2013年7月26日金曜日

スタジオジブリが提起する憲法改正論議

スタジオジブリが毎月刊行している小冊子『熱風』の7月号2013年8月20日、18:00までPDFで配信中
『熱風』2013年7月号特集「憲法改正」(852KB)


私は、慰安婦問題や領土問題に関しては宮崎駿監督とは意見を異にする。だが、私自身も憲法96条改正の必要性を感じていない人である。「衆院参院の三分の二以上の賛成」を「衆院参院の過半数の賛成」に引き下げ、国民投票に至る道筋を開かれ易くする必要を見出せない。先の民主党に依る歴史的政権交代を経験する前ならば、憲法改正論者の主張も由としたカモ知れない。だが、マスコミに踊らされてガタガタのマニフェストを押っ立てた「自分達は決して責任を負わないという前提でコストを考えずに『弱者』の味方を演じる野党ビジネス」を政権与党にしてしまう馬鹿な有権者がいる我が国が、両院の過半数の賛成で自由に憲法改正出来る国になってしまうと、悪くすると政権交代の度にコロコロと憲法改正してしまう国に成るカモ知れない。現に、今回の参院選でも左派ポピュリストに易々と票を与えてしまう国なのだから・・・。

但し、憲法9条の改正を行わなくても、その解釈を変える事で我が国が直面する問題を解決させる事は出来ると思っている。今日的歯痒い取組しか出来ないと思われている「集団的自衛権」も解釈の問題で解消は可能だ。勿論、我が国に於ける「集団的自衛権」行使は国連憲章第51条の範囲内に限定されるだろうが・・・「ウェブスター見解」に則った「個別的自衛権」は国家の体を為す以上(実質的には、国家元首も存在しない属国的な位置付けでしか無い)我が国にも自然権として存在する筈である。憲法改正を経なければ我が国が保持できないのが国連憲章第51条の範囲外である「先制的自衛権」であろう。「先制的自衛権」とは他国からの武力攻撃が発生していない段階ですでに自国に差し迫った危険が存在するとして、そのような危険を予防するために自衛措置を行うことができるとされる19世紀の国際慣習法に基づく国家の権利の事だが、先の太平洋戦争で敗れ反省し専守防衛を則としてきた我が国ならば「先制的自衛権」の保持は諦めるのが良いのではと思うのだ。尤も、「先制的自衛権」を行使している国々は、現在の紛争地域を抱える国々と、自らの国土では戦争をしない中国と米国である。我が国は憲法9条の改正を行わなくても自然権としての「個別的自衛権」と国連憲章の第51条に則った「集団的自衛権」を行使出来る筈だ。


日本国憲法前文に「ここに主権が国民に存することを宣言し・・・」と書かれているから、日本国憲法が日本国民の為に書かれていると思っている人が多いのだが、実際には、日本国憲法とは、我々主権者である日本国民が「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」を動かす基本命令として書かれているのだ。「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」つまり、日本国憲法とは、我々国民全体が実際に国を代表し国を運営している広義の公務員の皆さんへの制限事項として与えている基本命令であるとの原理に基づき、「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」為に在るのだ。

だから、日本国憲法では「第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」憲法擁護の義務を負っているのは「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」であり、我々国民では無いのだ。「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」は憲法全体を尊重し擁護する義務を負っている筈なので、憲法改正を望む声が国民から高まった時が我が国の憲法改正の時期となる筈である。

勿論、私自身は制定から66年も経った日本国憲法を現在の日本を取り巻く環境に合わせた形にアップデートする必要性は充分に感じている。憲法は、憲法を尊重し擁護する義務を負う「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」を動かす基本命令であるから、それこそ国民の総意としての基本命令を整備する時間と手間を充分に確保し、国民が自由に議論に参加する形で国民主体の憲法改正案を形とすべく憲法審査会乃至は、それに代わる機関が機能して(国会議員主体ではなく)国民主体の改正原案をしっかりと長い時間を掛けて整備すべきだろう・・・と思う。我が国の政治が成熟して真の二大政党制が定着する頃には憲法改正の気運が自然と高まってくる筈だ。残念だが、その時を気長に待とうではないか?

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