2020年5月8日金曜日

正義中毒と云う依存症

過去記事にも書いたが、芸能人、著名人の不倫報道へ触れるSNSでよく呟かれている「許せない」と云う言葉だが、確かに不倫は許されない事なのだろう。もし自分や自分の近しい人が何らかの被害を受けたのであれば憤りや怒りの感情が湧くのは当然だ。

だが、何が真実かも判らぬままマスコミの糾弾に応じて、無関係な当事者に対して強い怒りや憎しみの感情が湧き、知りもしない相手に怒りが爆発してしまう状態とは「許せない」が暴走しているのでは無いだろうか?


いや、社会的生き物であるヒトには誰でも容易に陥ってしまう事なのだろうと思う。ヒトの脳は社会のルールから外れた人と云う分かり易い攻撃対象を見つけ罰する事に快感を覚えるように出来ているのだと思う。


その社会のルールから外れた人に「正義の制裁」を加えると脳の快楽中枢が刺激され快楽物質であるドーパミンが放出される。この「正義の制裁」に対する快楽物質に依存し簡単には抜け出せなくなり罰する対象を常に探し求め罰する事を希求する様になる。依存症と殆ど同じ認知構造に陥った状態・・・、正義に溺れた中毒症状・・・、これを「正義中毒」と呼ばれている。


この「正義中毒」は、社会が危機的な状況になればなる程、「正義中毒」は悪化すると指摘する識者も多い。現在は新型コロナウイルス不安と同時に、世界恐慌というべき側面になっており、個々人の「正義中毒」が「正義中毒」の集団ヒステリーに発展するのカモ知れない。


SNSに書かれたネガティブキャンペーン、テレビに出演するコメンテーターの発言、テレビに出演する識者とされる方の問題提起、に影響され、自分自身の怒りの感情さえSNSやマスコミの等々の無責任な他人の放言の支配下でコントロールされてSNS上でのネガティブキャンペーンに参加させられ「正義中毒」の快楽に浸る人々、SNSやマスコミの等々の無責任な他人の放言の支配下でコントロールされて正義を実行するツモリで感染者や感染者の立ち回り施設や医療従事者を必要以上に怖がり排除しようとし、県外プレートの車、営業自粛しない店舗、マスクをしないで咳き込む人等々を社会のルールに反する人と決めつけてリンチ(私刑:法律によらない私的の残酷な刑罰)を行う事を厭わない自らが法律に違反している犯罪者である事に気が付かない「正義中毒」依存症の方々が、新たな混乱を生んでいる。



「正義中毒」の対象は他人だ。他人に対して自分の信じる正義を主張したり、他人に自分の信じる正義を強要したりする事は、誰かの自由を奪う正義に反する行為なのだ。そもそも他人に対して自分自身の勝手な一貫性を求めること自体、不可能なのだ。


SNSやマスコミの等々の無責任な他人の放言の支配下で、今は絶対的な真実と信じ込まされている事だって、いつかその間違いに気づく日が来るかも知れない。SNS上でバッシングされている出来事から、社会全体をより良くする為の一般的問題が浮かび上がるのなら大いに議論すべきだが、個人攻撃をして、快楽物質を得る為に一瞬痛快な気持ちになっている状態は、側から見れば痴態に過ぎない。

ソーシャルディスタンスとして、人と人との間に物理的な距離を取る事が求められているが、是非SNSやマスコミの等々の無責任な他人の放言の支配下からも一定の距離をとる事をお勧めしたい。自らが「正義中毒」に陥っているか否かを見極める為にはメタ認知的な思考が有効だ。

我が家生活圏内の感染者のお宅が「正義中毒」依存症の犯罪者達に拠って酷い目に遭っていると云う続報を、先日の町内会一斉清掃で聞いた。「お宅(我が家)も自粛していて良かったなぁ〜」と云われ、町内にも「正義中毒」に陥っている「自粛警察」が居るのカモと恐怖した次第。

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