2013年7月31日水曜日

電気的・生化学的以外の情報伝達経路

「死」は青い光を放つことが判明 « WIRED.jp:



死にゆく線虫に紫外線を当てて観察することで、死の過程で青い蛍光が放たれることがわかった。この光は次第に強くなり、死の瞬間に最大に達し、直後に消えるという。自然死(加齢の因る老衰死)とストレス死(極端な暑さや寒さにさらされるなどのストレスが原因で死ぬ場合)の両方で青色蛍光が観察されたが、この青色蛍光がカルシウム信号に関連sぬる生物学的経路の活性化に発動され伝搬される事が判明した。ストレス死の場合はカルシウム信号経路を塞いだ場合には発動(細胞膜の破裂)を遅らせる事が出来たが、自然死の場合はカルシウム信号経路を塞いでも発動を遅らせる事は出来なかった。つまり、自然死を全身の細胞に伝える別のプロセスが存在する事を示唆している・・・のだろう。未解明な生化学的な死の伝搬経路が他にも在るのか?それとも・・・


そう云えば数日前に・・・こんな記事を読んだ。

首を切断された『プラナリア』は頭の再生と同時に記憶も再生される事が明らかに

最新の研究によるとプラナリアは、頭を切断してもなお、頭が再生してしまえば切断される以前の記憶を維持したままとなることがわかった。



プラナリアはウズムシ目に属する動物の総称で、著しい再生能力を持つことから、再生研究のモデル生物として用いられる。プラナリアの再生能力は著しく、前後に3つに切れば、頭部からは腹部以降が、尾部側からは頭部が、中央の断片からは前の切り口から頭部、後ろの切り口から尾部が再生される。ある学者がメスを使い100を超える断片になるまで滅多切りにしたが、その全ての断片が再生し100を超えるプラナリアが再生したという逸話がある。




私も高校の科学部でプラナリアの実験を行っていたので熊山や金甲山等の生活排水や農業廃水の流れ込まない川の上流を求めて山の小川で採取していた。又、熱帯魚を飼っていると・・・いつの間にやら水槽にプラナリアが大量発生して驚く事になる。




今回は、その卓越した再生能力の他に、をもつ動物としてもっとも原始的と云う事で引用記事のモデルに選ばれたのだろう。プラナリアの脳の構造は非常に原始的だが、発生段階に於いては両生類の発生初期と同じであり、昆虫のショウジョウバエや哺乳類のマウスの発生段階に機能する遺伝子群と同じセットを既に使っている。基本構造は我々人類の脳とも等しく「系統発生」の概念から云えば当然なのだろうが我々人類の脳発生プログラムのプロトタイプとも云えるのだろう。




そこで・・・少し眉唾な話なのだが・・・、実はヒトの記憶はドコに蓄積されているのか未だ解明されていない。脳が損傷し記憶が失われる不幸な事故は有史以来数多く起こっているのだが、この事が脳に記憶が蓄積されていて脳が損傷した事で記憶が消滅したのか、脳は記憶をチューニングし呼び出す機能しか無く別の場所に記憶が格納されているのだが通信装置としての脳が損傷した事で特定の記憶が呼び出せないのか・・・の何れであるかを現代医学は突き止める事が出来ていないのだ。




脳自体が記憶装置なのか、脳は記憶を蓄積するサーバーとの通信装置なのかは判らないが、言葉や文字に頼れない他の生物が情報を伝達する手段も無い遠隔地に於いても何らかの情報伝達を可能としているとされる事例も幾つかみつかっている。或る地方で軒先に配達された牛乳瓶の蓋を開け牛乳の盗み飲みする事を覚えた種の鳥は、行動範囲が一切重ならない別の大陸の同種の鳥の中にも牛乳瓶の蓋を開け盗み飲みを始める様になった等の報告がされていて、記憶や経験は、脳ではなく、ごとサーバーのような場所に保存されており、脳は単なる受信機に過ぎないとする仮説・・・「形態共鳴仮説(シェルドレイクの仮説)」と呼ぶ。この類の現象は古くから言い尽くされていて、「百匹目の猿現象」とかも同じだろう。

このサーバーのような場所をイギリスの元ケンブリッジ大学フェロー生物学者のルパート・シェルドレイクは「形態形成場(モルフォジェネティック・フィールド)」と呼んだ。この概念は分析心理学の体系を作った心理学者カール・グスタフ・ユング集合的無意識に近いものだ。ヒトは、この「形態形成場」なり「集合的無意識」より得た知悉をデジャビュ(既視感)やシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)と認識するとしたのだ。

恋人同士や、親兄弟と云った近親者、そして大切にしている愛犬や愛猫との間には「意味のある偶然の一致」が生じたように思えてしまうのは、因果律に囚われているヒトという種族の癖なのだが、単なる気の性や単なる偶然ではなく「形態形成場」や「集合的無意識」や村上春樹の「1Q84」の「神話=集合的無意識=リトルピープル」と云う構図、私の信じる宗教である密教系真言宗に於ける第八識(阿頼耶識)=人の根源」や「第九識(阿摩羅識)=仏性」より更に内なる「第十識(乾栗陀耶識)=集団的無意識」等の尻尾が・・・垣間見えたと考えれば素晴らしいのだが・・・

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