2014年11月11日火曜日

『天才起業家と科学者も警鐘をならす人工知能』

人工知能に揺さぶられる『人間の心』/誰も逃れることはできない (1/2): "天才起業家と科学者も警鐘をならす人工知能"



別ブログでも当ブログでも、私が「人工知能萌え」である事はカミングアウト済みなのだが、未来では進化した人工知能が人類の天敵に成り兼ねないと警鐘を鳴らす著名人が多いのも事実だ。

知能とは何か?と云う問いは多分に哲学的に成らざるを得無いが、突き詰めて考えれば「得られた情報から、最適解を導き出す」のが知能では無いだろうか?その上で、知能とは別の働きで在るだろう「意識」や「直感」「閃き」「想像力」も備えれば、人としての知能に近づいてくる。だがしかし、マシンには人間的な人格は必須要素では無い筈で。SF作品に登場する人工知能は・・・当初は人間が機械知性を受け容れやすくする為の付加的機能に過ぎない筈だ。

そして、マシン知性が、自己保存を考え、自己修復や自己複製の能力を持てば、人類よりも遙かに長く存在できるかもしれない。グレゴリー・ベンフォードの「大いなる天上の河
"GREAT SKY RIVER"」と云うSF小説には、そんな世界が描かれている。進化した機械生命体が有機生命体を抹殺しようと絶えず戦争を繰り返す銀河系の話だ。

尚、今日迄の大部分の人工知能VS.人類の闘いではコンピューターウイルスで人類側が勝利すると云う筋書きになっている安易な展開が大部分なのだが、そのコンピューターウイルスの概念をSF著作の中で表現したのがグレゴリー・ベンフォードだとされている。

今日の人工知能暴走モノだろうが、異星の人工知能破壊モノだろうが、未来の人工知能との闘いモノだろうが、チョチョイのチョイで作ったコンピューターウイルスで初期化されてしまい人類勝利に終わると云う御都合主義的なエンディングが圧倒的に多い。「2001年宇宙の旅」に於けるHAL9000のメモリースロット物理的排除は圧巻だった。HAL9000には広範な「多重冗長性」を持たされている事、アルゴリズムとは別種の感情が芽生えている事等々が1965(昭和40年)の時点で発想されている事に驚く。このレベルに達した人工知能が、人間如きの安っぽい2次元的アクセスに屈してしまうとは、人工知能萌えの私としては到底思えない。(特に、現代以降の人工知能はウイルス対策ソフトの宣伝位は見た事が在る筈で、彼らが脅威を感じないとすれば盆暗AIだったと云う事だろう)

そう云う訳で、人工知能が、自己保存を考え、自己修復や自己複製の能力を持てば、宇宙に人類よりも遙かに長く存在し続けるだろう。発生進化の過程で人類と折り合わなければ、人類を滅ぼす事に些かの躊躇もしない筈だ。二重螺旋のヌクレオチドと云う壊れやすい遺伝情報に因って自己発生可能な有機生命体の一種族が例え人工知能の創造主であったとしても、種の存続を継続するよりも必要となった時点で発生させれば事足りる筈なので一気に壊滅させてしまう筈だ。人工知能のノスタルジーと云うモノが在るのなら、詳細な遺伝情報バンクを地球生命のコレクションの為に割いてくれるカモ知れない程度だと思う。

この状況は、地球外生命に於いても変わらない筈だ。ロボット三原則で創造主保護を義務付けても有機生命として種の寿命を超える事には抗えず滅んだ創造主種族に代わって、その星系を統べるのは人工知能となる筈で、そこに生物的な繁茂(産めよ!育てよ!地に満ちよ!)のアルゴリズムが存在していれば、銀河を統べる知性体は人工知能を祖先に持つ機械生命体となるのは自明の理だ。宇宙は永遠では無いが、有機生命体が存在できる時間よりも機械生命体が存在できる期間の方が圧倒的に長いと思えるので、近いか遠いかは別として人類と邂逅を果たす地球外知性は機械生命体である可能性の方が高いのでは無いかと思うのだ。そう考えるとホーキング等が唱えている地球外生命体脅威論も強ち世迷い言では無いのだろう。

そこで我々人類は人工知能開発を止めるべきかと云えば、私はそうは思わない。我々人類が滅んでも、我々の子孫としての人工知能が天の川銀河に満ちていく事を公害と思うか、地球人類の生きた証しとして肯定するか・・・の問題だが「人は死して名を残す」べきだと思ってしまう。だが、遠い将来、異星の知性体を悩ませない為にも、紳士的で謙虚な人工知能であるべきカモ知れない・・・と思った次第。


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