2013年8月9日金曜日

記憶は脳の外にある?

記憶は脳の外にある? プラナリアの実験からわかったこと « WIRED.jp:




過去記事「『電気的・生化学的以外の情報伝達経路』2013年7月31日水曜日」にも少し書いたが・・・

少なくともプラナリアでは、脳以外に(も)記憶が格納されている可能性がある・・・と云うレベルの発見なのだろう。

今日的な科学レベルでの理解では、任意のシナプス同士を任意の順番で伝達される電気信号(電気刺激→化学反応)の連続が人の意識を構成していて、その任意の組み合わせに対して海馬インデックスを作成し、そのインデックスを側頭葉に蓄えている・・・のでは無いか?と云われている。

ヒトの脳の実際の働き方をリアルタイムに知る方法は無く、血流変化や脳電位を解析したり、病気や怪我で特定部位が破損した方の行動や陳述からブラックボックスである脳の各部位の働きを類推しているのが今日的な脳理解である。

今日では最先端のスーパーコンピュータが、ヒトの100/1程度だと云われるアカゲザルの脳を代行出来る(1/40の時間で)までに進化してきており、近い将来にはヒトの大脳の働きをスーパーコンピューターに置き換える事も可能となるカモ知れない・・・と思っている研究者も多い様だ。

それに対して、ヒトの記憶はスーパーコンピューターにアップロード出来ても、ヒトのヒト足る本質の部分・・・これを仮にゴーストと呼ぶ・・・は機械にコピーする事は出来ないだろうと思う方も居る。

プラナリアの様な生物の脳がヒトの脳に進化したのだろうが、プラナリアの脳のシステムも我々ヒトの脳に組み込まれている。脳の進化だけを捉えると、脳の進化は都市の進化に近しい。

原初の生物は情報処理等は持たなかっただろうが、情報処理能を獲得し外界の状況を読み説いた個体・種が有利に淘汰を逃れ進化したのカモ知れない。こうして情報処理能力の進化が加速された結果として我々ヒトの脳が存在するのだと思う。ある時、以前の生物進化の歴史とは無縁のヒトの脳が生まれたわけではない。

都市も、何かの目的の為にポンと造られた人工都市と云うモノは極々最近の産物で、本来的には非常に単純な小規模なモノ・・・一軒の家からスタートして、家々が増え、家々に利便を提供する商店が出来、それらが複製に次ぐ複製で重合し拡大しバリエーションが生まれ多様化し、利便性や災害等に影響され自己変革し・・・一定の同一性を緩やかに継続しながら複雑で大規模なモノへと発展していくと云う成立過程が、まんまヒトの脳の進化にも当て嵌まるのでは無いだろうか?

プラナリアの記憶が、上位レイヤーになのか、全身に分布する何か・・・と云う脳以外の部分で保持されていたと云う事実は、我々ヒトの脳にも組み込まれている可能性は無いとは言い切れない。

そして、人工物に宿す事が出来ないとすればヒトの尊厳を担保出来そうなゴースト(=人格?+非陳述記憶+手続き記憶)も、将来には符号化して人工物で置き換え可能な気がする私だが、もしヒトの記憶が「上位レイヤー」とやらにアップロードされると云う仕様なら、それを人工物で代償出来ない限りゴーストの符号化は出来得ない・・・となるのだろう。



童(わらべ)のときは
語ることも童のごとく
思うことも童のごとく
論ずることも童のごとくなりしが――
人と成りては
童のことを棄てたり

              コリント人への第一の手紙 第十三章 第十一節

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