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ウェアラブルコンピュータ(wearable computer)やユビキタスコンピューティング(ubiquitous computing)は、私が子供の頃から、近い将来実現する筈の未来像として存在していた。(その未来像には、透明なチューブの中を疾走するエアカーも含まれてはいたが・・・)
スマートフォンではウェアラブルコンピュータとは云えないだろうが、腕時計やメガネなら立派なウェアラブルコンピュータだと思える。ウェアラブルだからウエア(衣類)にコンピューターを統合するのは洗濯の都合上やはり無理だろうし・・・。
その当時(子供時代)の私にはコンピューターの原風景はHAL9000だったりALEX7000やU-18(手塚治虫著「ブラックジャック」創刊号「U-18は知っていた」)等の不完全な感情とのジレンマに陥るAI萌えだった訳だが、その後、亡父に買って貰った生涯最初のコンピューターであるCommodore PET 2001は人工知能どころか四則演算すら満足に出来ない代物だった。コンピューターはプログラム次第でナンでも出来る・・・と云う幻想を1週間で体得したのだ。メインメモリ8Kバイトでは・・・子供騙しのゲームを自作するのが関の山だった。
そんな幻想が破られる前の話だが・・・、ウェアラブルコンピュータさえあれば記憶や計算と云った面倒な勉強から解放されると信じていたのは笑い話である。(これは、恐らく電脳化が普及するのを待つしか無いのだろう)
さて、iPhoneが欲しい欲しいと言いながらズルズルとドコモ陣営のAndroidスマホを使っている私はiPod touchしか持っていない。次のiPhone5SからかiPhone6からか迄にはドコモ陣営も扱いを開始するだろうと願っている。その前に・・・iWatchかな?
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