそうだ。(尤も、岡山市は流域17万4000人の住民に避難勧告を出したモノの28カ所ある避難所全部の定員は1万人未満なので、本当に17万4000人が避難所に向かっていれば、大変な事になっていた筈だ)幸いにして笹ヶ瀬川の堤防は決壊しなかったが、もし決壊していれば広大な干拓地である流域には海抜0m地域も海抜マイナス地域も存在していて、場合に依っては多くの人命が失われていたカモ知れないのだ。

我々の人間の心は、予期せぬ異常や危険に対してある程度、鈍感に出来ている。日常生活で何か変わったことが起きるたびに、いちいちビクビク反応していたら、心が疲弊してしまうからだ。ある限界までの異常は、正常の範囲内として処理する心のメカニズムが、「正常性バイアス」なのである。しかし、心を守るための機能が非常事態の際、「まだ大丈夫」と危険を過小評価し、避難するタイミングを奪ってしまうことがあるというのだ。

現に、その後も避難勧告や避難指示が出ているにも関わらず避難せず被災なさった方々の例も、避難勧告や避難指示が後れた為に避難がされる被災なさった方々の例も、枚挙に暇がない。

行政サイドが避難勧告・避難指示さえ出せば良いと云う風潮に陥っても困りものだ。避難勧告・避難指示に対する住民側の信頼感が減ずれば「正常性バイアス」が発動し肝心の時に避難する事が出来ないカモ知れないのだ。

大雨の際の高潮・洪水、大雨や長雨の際の土砂災害、台風接近の際の暴風雨、大雪、津波警報・噴火警報、緊急地震速報、凡そマスコミで見知った自然災害が自分の居る場所で起きようとしているとしたら、自分と家族と周囲の人々の命を救う行動とは何だろうかと事前にシミュレーションして、何をトリガーに避難を開始するか、どこへ避難するかを・・・自宅に居る場合、勤務先・学校に居る場合、通勤通学途上のシチュエーションで予め想定しておくべきだ。

イキナリ特別警報が発令され「命を守るために最善の行動を尽くして下さい」と云われても咄嗟の判断で上手く行動に移せるとは思えない。行政に任せっきりにせず、自分と自分の家族の命は自分達で守ると云う生き残ると云う意志を持つ事、予め定めたトリガーに従い迅速に行動する事、を各世帯に徹底するソフトウエアでこそ多くの尊い人命を救う事が出来るのだと知るべきだ。

今後は、今までの30年・70年とは異なる気象サイクルに突入したとする説もある。今後は、想定外の自然災害が我々を襲う機会が増えると思っておいた方が良い。今日までの異常気象が日常的に頻発する世界に変わったのだ。だから、日頃から「命を守るために最善の行動」について考察を深めておくベキだ。


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