2015年11月28日土曜日

The Holographic Universe (Part One)



偶然に我々が住まう地球上では物質が密に存在する事が知覚されているが、我々の宇宙はマクロの世界でもミクロの世界でも隙間だらけのスカスカだ。そして、超ミクロの世界では、物質を構成している最小単位は「存在の確からしさの濃淡」で出来ているらしい。この事を「『物質を構成している最小単位』は、粒子でも波でもなく、量子なのだ」と知った風に表現する。

量子とは何かを、我が国の文部科学省のサイト(ちょっと子供向け?)では
トップ(文部科学省) > 科学技術・学術 > 分野別の研究開発 > 量子ビーム > 量子ビームってなあに? (1)量子ってなあに?


(1)量子ってなあに?
 量子とは、粒子と波の性質をあわせ持った、とても小さな物質やエネルギーの単位のことです。物質を形作っている原子そのものや、原子を形作っているさらに小さな電子・中性子・陽子といったものが代表選手です。光を粒子としてみたときの「光子」も量子です。その他にも、ニュートリノやクォーク、ミュオンなどといった素粒子も量子です。
 このような極めて小さな世界では、私たちの身の回りにある物理法則(ニュートン力学や電磁気学)は通用せず、「量子力学」というとても不思議な法則に従っています。
物質の入れ子構造と量子
図:身の回りの物質はとても小さい量子が集まって形作られている(画像提供:高エネルギー加速器研究機構)
 この説明が文部科学省のサイトに書かれているので誤解を生じそうだが、量子と呼ばれる何かが存在すると思っては間違いだ。「存在の確からしさの濃淡」を確率雲と意訳すると大きな間違いを生む。

ラザフォードモデルの電子軌道上に存在する電子を確率論的に濃淡で表した電子雲を、量子力学の初期に(一般人向けに?)量子の有り様として科学ライターさん達が説明してしまった事が量子力学の理解を妨げていると思う。

量子の性質を理解する上で必ず登場するのが2重スリット実験だ。この実験で、「単一の粒子が『広がった空間の確率分布を支配する何か(=波?)』の性質を併せ持つ」が判る。だからと云って、「電子や光子は粒子としての性質と波としての性質を併せ持つ量子なのだ」と云う説明は間違っている。

量子は、我々人類が知覚認識してきた従来の物質とは異質なモノであり、日常知っている何かに例えて表現する事が出来ないモノなのだ。日常世界の概念では、量子は存在さえしていない事になる。その捉え所の無さから、科学ライターさん達がボンヤリした雲状のモノをイメージしたのだろう。

「存在の確からしさの濃淡」は「存在する確率」では無い。確率ならば実際に存在する場所は1ヶ所なのだろうが、「存在の確からしさの濃淡」とは、観測上は1個の電子や光子とは云え「存在の確からしさの濃淡」が濃い処には濃く存在し「存在の確からしさの濃淡」が薄い処には薄く存在するのだ。




















(原子間力顕微鏡による分子画像)


印刷物にズームし拡大を続けると表示領域が大きく見え続ける単なる拡大の域を通り越えて、ドットの集まりとして根源的な構成要素が姿を現すポイントをファンダメンタルな限界と呼ぶ。

















我々の知覚する世界を構成する物質も、印刷物と同じ様に『物質を構成している最小単位』まで拡大して見ると、日常世界の概念では実在すると云えない『何か』で構成されている事が明らかになった。

つまり、我々の周囲に確かに存在すると知覚される物質も「存在の確からしさの濃淡」で出来ていて日常的な意味で存在はしていない。しかし、それが確かに存在していると知覚される理由は、「存在の確からしさの濃淡」のパターンの折り重なりにより、総和としての存在蓋然性が、極限まで「濃く」なっているだけに過ぎない。それに拠って、確かに存在していると錯覚している事になる。

そもそも日常的な意味で『存在』していない量子を、粒子という日常的に存在するものに例える事は出来ない。波というのは「日常的な意味で存在する何か」が波打つモノだが、そもそも量子の世界には日常的な意味で『存在』するものなど無い。粒子とか波とかと云う比喩そのものが通用しないのに、それが通用することを前提に議論をするから、粒子である筈が、我々の常識に於ける粒子では考えられない振る舞い方をするといって、ミステリーだ、パラドックスだと言って騒ぐことになるのだ。

そもそも量子が粒子として振る舞った現象を我々人類は目撃していない。理論物理学の黎明期に登場した計測器で霧箱と云うモノがある。荷電粒子や放射線を入射させると気体分子のイオン化が起こり、そのイオンを凝結核として飛跡が観測されると云うモノだ。飛跡が現れるから粒子が通過したと思われがちだが、単に存在蓋然性のパターンの濃い部分が通過した部分のイオン化が起きただけで、粒子として通過した事の証では無いのだ。

実在する粒子から構成されている世界だと我々は知覚しているが、実際は日常的な意味で実在しない量子の存在蓋然性のパターンの濃淡を実在する世界だと錯覚しているに過ぎないと云う事。つまり、物も日常的な意味合いで実在しないと同じく、我々自身も我々の心も日常的な意味合いでは実在しているとは言い難い事になる。我々が住まう世界も紡ぎ上げた歴史も、日常的な意味合いでは実在するとは言い難い訳だ。

量子力学を突き詰めて考えていくと、我々が知覚する世界が日常的な意味合いで実在すると言い難いとすれば、我々の存在自体が日常的な意味合いでは実在しないと云う事になるのだろうか?と云う疑問に行き着く。

そこで考え出されたアイディアが我々が知覚する世界は「2次元情報の単なるホログラフィックなバージョンに過ぎない」と云うモノだ。我々の知覚する世界を生む2次元情報とは複素平面の事だと考えられていて、恰も複素平面に無限遠点を一点追加して複素平面を拡張して得られたリーマン球面の様に投影された写像なのでは無いか?と云うモノだ。

我々の世界の実体は、複素平面と呼ばれる2次元情報であるが、我々は複素平面上での知覚を持てないので写像としての3次元+時間の『時空』の中での知覚を得ているとしている。

この「宇宙ホログラム説」と云う発想に至ったキッカケは巨大な重力波検出装置で検出されたノイズに始まる。アインシュタインが予言した重力波を検出する為に建造された独ハノーバー南方にある超高感度レーザー干渉計であるGEO600では稼働当初から理由が見出せない謎のノイズを検出していた。このノイズこそが、我々が知覚する3次元世界を投影している元々の2次元の面と云うか、より真実に近いビジョンは、プランク・スケールの「情報ビット」で「エンコード」されているが超高感度レーザー干渉計で拡大する事で、恰も印刷物がドットの集まりとして根源的な構成要素が姿を現す様なファンダメンタルな限界を超えて、宇宙を構成する「情報ビット」が垣間見えているのカモ知れない。

我々の知覚する宇宙を構成する時空の「ピクセル」は、投影されることで検出可能なサイズに「拡大」されている可能性があり、宇宙はホログラムであるとする仮説に則って、宇宙の「解像度」の限界を発見する試みが世界各地で稼働している重力波検出装置で、建設の目的である重力
波の検出と同時に行われている。我が国でもTAMA300と云うGEO600の半分の長さ(レーザー干渉計の基線の長さが300メートル)稼働しているが、GEO600規模が予測されているファンダメンタルな限界を超えるギリギリのスペックなので、我が国では新たにKAGRA(レーザー干渉計の基線長は3,000m)と呼ばれる最新鋭の重力波検出装置がスーパーカミオカンデで知られる岐阜県神岡鉱山内に建設されていて本年度内に観測開始される計画となっている。KAGRAの分解能は世界最高レベルであり、規模では米国のLIGOよりコンパクトだが観測精度を上げる新技術を多数投入しているので本格観測開始の2017年早々には「宇宙ホログラム説」の解明が為されると思っている。

2015年11月12日木曜日

自転車で牽くキャンパー




















自宅周辺は田舎なので相も変わらずだが、市街地に出ると大手宅配業者さんは自転車でリヤカーを牽引して荷物を配達している様だ。リヤカーとは『箱状の荷台に取手(引き手)がついて、人力または自転車で牽引するもの』とリヤカー専門メーカーさんの「リヤカーに関する法律について」というページに書いてある。詳しくは、そのトーホー工業(リヤカー専門メーカー)さんホームページの内容を鵜呑みにする事にして・・・、冒初の自転車で牽引するキャンパーにチョットだけ心惹かれてしまった。ソーラーパネルやバッテリー等のオプションを着けなければ約45Kgで約47万円(運賃別)の様だ。結構現実的だったりして・・・

2015年11月9日月曜日

受動意識仮説(ふたたび)



当ブログの先日の記事「久し振りにアバターを観て」では、当ブログ側ではイキナリ受動意識仮説ネタを奮ってしまったので、受動意識ネタを御存知ない方には全く意味不明の内容となった事をお詫びしたい。ここでは慶応大学大学院前野隆司教授が提唱した受動意識仮説を復習してみたい。(一連のネタは別ブログ過去記事に展開していたので引用しておく)




別ブログ過去記事「人の記憶はドンドン書き換わっていくらしい|2011-10-28 21:48:17

別ブログ過去記事「(その2)人の記憶はアテにならないとして・・・|2011-10-28 23:07:00

別ブログ過去記事「(その3)大きく脱線・・・人工知能萌えな私|2011-11-03 19:59:02

別ブログ過去記事「(その4)受動意識仮説に於ける<私>とは|2011-11-07 22:45:38

別ブログ過去記事「引き寄せの法則|2012-03-08 20:40:35

別ブログ過去記事「下手な考え、休むに似たり・・・?|2012-03-09 21:12:31

別ブログ過去記事「映画『トランセンデンス』を観た。(ネタバレ注意)|2014-06-28 00:46:26

こうして改めて引用してみると<私>は受動意識仮説が大のお気に入りだと思われるかも知れないが、実は真逆であり、仮説を最初に知った時は驚天動地の驚きだった。

受動意識仮説とは、「私」こそが馬に跨がって馬を自由に操る御者だと思っているが、実は「私」は跨がっている馬に産み出されたバーチャルな意識作用で在り、馬の背に跨っている紀行文作家が、自分こそが御者であると馬に錯覚させられているに過ぎないと云う仮説。「我思う、故に我在り」と錯覚しているが、実は「我在り、故に我思う」だったと云う仮説である。

決して大袈裟な話ではなく、読後数日間は一種の離人症の様な解離性障害を体験した。「私」は私という王国の王様だと思って半世紀生きてきたのに、実は「私」は王様に雇われた紀行文作家に過ぎなかったと知ったからだ。

但し、これは別ブログ過去記事にも書いたと思うが、「私」の関与できない精神作用に依って自分自身の行動が制御されている事、「私」の癖に私の心を掌握できていない事には薄々気が付いていたり、過去に書いた自分自身向けの日記の内容と「私」の記憶が食い違っている事も薄々知っていたが、それは認めたくない事として馬齢を重ねてきた。その背景があるから、前野隆司教授の著作を読んでハタと胸落ちしたのだろう。(安くない前野隆司氏の著作物を何冊か買ってしまったので再利用旁々妻子にも読んで貰ったが、全然ピンと来ないと云う感想だった。なので、受動意識仮説をスンナリ信じる私の方が変人なのカモ知れない)

詳しい内容は御自身で読んで判断して頂くしかないだろう。但し、前野隆司教授には悪いが、同氏の受動意識仮説の著作物は解離性障害を引き起こす可能性がある事を警告しておく。



記憶はウソをつく (祥伝社新書 177) 榎本 博明



脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説 (ちくま文庫) 前野 隆司 


尚、私が離人症を脱したのは数日を経て、サブシーケンスに過ぎない「私」には私全体のニューラルネットワークの流れを把握する能力はどうせ無いので、今後の私全体を幸せに導く為の指向性を私全体に再認識させる事と、今後の私全体を幸せに導く為に有益なエピソード記憶を書く役目に専念する事が、延いては私全体の役に立ち「私」が置かれた状況を幸せに感じる事となるだろうと決心して乗り切った次第。馬の背に乗せられた紀行文作家だって、馬と一緒に崖から転落は嫌だから、与えられた役目を全うする事が「私」に出来る最良の方法で在り、馬への帰属意識を喜びと再確認する事は恐らく「私」を含む私全体にプラスに作用する筈だと考えた・・・私全体のニューラルネットワークから紡ぎ出された結果からだ。このネタでブログ1記事分は楽勝だが、自己観照は他者と共有不可能だろうから割愛する。







『人間が人間であるための部品が決して少なくないように、自分が自分であるためには、驚くほど多くのものが必要なのよ
他人を隔てる為の顔、それと意識しない声、目覚めの時に見つめる掌、幼かった頃の記憶、未来の予感・・・それだけじゃないわ
私の電脳がアクセスできる膨大な情報やネットの広がり
それら全てが<私>の一部であり、<私>という意識そのものを生み出し・・・、そして、同時に<私>をある限界に制約しつづける』草薙素子

2015年11月6日金曜日

久し振りにアバターを観て

アバター(映画)WOWOW放映版を録画していたので久し振りに観てみた。初見は鳴り物入りの公開で遅れ馳せながら映画館で観ていた。その次は、地上波で大幅カット版を観ただろうか?(WOWOWは録画してBDに焼けばミッションコンプリートして見直す事は少ない < 私)

別ブログ過去記事「映画アバターを観て来た 2009-12-23 01:45:35 | 映画

あの時は3Dで観たし、内容と云うより3D映像に夢中になった性か、内容への考察は特に無かった。


今回視聴したWOWOW放映版は3D放送では無いのだが、だから逆に画質が鮮明だと思ったし、内容に想いを馳せる事が出来た。アバターのあらすじを繰り返しても仕方が無いのだが、初見当時私で映画ダンス・ウィズ・ウルブズ(Dances with Wolves)の焼き直しをメインプロットに攻殻機動隊+マトリックスを合わせた位の話だと思っていた。


今回、改めて見直すと別の仕掛けの方に気を取られた。


アルファ・ケンタウリ系惑星ポリフェマス最大の衛星パンドラでは、生き物同士がパートタイムで有線接続され星全体をナヴィ族の神であるエイワ(メインサーバー)に宿る歴代の英知そのものである神聖な木が統べているネット接続の星だった。この生態系や生き物同士の繋がりはSFならではだと感心した。突然死で無い限り、死んでも全惑星精神ネットワークであるエイワにバックアップされ、個の情報も保存される・・・まるで梵我一如を体現した究極の悟りの世界である。

Googleも誕生していなかった25年前に、来たるべき近未来を描いたとされる攻殻機動隊「GHOST IN THE SHELL」の冒頭では『企業のネットが星を被い、 電子や光が駆け巡っても 国家や民族がなくなる程 情報化されてない近未来』としたが、つまり、更に高度に情報化されれば『国家や民族が無くなる』事を予言している訳だ。

電脳化に依る高度な情報化が進めば、個人が体験し得る全ての情報を共有することが可能となる筈だ。記憶や、感覚、そして自分自身が認識しなかった思推までも全てを共有するとすれば、人は自分自身と世界を線引する事が可能なのだろうか?その境界線が不分明となった世界では人はアイデンティティ不安に襲われ自分が自分である確信を見失い離人症的な感覚に苛まれるのカモ知れない。

これが機械と機械化(電脳化)した人間の脳とで生み出せる関係性の限界なのだろうが、パンドラに於ける生物同士のパートタイム共有化ならば問題は無いのだろう。

現実社会の我々の地球では・・・と想いを馳せると、パンドラの様な全生物を巻き込んだグローバル情報網では無いが情報化機器を持つ限られた人々の為の企業のネットが星を覆っている。この現実社会では、機械にゴーストが宿らない攻殻機動隊の近未来世界の実現より早くゴーストが宿る人工知能が実現しそうだと思うが・・・

ガイア理論と云う仮説がある。生物の関与無しに地球環境が勝手に恒常的に維持されている訳ではなく、地球が恰もひとつの生命体のように自己調節システムを備えているとしている。地球上の大きな生命の流れが全地球の意思として指向性を持っているのではと云う仮説である。

地球という惑星の意思と云うとスピリチュアルな印象を受けてしまうだろうが、もし地球の植物も、パンドラの植物のような何らかの情報処理機構を進化させているのでは無いか・・・と閃いた。

集合的無意識とはカール・グスタフ・ユングが創始したユング心理学で存在が提唱されたモノで『人間の無意識の深層に存在する、個人の経験を越えた先天的な構造領域』の事を指す。

概説(日本語ウィキペディア"集合的無意識"より抜粋)

言語連想試験の研究によってコンプレックスの概念を見出したユングは、個人のコンプレックスより更に深い無意識の領域に、個人を越えた、集団民族人類の心に普遍的に存在すると考えられる先天的な元型の作用力動を見出した。
元型の作用と、その結果として個人の空想に現れるある種の典型的なイメージは、様々な時代や民族の神話にも共通して存在し、このため、元型や元型が存在すると仮定される領域は、民族や人類に共通する古態的(アルカイク)な無意識と考えられ、この故に、ユングはこの無意識領域を「集合的無意識」と名づけた。
人間の行動思考判断は、自我と外的世界との相互作用で決まって来る面があるが、他方、集合的無意識に存在するとされる諸元型の力動作用にも影響される面がある。


この集合的無意識を、個としての人間の心の深部に含包される先天的な無意識として誰もが持っている普遍的無意識としたのだが、この集合的無意識・普遍的無意識こそガイア理論で云う処の全地球の思推の指向性を生む正体であり、そして、架空のお話であるパンドラの全惑星精神ネットワークと同じく我々の地球上の植物層に依って創出されているのでは無いかと思ったのだ。




THE NEWYORKER | DECEMBER 23, 2013 ISSUE
The Intelligent Plant

植物が知性を持っているか否か等は、私も昔々に読んだ子供向け雑誌に載っていそうな眉唾スピリチュアル系のネタである。私も学研「科学と学習」を読んで、電子ブロックで作ったテスターで亡父が育てていたサボテンを火あぶりにして実験をしたモノだ。(因みに、小学生時代の私の研究室では、サボテンとの精神感応は記録されなかった)但し、今日の研究では、植物には「害虫に襲われる」「干ばつで枯れそうになる」等の存亡の非常事態に対してワンチップマイコン級の情報処理機能が存在しているらしい。

だが、シャーマンらはジャングルを巨大な生きる有機体として捉え人智を越えた知性があるとしているのだそうだ。当に「木を見て、森を見ず」であるカモ知れない。

我々人類は地球上で万物の霊長として君臨しているツモリだが、人類が他の生物種と比べて優れているとされるのが頭脳だ。物理的に脳がデカイ鯨の方が賢いと云う方々も居るが、日本式の酪農農家で家族と共に暮らしている牛もナカナカ犬なんかより賢いと舌を巻いた事もあるので、鯨を食べてはならない理由が知能が高いからと云うのなら牛も食べてはならない筈だと思う。因みに、鯨の方が人類より賢いのなら鯨にも高等教育を受けさせるべきだと思う。

ま、兎に角、凡そ300万年前に人の祖先は幼体成熟とタイアップして人類への進化を進め凡そ4万年前に現生人類は地上に誕生したと私は思っている(別ブログ過去記事「幼体成熟・・・ | 2007-02-20 22:47:36)のだが、植物層が地上に進出したのはオゾン層が形成された凡そ5億年前だと云われている。

我々万物の霊長が創り出した人工の論理回路では、演算を行う為にスイッチを使っている。ソロバンの珠も10進法のスイッチが連続したモノだ。

余談だが、人類最初の電気式コンピューターENIACは、ソロバンや歯車式機械計算機と同じく10進法を使う10bitコンピューターだった。当時は高速に作動するスイッチとして真空管を用いていたので一桁の10の数字を表すのに36本の真空管が必要で全部で17,468本の真空管と1,500個のリレーが必要で全体で20桁〜30桁の計算機として、乗算なら毎秒385回、除算なら毎秒40回、平方根計算なら毎秒3回を約150kWの電力を使って計算できたのだそうだ。

このENIACの開発チームが、次にジョン・フォン・ノイマンをコンサルタントに開発した2進法を使うEDVACに関した報告書で書かれた方式・・・記憶装置にアドレスを付け命令とデータをそれに記憶しシーケンシャルに取り出してプログラムを内蔵した演算装置で実行する・・・ノイマン型コンピューターが今日主流のコンピューターとなっている。

今日のコンピューターではONとOFFの状態となるスイッチを64bit持っている。因みに、以前のコンピューターでは 8bit, 16bit, 32bitだった。1bitならONとOFFの状態の2通りの結果が区別できるが、2bitになれば4通り、3bitで8通り、4bitで16通り、5bitで32通り、6bitで64通り、7bitで128通り、そして8bitで256通りの結果となる。そして、64bitでは1,844京6,744兆737億955万1,615通りの結果が区別出来る事になる。そして、この64bitのスイッチを1個で使用するシングルコアから、2個使用するデュアルコア、又は4個使用するクアッドコアと並列に動かすマルチコアへと進化してきた。

コンピューターのスペックを表す数値にクロック周波数と云うのがあり、簡単に云えばソロバンを御破算にするタイミングの事だ。CPUの中の回路が、処理のテンポを合わせるために使われる信号「クロック」を、1秒間に何回発生するかを表す数値であり、1秒間に何回ソロバンを御破算に戻して新しい計算をするかと言い換えても良い。因みに、このMacBookProで使われているIntel社製のCore i7 3820というCPUのクロック周波数は3.6GHzなので1秒間に36億回ソロバンの珠を御破算に戻していると云う訳だ。そして、Core i7はクワッドコアなので1,844京6,744兆737億955万1,615通りの4倍のスイッチを1秒間に36億回使って計算をしている。

大きく脱線したが、我々万物の霊長たる人類の脳は、凡そ1000億個のスイッチが複数多層の階層(パーセプトロン)で連結されている。人の脳のニューロンは単純にONとOFFの状態の1bitではなく、抑制状態や興奮の閾値レベル不足を示す中間値を持つ1.5bit(疑似2bit)スイッチなのだが、恐らくこれを脳波と呼ばれる基本的律動のクロック周波数で整合を取って並列運転しているのだろう。(尚、人の脳はCPUと異なりクロック周波数は可変する)毎秒数10回位だろうか?

こうして私のMacBookProと私の頭脳のスペックを比べると、なんだかMacBookProのスペックの方が私の頭脳のスペックより高級そうに思えてしまう。

大きな違いは、ヒトの脳のスイッチはノイマン型では無いニューラルネットワーク(神経回路網)と云うアーキテクチャで形成されている。ニューラルネットワークについては、私如き素人が乱暴な翻訳をすると大きな誤解を生むので詳細については興味を持たれた方が独自に調べて頂くしかない。乱暴ながらニューラルネットワークの特徴を記せば、「フォン・ノイマン・ボトルネックが発生しない分散処理である事」「学習を繰り返す事でユニット同士の結合強 度を変化させ最適な値へと変化する事」「人の感覚や感情と云った記号処理モデルでは扱いにくい問題もモデル化できる」「単独のユニットだけではなく複数多層の階層(パーセプトロン)を経て1つの入力に対して複数のユニットへ出力させる過程で多数決原理を使って、線形非分離な問題でも比較的小さい計算量で良好な解(近似値)を得る事ができる」こうして、高度なスペックのノイマン型コンピューターよりも複雑な演算を私の頭脳のニューラルネットワークで実現しているのだろう。

今日の最先端のスーパーコンピューターと云えども、未だヒトの頭脳を代替する事は適っていない。但し、ムーアの法則が正しく機能していれば2045年辺りにヒトの頭脳の処理能力をスーパーコンピューターが凌駕すると予測されている。そのシンギュラリティ (技術的特異点)を超える(トランセンデンス)する様を描いたのが映画「トランセンデンス」だった。前野隆司慶応大教授の提唱した受動意識仮説に拠れば、人類の英知を超えた人工知能が、更に高度な超人工知能を設計し完成させ、その超人工知能が更に超々高度な超々人工知能を設計し完成させ、その超々高度な超々人工知能が更に超々高度な超々人工知能を設計し完成させる事を重ねていく事で、テクノロジーに拠って爆発的なスピードでテクノロジーが自発進化していく事となり、もう人類の叡智では予測解読不能な未来が訪れる可能性も否定できないだろう。但し、映画「トランセンデンス」の様な人格移植が可能か否かは私には分からないが、ヒトのクオリアを超々高度な超々人工知能がクオリアだと認識して自らのクオリアに翻訳可能ならば上位互換も可で人格移植も出来るのカモ知れない。
(余談だが、逐次記憶が困難な人の頭脳ならではの生物進化で獲得したエピソード記憶の方便が、御者を演じるルポライターである「意識」とエピソードに色を添える「感情」と「クオリア」だったとしても、超々高度な超々人工知能足らしめる記憶バンクならばニューラルネットワークならではの些末な重要度の低く本題には無関係なブレ幅として乗重する思考の流れも記録しておけるのカモ知れない。そもそも、タイムスタンプでインデックス化を行うコンピューターは、超々高度な超々人工知能に進化したとてタイムスタンプを捨てて、ヒトの様な「感情」と「クオリア」をインデックスに使った不完全なエピソード記憶に逆進化する必然性が見出せない。ので、超々高度な超々人工知能は熱血タイプには成り得ずクールな優等生タイプとなるだろう。こうした優等生タイプの超々高度な超々人工知能が、創造主である人類への愛に芽生えて、人類同士の殺し合いを止めさせるべく政治介入をしてくるか・・・は別のネタにしたい)




さて、ここで私の中での(勝手な)本題を明かすが・・・「ワンチップマイコン級の情報処理機能」が存在するらしい植物個体が超多数集積していけば、どうなるだろうか?ひょっとして、地球を代表する知性は我々人類ではなく植物群なのではないだろうか?というネタである。

超未来の超々高度な超々人工知能は別カモ知れないが、コンピューターでも、我々の頭脳でも、論理回路を形成するにはスイッチが不可欠らしい。植物個体を1つのスイッチと見做すならば、そのクロック周期は日照を受けて光合成を行う事を組み込んだ24時間単位だろうか?そうするとヒトの頭脳の1000分の1でゆっくり動く知能を構成するスイッチ同士が根を接触させて繁茂している森林をイメージすると植物相が地上進出後の5億年間の進化で、4万年前に走り出した我々人類を大きく引き離しているのカモ知れない。

だから、我々の地球を代表できる知性体は、我々人類ではなく植物相ではないか?そして、近い将来、人類が生み出す超々高度な超々人工知能と植物相全体の知性が協調する可能性もあるのカモ知れない。究極の英知、至高の知性同士が相争うとは私には思えない。

ヒトの心は、小人さんの集合する国家の様なモノ。ヒトの心の正史を紡ぐ為に「私」と云う意識が生み出された。人が死ぬと、それまでの正史と共に「私」と云う意識も消えてしまう。だが、もし、我々人類の英知が超々高度な超々人工知能と云う神を生み出す事に成功すれば、ひょっとしたら、個々人の意識が紡ぎあげた正史を保管する事も可能となるカモ知れない。恰も衛星パンドラのナヴィ族の神であるエイワの様に死んでも全惑星精神ネットワークにバックアップされ、個の情報も保存される事も可能となるカモ知れない。無機質な機械の中で保存をされる事を好まない向きには、地球の植物相の知性に助けられ守られていく未来もあるのカモ知れない。

そうなった未来に於いても、仏教徒の私は輪廻からの解脱を目指さなければならないのだろう。