2015年11月28日土曜日

The Holographic Universe (Part One)



偶然に我々が住まう地球上では物質が密に存在する事が知覚されているが、我々の宇宙はマクロの世界でもミクロの世界でも隙間だらけのスカスカだ。そして、超ミクロの世界では、物質を構成している最小単位は「存在の確からしさの濃淡」で出来ているらしい。この事を「『物質を構成している最小単位』は、粒子でも波でもなく、量子なのだ」と知った風に表現する。

量子とは何かを、我が国の文部科学省のサイト(ちょっと子供向け?)では
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(1)量子ってなあに?
 量子とは、粒子と波の性質をあわせ持った、とても小さな物質やエネルギーの単位のことです。物質を形作っている原子そのものや、原子を形作っているさらに小さな電子・中性子・陽子といったものが代表選手です。光を粒子としてみたときの「光子」も量子です。その他にも、ニュートリノやクォーク、ミュオンなどといった素粒子も量子です。
 このような極めて小さな世界では、私たちの身の回りにある物理法則(ニュートン力学や電磁気学)は通用せず、「量子力学」というとても不思議な法則に従っています。
物質の入れ子構造と量子
図:身の回りの物質はとても小さい量子が集まって形作られている(画像提供:高エネルギー加速器研究機構)
 この説明が文部科学省のサイトに書かれているので誤解を生じそうだが、量子と呼ばれる何かが存在すると思っては間違いだ。「存在の確からしさの濃淡」を確率雲と意訳すると大きな間違いを生む。

ラザフォードモデルの電子軌道上に存在する電子を確率論的に濃淡で表した電子雲を、量子力学の初期に(一般人向けに?)量子の有り様として科学ライターさん達が説明してしまった事が量子力学の理解を妨げていると思う。

量子の性質を理解する上で必ず登場するのが2重スリット実験だ。この実験で、「単一の粒子が『広がった空間の確率分布を支配する何か(=波?)』の性質を併せ持つ」が判る。だからと云って、「電子や光子は粒子としての性質と波としての性質を併せ持つ量子なのだ」と云う説明は間違っている。

量子は、我々人類が知覚認識してきた従来の物質とは異質なモノであり、日常知っている何かに例えて表現する事が出来ないモノなのだ。日常世界の概念では、量子は存在さえしていない事になる。その捉え所の無さから、科学ライターさん達がボンヤリした雲状のモノをイメージしたのだろう。

「存在の確からしさの濃淡」は「存在する確率」では無い。確率ならば実際に存在する場所は1ヶ所なのだろうが、「存在の確からしさの濃淡」とは、観測上は1個の電子や光子とは云え「存在の確からしさの濃淡」が濃い処には濃く存在し「存在の確からしさの濃淡」が薄い処には薄く存在するのだ。




















(原子間力顕微鏡による分子画像)


印刷物にズームし拡大を続けると表示領域が大きく見え続ける単なる拡大の域を通り越えて、ドットの集まりとして根源的な構成要素が姿を現すポイントをファンダメンタルな限界と呼ぶ。

















我々の知覚する世界を構成する物質も、印刷物と同じ様に『物質を構成している最小単位』まで拡大して見ると、日常世界の概念では実在すると云えない『何か』で構成されている事が明らかになった。

つまり、我々の周囲に確かに存在すると知覚される物質も「存在の確からしさの濃淡」で出来ていて日常的な意味で存在はしていない。しかし、それが確かに存在していると知覚される理由は、「存在の確からしさの濃淡」のパターンの折り重なりにより、総和としての存在蓋然性が、極限まで「濃く」なっているだけに過ぎない。それに拠って、確かに存在していると錯覚している事になる。

そもそも日常的な意味で『存在』していない量子を、粒子という日常的に存在するものに例える事は出来ない。波というのは「日常的な意味で存在する何か」が波打つモノだが、そもそも量子の世界には日常的な意味で『存在』するものなど無い。粒子とか波とかと云う比喩そのものが通用しないのに、それが通用することを前提に議論をするから、粒子である筈が、我々の常識に於ける粒子では考えられない振る舞い方をするといって、ミステリーだ、パラドックスだと言って騒ぐことになるのだ。

そもそも量子が粒子として振る舞った現象を我々人類は目撃していない。理論物理学の黎明期に登場した計測器で霧箱と云うモノがある。荷電粒子や放射線を入射させると気体分子のイオン化が起こり、そのイオンを凝結核として飛跡が観測されると云うモノだ。飛跡が現れるから粒子が通過したと思われがちだが、単に存在蓋然性のパターンの濃い部分が通過した部分のイオン化が起きただけで、粒子として通過した事の証では無いのだ。

実在する粒子から構成されている世界だと我々は知覚しているが、実際は日常的な意味で実在しない量子の存在蓋然性のパターンの濃淡を実在する世界だと錯覚しているに過ぎないと云う事。つまり、物も日常的な意味合いで実在しないと同じく、我々自身も我々の心も日常的な意味合いでは実在しているとは言い難い事になる。我々が住まう世界も紡ぎ上げた歴史も、日常的な意味合いでは実在するとは言い難い訳だ。

量子力学を突き詰めて考えていくと、我々が知覚する世界が日常的な意味合いで実在すると言い難いとすれば、我々の存在自体が日常的な意味合いでは実在しないと云う事になるのだろうか?と云う疑問に行き着く。

そこで考え出されたアイディアが我々が知覚する世界は「2次元情報の単なるホログラフィックなバージョンに過ぎない」と云うモノだ。我々の知覚する世界を生む2次元情報とは複素平面の事だと考えられていて、恰も複素平面に無限遠点を一点追加して複素平面を拡張して得られたリーマン球面の様に投影された写像なのでは無いか?と云うモノだ。

我々の世界の実体は、複素平面と呼ばれる2次元情報であるが、我々は複素平面上での知覚を持てないので写像としての3次元+時間の『時空』の中での知覚を得ているとしている。

この「宇宙ホログラム説」と云う発想に至ったキッカケは巨大な重力波検出装置で検出されたノイズに始まる。アインシュタインが予言した重力波を検出する為に建造された独ハノーバー南方にある超高感度レーザー干渉計であるGEO600では稼働当初から理由が見出せない謎のノイズを検出していた。このノイズこそが、我々が知覚する3次元世界を投影している元々の2次元の面と云うか、より真実に近いビジョンは、プランク・スケールの「情報ビット」で「エンコード」されているが超高感度レーザー干渉計で拡大する事で、恰も印刷物がドットの集まりとして根源的な構成要素が姿を現す様なファンダメンタルな限界を超えて、宇宙を構成する「情報ビット」が垣間見えているのカモ知れない。

我々の知覚する宇宙を構成する時空の「ピクセル」は、投影されることで検出可能なサイズに「拡大」されている可能性があり、宇宙はホログラムであるとする仮説に則って、宇宙の「解像度」の限界を発見する試みが世界各地で稼働している重力波検出装置で、建設の目的である重力
波の検出と同時に行われている。我が国でもTAMA300と云うGEO600の半分の長さ(レーザー干渉計の基線の長さが300メートル)稼働しているが、GEO600規模が予測されているファンダメンタルな限界を超えるギリギリのスペックなので、我が国では新たにKAGRA(レーザー干渉計の基線長は3,000m)と呼ばれる最新鋭の重力波検出装置がスーパーカミオカンデで知られる岐阜県神岡鉱山内に建設されていて本年度内に観測開始される計画となっている。KAGRAの分解能は世界最高レベルであり、規模では米国のLIGOよりコンパクトだが観測精度を上げる新技術を多数投入しているので本格観測開始の2017年早々には「宇宙ホログラム説」の解明が為されると思っている。

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