2015年11月9日月曜日

受動意識仮説(ふたたび)



当ブログの先日の記事「久し振りにアバターを観て」では、当ブログ側ではイキナリ受動意識仮説ネタを奮ってしまったので、受動意識ネタを御存知ない方には全く意味不明の内容となった事をお詫びしたい。ここでは慶応大学大学院前野隆司教授が提唱した受動意識仮説を復習してみたい。(一連のネタは別ブログ過去記事に展開していたので引用しておく)




別ブログ過去記事「人の記憶はドンドン書き換わっていくらしい|2011-10-28 21:48:17

別ブログ過去記事「(その2)人の記憶はアテにならないとして・・・|2011-10-28 23:07:00

別ブログ過去記事「(その3)大きく脱線・・・人工知能萌えな私|2011-11-03 19:59:02

別ブログ過去記事「(その4)受動意識仮説に於ける<私>とは|2011-11-07 22:45:38

別ブログ過去記事「引き寄せの法則|2012-03-08 20:40:35

別ブログ過去記事「下手な考え、休むに似たり・・・?|2012-03-09 21:12:31

別ブログ過去記事「映画『トランセンデンス』を観た。(ネタバレ注意)|2014-06-28 00:46:26

こうして改めて引用してみると<私>は受動意識仮説が大のお気に入りだと思われるかも知れないが、実は真逆であり、仮説を最初に知った時は驚天動地の驚きだった。

受動意識仮説とは、「私」こそが馬に跨がって馬を自由に操る御者だと思っているが、実は「私」は跨がっている馬に産み出されたバーチャルな意識作用で在り、馬の背に跨っている紀行文作家が、自分こそが御者であると馬に錯覚させられているに過ぎないと云う仮説。「我思う、故に我在り」と錯覚しているが、実は「我在り、故に我思う」だったと云う仮説である。

決して大袈裟な話ではなく、読後数日間は一種の離人症の様な解離性障害を体験した。「私」は私という王国の王様だと思って半世紀生きてきたのに、実は「私」は王様に雇われた紀行文作家に過ぎなかったと知ったからだ。

但し、これは別ブログ過去記事にも書いたと思うが、「私」の関与できない精神作用に依って自分自身の行動が制御されている事、「私」の癖に私の心を掌握できていない事には薄々気が付いていたり、過去に書いた自分自身向けの日記の内容と「私」の記憶が食い違っている事も薄々知っていたが、それは認めたくない事として馬齢を重ねてきた。その背景があるから、前野隆司教授の著作を読んでハタと胸落ちしたのだろう。(安くない前野隆司氏の著作物を何冊か買ってしまったので再利用旁々妻子にも読んで貰ったが、全然ピンと来ないと云う感想だった。なので、受動意識仮説をスンナリ信じる私の方が変人なのカモ知れない)

詳しい内容は御自身で読んで判断して頂くしかないだろう。但し、前野隆司教授には悪いが、同氏の受動意識仮説の著作物は解離性障害を引き起こす可能性がある事を警告しておく。



記憶はウソをつく (祥伝社新書 177) 榎本 博明



脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説 (ちくま文庫) 前野 隆司 


尚、私が離人症を脱したのは数日を経て、サブシーケンスに過ぎない「私」には私全体のニューラルネットワークの流れを把握する能力はどうせ無いので、今後の私全体を幸せに導く為の指向性を私全体に再認識させる事と、今後の私全体を幸せに導く為に有益なエピソード記憶を書く役目に専念する事が、延いては私全体の役に立ち「私」が置かれた状況を幸せに感じる事となるだろうと決心して乗り切った次第。馬の背に乗せられた紀行文作家だって、馬と一緒に崖から転落は嫌だから、与えられた役目を全うする事が「私」に出来る最良の方法で在り、馬への帰属意識を喜びと再確認する事は恐らく「私」を含む私全体にプラスに作用する筈だと考えた・・・私全体のニューラルネットワークから紡ぎ出された結果からだ。このネタでブログ1記事分は楽勝だが、自己観照は他者と共有不可能だろうから割愛する。







『人間が人間であるための部品が決して少なくないように、自分が自分であるためには、驚くほど多くのものが必要なのよ
他人を隔てる為の顔、それと意識しない声、目覚めの時に見つめる掌、幼かった頃の記憶、未来の予感・・・それだけじゃないわ
私の電脳がアクセスできる膨大な情報やネットの広がり
それら全てが<私>の一部であり、<私>という意識そのものを生み出し・・・、そして、同時に<私>をある限界に制約しつづける』草薙素子

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