2013年7月27日土曜日

一般道の右側車線は・・・



混雑している時ならイザ知らずガラガラに空いた片側二車線の一般道を走っている先行車は御丁寧に制限速度より10Km/hばかし遅く走っている。左側から追い抜こう(左側からの追い越しは禁止なので・・・)と思っても左側にも制限速度割れの車が走っている。何だか、この先行車2台は申し合わせた様に速度を揃えて走っているので、恰も2台で後続車をブロックしている風にも見えてしまう。






日頃の行いが悪い性か、何故か私は、こんな状況に陥る事が多い。




アベノミクス的な考え方では、インフレ率は国家経済のスピードメーターとして、適切なスピードを維持するためのインフレターゲットを設定して、そのスピードメーターを見ながらアクセルを踏んでいくべきなのだそうだ。そう云えば、どちらかと云うと私も出来る事なら少しでも速く走ってしまいたいタイプの人間だから、無駄と承知で自家用車に乗っている。昔々読んだ伝記でヘンリー・フォードは「汽車の様に速く、馬の様に自由に操れる乗り物を、大衆の誰もが手に入れられる様にする」事を夢見たそうで、自動車は個人が速く自由に移動する為に登場したのだから、自家用車に乗る以上、速く移動しなくては意味がない。なのに・・・制限速度を遙かに割った速度で走る車に阻まれる・・・と愚痴をこぼすと、皆一様に右側車線が追い越し車線なのは高速道路だけで一般道は違うからと教えて下さる。





右側車線を走っている車が遅い場合・・・右折する場所を探しながら走っている場合もあるだろう。こんな場合、右側車線をノロノロ運転で塞いでも気に成らないタイプのドライバーは、不意に急ブレーキで減速してから右ウインカーを点けて右折していく事がある。(ニュータイプ同士のモビルスーツ戦では無いので・・・)プレッシャーを与えるべく車間を狭めて追従走行しているとビックリさせられる事になる。運が悪いと思って車間を空けてトボトボ付いていくしかないのだろう。





しかし読みは外れている様だ。右側車線のドライバー(往々にして年配の女性である事が多いと書くと男女差別に当たるのだろうが・・・)は右折場所を探すドライバーの常としてキョロキョロ周囲を見る訳でも無く只ひたすらに右側車線の通行が気に入っている風でもある。




運転が不慣れそうな知人数名に個人的に聞いた処、路側を走る自転車や併走する原付や左折車が多発する左側車線は運転するのが怖いので、歩行者や自転車や原付の居ない右側車線をゆっくり走るのが安全なのだそうだ。私の主義には反するが、こうして運転が苦手な人が右側車線をノンビリと占拠する事に成るのだろう。





こうしている内にも、その車の後に車間を広めに確保してノロノロと付き従う私の車の後には制限速度以下で走ると酸欠で死んでしまう外洋マグロの様な車群が形成されていてピッタリ車間を詰めてきて右に左に小刻みにローリングをし始めている。私とて交通の円滑な流れに従いたい人間なのに併走する2台は後方の状況など意に介さず我が速度で恣意的に走っている。こんな時は・・・、パッシングで先行車を強引に退かせてと云うのもイヤなのでスゴスゴと左車線に寄るしか無いだろう。ここで、俺だって速く走りたいとアピールしてみても仕方が無い。





本来ならば、混雑している訳でも無い田舎の二車線の法定最高速度60Km/hの(制限速度表示が無い)国道を43Km/hで並進して塞ぐとは言語道断である。そもそもドライバーの拠り所である筈の道路交通法では、基本中の基本で「車両は左側通行」と定めている。高速道路に限らず一般道でも、道路が混雑していない時の右側車線は追い越し用の車線として空けておくべきなのだ。
車両は、歩道又は路側帯と車道の区別のある道路においては、車道を通行しなければならない。
4.車両は、道路の中央から左の部分を通行しなければならない。

(左側寄り通行等)
第十八条  車両は、車両通行帯の設けられた道路を通行する場合を除き、自動車及び原動機付自転車にあつては道路の左側に寄つて、軽車両にあつては道路の左側端に寄つて、それぞれ当該道路を通行しなければならない。

(車両通行帯)
第二十条  車両は、車両通行帯の設けられた道路においては、道路の左側端から数えて一番目の車両通行帯を通行しなければならない。ただし、自動車は、当該道路の左側部分に三以上の車両通行帯が設けられているときは、政令で定めるところにより、その速度に応じ、その最も右側の車両通行帯以外の車両通行帯を通行することができる。

制限速度とは、その速度を超えては駄目な速度であり、その速度まで出さなければならない訳ではない。勿論、制限速度を下回って走る自由は存在しても、制限速度を超えて走る自由は存在しないのだろう。だが、自家用車の存在理由にはヘンリー・フォード卿の夢を充足させたいと云う思惑が付きまとうのだろう。資本主義の発展は、この制限速度ギリギリで走ると云うオン・ザ・エッジ的な志向に依る処が大きいと思う。公共の福祉が許さない限度を定め、その制限ギリギリで個人の要求を充足させると云う鬩ぎ合いで社会も進歩を遂げてきたのだと思う。この流れを否定して今日型の社会の進歩は無いと思う。

制限速度を超えないで走ってらっしゃる方の大部分が自らの安全運転を誇り敢えて制限速度以下で走る事を自らに律して居られる訳では無い様だ。それよりも、周囲の状況など一切に拘泥せず恣意的に自動車を走らせて居られるのでは無いだろうか?そんな方は、安全走行の拠り所とすべき道路交通法を守って頂き左側車線を走って頂くのが当面の公共の福祉には適うと思うのだが・・・

0 件のコメント:

コメントを投稿