2019年5月29日水曜日

無差別殺傷事件の再発防止の為には

「ぶっ殺してやる」と叫びスクールバスの小学生を狙う 逮捕された男は自ら首を刺し意識不明

5/28(火) 10:27配信
AbemaTIMES

往々にして、こうした無差別殺傷事件の犯人が後に表明するのが「殺す相手は誰でも良かった」との主張だが、実際には無差別ではなく殺す相手は「犯人より弱く労せず殺されてくれる相手」だから、女性や子供や無防備な人を狙う凶行が主となる。又、今回は何の前触れもなく唐突に凶行が始まり誰かが止めようとする前に自殺してしまった。

この犯人は自らの口を封じた事で、犯人本人なりの動機の究明は永久に頓挫してしまったのだろうが、無差別殺傷犯の自供やプロファイリングから、次のような事が云われている。

社会的・心理的に孤立し長期間の欲求不満状態に置かれた他責的な性格(物事が望み通りに運ばない時に、それを自分以外のもの、状況や他の人などのせいにしようとする傾向のこと)の人が、破滅的な喪失(本人が「もうダメだ。自分の人生はもう終わりだ」と絶望するような出来事)が起きた後に、社会への復讐として無差別大量殺傷事件を起こしたとされている。

だとすると、こう云った不幸な無差別大量殺傷事件を再び起こさない為には、安っぽい言葉になるが、「日本に生きる全ての人が希望を持てる社会にすべきだ」となるのだろうが、そんなお題目は唱えてみても仕方がない実現不可能な事となる。何故なら現代社会には「自分は不幸だ。(将来に)希望が持てない」と個々人が思う事を止める流れは存在しない。

それは過去記事でも書いたいじめの定義の変遷で、現在の新定義として「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」とされ、起こった場所は学校の内外を問わない、個々の行為が『いじめ』に当たるか否かの判断は表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うものとする、とされた。いじめを受けた側にも何某かの責任があるとする自責的な考え方は無く、児童生徒自身がいじめを受けたと思えば、いじめが起きたとされ、その責任は一方的に他責的にいじめた側が悪いとなった。自責的な考え方を持ち込むと、いじめに歯止めをかけられないと政治が急いだ結果だと思う。

この流れが、学校を卒業した後の社会や職場にも持ち込まれる事となった。

今日の日本社会は白黒ハッキリしたがる傾向になっていて、イエスかノーかの2択式思考が主流となっている。又、正義や悪に関してもキッパリ2択から選ぶ傾向にある。本来、いじめを自責的に考えるか他責的に考えるかを2択で決めるべきでは無い。自分にも何某かの責任を自覚し、その上で、いじめをする側の責任を問うべきと云う考え方は面倒臭く難しいし、そのジャッジメントを他者に委ねた際に絶対に納得のいく責任配分にはならないだろうからだ。

他責的思考には良い面もあるだろう。いじめを受け大きなストレスを抱えている時などレジリエンスになり得るだろう。だが、乗り越える事が出来たら、自責的な思考で省みる事も再発防止には不可欠だと思うのだ。他責的思考に頼ると辛い問題は、全て解決不能と思考停止してしまう。だが、自責的思考に囚われると、反省ではなく後悔と云う闇を開く危険性も孕んでいる。そして自責的思考でも行き着く先は、自分には能力が無い=思考停止してしまうだろう。

自責的思考、他責的思考のどちらかで対処するのではなく、個々1つ1つの解決が難しい問題毎に自らが省みて自分自身が変わる必要がある部分と、他に変わってもらう様に働き掛ける方法を試行錯誤する部分に分けて考える事が出来る人・・・自責でも他責でもなく、しっかりと「自分自身」を持ちながら、客観的に物事を捉え行動出来るタイプの人・・・日々幸せに安心して生きられるよう自分自身の問題を積極的に解決し、過小でも過大でもない「ありのままの自分」を認め評価出来る人 ・・・そう云ったEQ(心の知能指数)が高い人と成長する様に未来を担う子供達を教育する必要があるのでは無いだろうか?

そして、我々大人もEI(心の知能)を高めるプログラムを何らかの形(マスメディアやインターネット等を通じて)再教育を受ける様に国家全体として取り組むべきでは無いだろうか?

川崎で起きた無差別殺傷事件の様な事件の再発を防止する手段として、様々な方法論が識者から出されている。人の感情を分析出来るAI(人工知能)搭載の監視カメラを各所に設置すると云う映画『マイノリティ・リポート』の様なアイディアから、前半で引用した「日本に生きる全ての人が希望を持てる社会にすべきだ」と云う夢物語まで様々な再発防止案が表明されている。AI搭載の監視カメラ網は迅速に対処出来る『マイノリティ・リポート』の様な予防的治安維持機能を遂行する犯罪予防局の実行部隊が多数必要だろうし、実際の犯人予定者の数倍数十倍の無垢な人々が検挙される事になるだろうから社会的コンセンサスは得られないだろうし、「日本に生きる全ての人が希望を持てる社会にすべきだ」は申し訳ないが不可能だと思う。私が考えた再発防止策では、前述の通り日本社会全体がEI(心の知能)を高めるべきとさせて頂いた。

2019年5月26日日曜日

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