2019年6月20日木曜日

もし貴方が助手席に乗っている車が暴走を始めたら?

福岡高齢男性暴走事故から1週間 ブレーキ踏み間違えか、捜査長期化の様相

 産経新聞News Web

2019年6月5日水曜日

高齢者による交通事故多発と免許返納強制への時流

「高齢者ドライバー問題」とは、高齢者ドライバーによる事故が多発している事と、事故を起こす恐れのある高齢ドライバーの免許返納を加速させようと云う時流と、免許返納を果たした高齢者の移動インフラ整備の問題等々の事である。

今回の本記事は、高齢ドライバーの免許返納を強制しようと云う時流をテーマとしたい。と、云うか、私は安易な免許返納を強制する時流に反対したい。

高齢者ドライバーによる悲惨な交通事故報道が続いている。だが、人身事故・物損事故を問わず事故率では若年層(10代・20代)ドライバーの方が多いと云う統計的事実を先ずは御披露したい。

警視庁の「平成27年における交通事故の発生状況」(平成28年3月)によると、年齢階層別の免許保有者(原付以上)の10万人当たりの年間の交通事故発生件数は、16~19歳がもっとも多く1,888件、以後、年齢を重ねるごとに件数は下降し、35歳以上から60代までは500件台という低い位置での推移となる。つまりこの年代は事故を起こすリスクは低い。しかし70代は662件と再び上昇し、85歳以上では811件になる(いずれも平成27年中)。10代や20代よりは低い件数とはいえ、70代を迎えると事故を起こすリスクが高くなるのは間違いなさそうだ。

若年層は今後のドライバー人生の中で運転が上手くなり統計的に事故率が減少いく事は証明されていて、運転適性が低下した事に拠って事故を起こした高齢ドライバーは(回復可能な疾患に拠る場合以外は)不可逆に運転適性が低下の一途を辿るだろう事は容易に想像出来る。

運転適性が低下し公道での運転が行えない高齢ドライバーに、絶対に運転をして欲しく無いと考えるのは私も当然の事と思っている。だが、運転適性が公道での運転が可能なレベルにある高齢ドライバーも定年制とかの名の下に免許返納を強制されるのは如何なモノかと思うのだ。

自動運転車の普及を待っていれば、悲惨な高齢ドライバーの事故が増え続けるだろう。そもそも専用高架の上を走る自動運転列車なら兎も角、だが、一律の運転免許定年制では、充分に安全運転を継続できる運転適性を持ち、且つ、今後も運転を継続したいと思っている高齢者から移動手段を奪う事になる。

誰でも想起出来る上記考察から、TVの情報番組コメンテーターからは、高齢ドライバーの免許更新の期間短縮を打開策として提案されていた。だが、それでは高齢ドライバーによる事故を止める事は出来ないと思うのだ。

運転適性が徐々に失われていって段々安全運転が出来なくなるのなら、免許更新期間の短縮化は数学的に一定の効果を示すだろうと思うが、高齢ドライバーによる事故を止める事は適わないと思う。

これは、全く私の想像の産物なのだが、ある朝目が覚めたら運転適性が低下していて公道での運転が出来ない高齢者になっている・・・と云うのが事故を惹起した高齢者の現実なのでは無いだろうか?

ある朝目が覚めると、もう公道での安全運転を行う運転適性を有していない高齢者になっていて、自らを騙し騙し運転している内に家族から免許返納を強制されるか、高齢者惹起交通事故を起こしてしまう。

自動運転車の開発よりも、運転免許一律定年制の導入よりも、公道での安全運転を行う運転適性を有していないドライバーに運転させない装置・システムの開発が必要なのでは無いだろうか?公道を走る総ての自動車が自動運転車になれば交通事故は大幅に減少する(だが、交通事故は無くならない)だろうが、人間が運転する自動車と混在して自動運転車を走らせる事は我が国では実現しないと思うのだ。実験施設や高速道路の一定区間に限定された自動運転可能ゾーンだけでは、どうせ自動運転車技術の大幅な立ち遅れは否めない。それよりも、人に優しい技術を売り物にしている高齢化率1位の技術立国たる我が国は、運転適性を失った人には運転させない装置・システムを開発すべきでは無いだろうか?

その技術が普及するまでは、TVで識者の方が言われていた方法「運転免許定年制を導入して一律で運転免許更新を止めるが、その中で運転を継続したい意志を持つ高齢者には厳密な運転適性検査(技能・法規)を実施し、短期間の運転免許を継続する」に踏み切るしか無いのだろう。自動車学校の卒業検定レベルの運転適性検査なら、現在の免許更新よりもハードルは高くなり免許更新出来ない高齢者は増えるだろう。だが、自らでの運転継続に情熱を抱き続けられれば、その運転適性検査に合格する様に日々努力し続ける事を生き甲斐にしても良いのでは無いだろうか?


私は、車の運転が好きなので安全運転が継続できる内は自らで運転したいと思っているのだが、このままの時流では老後は運転免許を早くに取り上げられそうな雰囲気に思えてしまう。運転適性があるのに免許を奪われるのは嫌だ。しかし、ある朝目が覚めて公道での運転が適わないレベルに運転適性が低下していたら、私が運転する事を絶対に止めて貰いたいとも思うのだ。


自宅周辺の田舎道では、交通法規を全く守らない危険な運転をする高齢ドライバーが多くいて何度も危ない目に遭っている。私もあんな運転をする高齢者になるのなら、免許を継続して貰わない方が良いと思うのだ。トラックやバス・タクシーのドライバー不足に拍車をかけて、日本の自動車産業の衰退にも拍車をかけてしまいそうだが、若年層も含めて技能・法規の適性検査を受けて合格者のみに運転免許を更新する制度に切り替えていかないと一掃の交通安全は担保されないのでは無いだろうか?


2019年5月29日水曜日

無差別殺傷事件の再発防止の為には

「ぶっ殺してやる」と叫びスクールバスの小学生を狙う 逮捕された男は自ら首を刺し意識不明

5/28(火) 10:27配信
AbemaTIMES

往々にして、こうした無差別殺傷事件の犯人が後に表明するのが「殺す相手は誰でも良かった」との主張だが、実際には無差別ではなく殺す相手は「犯人より弱く労せず殺されてくれる相手」だから、女性や子供や無防備な人を狙う凶行が主となる。又、今回は何の前触れもなく唐突に凶行が始まり誰かが止めようとする前に自殺してしまった。

この犯人は自らの口を封じた事で、犯人本人なりの動機の究明は永久に頓挫してしまったのだろうが、無差別殺傷犯の自供やプロファイリングから、次のような事が云われている。

社会的・心理的に孤立し長期間の欲求不満状態に置かれた他責的な性格(物事が望み通りに運ばない時に、それを自分以外のもの、状況や他の人などのせいにしようとする傾向のこと)の人が、破滅的な喪失(本人が「もうダメだ。自分の人生はもう終わりだ」と絶望するような出来事)が起きた後に、社会への復讐として無差別大量殺傷事件を起こしたとされている。

だとすると、こう云った不幸な無差別大量殺傷事件を再び起こさない為には、安っぽい言葉になるが、「日本に生きる全ての人が希望を持てる社会にすべきだ」となるのだろうが、そんなお題目は唱えてみても仕方がない実現不可能な事となる。何故なら現代社会には「自分は不幸だ。(将来に)希望が持てない」と個々人が思う事を止める流れは存在しない。

それは過去記事でも書いたいじめの定義の変遷で、現在の新定義として「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」とされ、起こった場所は学校の内外を問わない、個々の行為が『いじめ』に当たるか否かの判断は表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うものとする、とされた。いじめを受けた側にも何某かの責任があるとする自責的な考え方は無く、児童生徒自身がいじめを受けたと思えば、いじめが起きたとされ、その責任は一方的に他責的にいじめた側が悪いとなった。自責的な考え方を持ち込むと、いじめに歯止めをかけられないと政治が急いだ結果だと思う。

この流れが、学校を卒業した後の社会や職場にも持ち込まれる事となった。

今日の日本社会は白黒ハッキリしたがる傾向になっていて、イエスかノーかの2択式思考が主流となっている。又、正義や悪に関してもキッパリ2択から選ぶ傾向にある。本来、いじめを自責的に考えるか他責的に考えるかを2択で決めるべきでは無い。自分にも何某かの責任を自覚し、その上で、いじめをする側の責任を問うべきと云う考え方は面倒臭く難しいし、そのジャッジメントを他者に委ねた際に絶対に納得のいく責任配分にはならないだろうからだ。

他責的思考には良い面もあるだろう。いじめを受け大きなストレスを抱えている時などレジリエンスになり得るだろう。だが、乗り越える事が出来たら、自責的な思考で省みる事も再発防止には不可欠だと思うのだ。他責的思考に頼ると辛い問題は、全て解決不能と思考停止してしまう。だが、自責的思考に囚われると、反省ではなく後悔と云う闇を開く危険性も孕んでいる。そして自責的思考でも行き着く先は、自分には能力が無い=思考停止してしまうだろう。

自責的思考、他責的思考のどちらかで対処するのではなく、個々1つ1つの解決が難しい問題毎に自らが省みて自分自身が変わる必要がある部分と、他に変わってもらう様に働き掛ける方法を試行錯誤する部分に分けて考える事が出来る人・・・自責でも他責でもなく、しっかりと「自分自身」を持ちながら、客観的に物事を捉え行動出来るタイプの人・・・日々幸せに安心して生きられるよう自分自身の問題を積極的に解決し、過小でも過大でもない「ありのままの自分」を認め評価出来る人 ・・・そう云ったEQ(心の知能指数)が高い人と成長する様に未来を担う子供達を教育する必要があるのでは無いだろうか?

そして、我々大人もEI(心の知能)を高めるプログラムを何らかの形(マスメディアやインターネット等を通じて)再教育を受ける様に国家全体として取り組むべきでは無いだろうか?

川崎で起きた無差別殺傷事件の様な事件の再発を防止する手段として、様々な方法論が識者から出されている。人の感情を分析出来るAI(人工知能)搭載の監視カメラを各所に設置すると云う映画『マイノリティ・リポート』の様なアイディアから、前半で引用した「日本に生きる全ての人が希望を持てる社会にすべきだ」と云う夢物語まで様々な再発防止案が表明されている。AI搭載の監視カメラ網は迅速に対処出来る『マイノリティ・リポート』の様な予防的治安維持機能を遂行する犯罪予防局の実行部隊が多数必要だろうし、実際の犯人予定者の数倍数十倍の無垢な人々が検挙される事になるだろうから社会的コンセンサスは得られないだろうし、「日本に生きる全ての人が希望を持てる社会にすべきだ」は申し訳ないが不可能だと思う。私が考えた再発防止策では、前述の通り日本社会全体がEI(心の知能)を高めるべきとさせて頂いた。

2019年5月26日日曜日

医療費削減、予防医療は役立つか?

2018年11月10日土曜日

ボヘミアン・ラプソディーを観た

封切日の金曜日には時間が取れなかったので、翌日の土曜日に夫婦で行ってみた。
(以前はレイトショーまで待っていたが、夫婦50割引のお陰で陽の高い内に映画を観る事が出来て幸せだ)



夫婦共に高校時代にクィーンのレコードアルバムを買っていた。当時はキッス、エアロスミス、クィーンと人気を分けていたが、我々はどちらかと云えばクィーン派だった様だ。中学の頃のベイ・シティー・ローラーズから、高校生になって少し背伸びをしたい頃だった。その後もCDを何枚かも買っていて、今でもマイMacのiTunesにはCDからインポートしたクィーンのアルバムが入っていて、勿論iPhoneにも入れている。

伝説のロックバンドの伝記映画・・・だとすると、最低の出来だと思う。

クィーンの存命メンバーが参画し存命メンバーがフレディ・マーキュリー亡き後を中心に描きたいと希望した為に映画製作は紆余曲折変遷を繰り返し空中分解した経緯があるそうだ。(フレディ・マーキュリー追悼コンサート/ウェンブリー・スタジアム/1992までを製作したがった?)

伝説のロックスターであるフレディ・マーキュリーへの描写も控えめで、最低限の伝記的要素を羅列したに過ぎない陳腐な出来だ。だから、伝説のロックスターであるフレディ・マーキュリーの伝記映画としての専門家の評価は低い。そして、この評価は間違ってはいないと思う。

だが、この映画は超オススメだ。でも是非、音響環境の良い映画館で御覧頂きたい

クィーンの楽曲を聞いた事が無い人は、凡そ日本には存在しない筈だ。TVCMでも多く使われていて作中で流れる曲の大部分を御存知だと思う。超早回しの最低限レベルの伝記映画の後、ラスト21分の圧巻のライブエイドシーンには、何故か涙が流れてしまった。


2018年11月8日木曜日

【南海トラフ】紀伊半島〜四国で「スロースリップ継続中」プレート内でM5

【南海トラフ】紀伊半島〜四国で「スロースリップ継続中」プレート内でM5 (ハザードラボWeb)2018年11月07日 18時10分


上記URL引用記事では




「 近い将来に発生する可能性が高い南海トラフ地震について、気象庁は7日、『先月から今月にかけて紀伊半島から四国で相次いでいる最大マグニチュード(M)5.4の地震は、フィリピン海プレートが沈み込む境界内で発生したスロースリップが引き起こした可能性が高い』と明らかにした。」




と煽ってみたが






但し、「気象庁はこれらの観測結果について、『現時点では南海トラフ沿いで巨大地震が発生する可能性が平常時と比べて相対的に高まったとは言えない』として、引き続き観測を続けている。」




と、切迫感は無いと纏めている。




西南日本に発生する深部低周波微動の活動概況はずっと以前から報告が挙がっている。私の別ブログでも6年前に記事にしている。

拙別ブログ過去記事「ゆっくり地震 2012-03-16 20:52:41 | 独り言

スロースロップ地震の学術的情報はWikiに譲るが、スロースリップ地震が巨大地震の短期的な前兆現象であるとの知見は無い。スロースリップやサイレント地震が起き続ける事で、プレート同士の境界面の一部が強い圧力によって密着して固定(固着)され、数十年から数百年の間圧力を溜め込んで動かない固着域(アスペリティ)が、溜まった圧力に抗しきれず破壊されて一気に動く事でプレート境界型巨大地震が発生すると云う説が最有力だ。その固着域(アスペリティ)の正体は、私は海洋プレート内の火山島や海山だと予てから(学生だった30年以上前に)思っていたが、先日別ブログ過去記事に地震学者の方から頂いたコメントで火山島や海山の根っ子は逆にコロやベアリングの球の様に滑りを良くする働き・・・地震波を伴うスロースリップ地震を引き起こす遷移領域・・・静的に不安定破壊を起こす部分だと教わった。最新の知見での固着域(アスペリティ)とは、圧縮され続けた高温により溶着された比較的平らな面だと予測されているそうだ。(尚、他にも固着していない平らな面でサイレント地震・・・静的に破壊を伴わない滑り・・・地震波を発生させないスロースリップが発生している)

何にしろ、スロースリップやサイレント地震は長期的にはアスペリティで強い強震動を発生させるメカニズムにエネルギーが溜まっている目安には成り得るだろうが、現在の科学力では、動的な不安定破壊を起こす降伏点迄の残りゲージ(目安)は発見されていない。

その降伏点はプレートの性質(温度や強度や弾性や密度等々)に拠って変わるだろうから、これからプレート内ボーリング等で資料を集め、実際に発生する地震で答え合わせをし続けて知見を集めていく段階にあるのだろう。


上画像は、GNSS 連続観測システム(GEONET)が捉えた1997年4月から2017年3月時点での日本列島の地殻変動なのだが、この図から1年3ヶ月後の大阪府北部地震、1年半後の北海道胆振東部地震にも何となく納得がいくが、何よりもスロースリップやサイレント地震が多発している和歌山県・南西諸島の地殻変動が著しく素人目には巨大地震への切迫感が高そうに見える。

我々の科学力では地震予知は敵わないとは言うものの、防災の備えの必要性は強く感じ取る事が出来そうだ。防災の備えとは、発災後に楽に生活する事を目指しがちだが、それは大きな間違いだ。発災を生きて乗り越える為の方策こそが防災の備えである。水や食料の備蓄の前に、倒れそうな家具の固定、倒れそうな家具の側で就寝しない、飛散したガラスでの受傷防止、職場や通勤途中で身を守るシミュレーション等々にこそ注意を注ぐべきだと思う。

2018年10月29日月曜日

外国人観光客にはドシドシ声を掛けるべし

先日の記事に対して、複数のメールを頂いた。もし私の予言する様に、今後はFIT(
海外個人旅行)者がキャンピングカーで国内旅行をするケースが増えると国内のキャンピングカーユーザーも迷惑を受ける事が増える・・・のなら、どう対処すれば良いのか?・・・と云う御質問である。

そんな大それた事を市井の一般人の私に決める事は出来ないが、自分自身で出来る事と、行政にしか出来ない事を分けて考えるしか無いだろう。基本的に、第一義的には外国人旅行者誘致を管轄している国交省のお仕事だと思う。飛行機や船で入国してきた外国人全員に日本国内のマナー集を渡して頂くのが良いだろうが、そんな冊子に車中泊マナー等のレンタル・キャンピングカーでしか起き得ない問題を列挙するスペースは無いだろう。だから、レンタカー業者やレンタル・キャンピングカー業者が車両引き渡し時に、多国語表記の車中泊マナーやキャンピングカーべからず集を渡す様に国交省とレンタカー業界がタッグを組んで取り組んでもらうしか無い。

でも、恐らく実際は、車両の説明や宿泊可能施設の検索方法に終始して。マナーや禁止事項の説明には至らない筈だ。

だから、その後は、国民の義務なのだろうか?

先日の記事に書いた通り、日本社会が世界に誇れるお行儀の良い国になった理由は、日本人の島国根性・・・村八分や陰口、足の引っ張り合いなどの「恥ずべき文化」を駆使して「無礼」な人間に対する激しい迫害が行われ、出る杭として打たれない様に虚礼として礼儀正しく振舞っているダケだと思っている。この背景の上に、日本流のいじめの構図が存在するので、いじめ問題の解決方法も「いじめる方が悪い」と云う正論だけでは絶対に解決しない。だから、日本流の躾を短期滞在の外国人旅行者に施すには、申し訳ないが意図的な迫害を加えるしか無いと思うのだ。

日本社会でも、子供に対しては村八分や陰口、足の引っ張り合い等々の「恥ずべき文化」を駆使して迫害する風にはなっていない。子供は社会全体の財産として我が子に諭す様に怒鳴りつけるのが日本流だった筈。だから、町内には怖いオッサンが居て、挨拶をしない子供やゴミをポイ捨てする子供や、マナーを守らない子供には、野太い声で怒鳴りつけてきた。(今なら児童虐待事案として通報されるらしいが・・・)

我々が選挙で選んだ国家行政が誘致した外国人旅行者なのだから、我々にも責任の一端は存在する。マナーに反する外国人旅行者を見掛けたら、町内の頑固ジジイの様に怒鳴りつけてやれば良いのだ。1人が怒鳴りつけても効果が薄いが、同じマナー違反を続けたら次々と日本人に怒鳴りつけられる事が続けば、その国の旅行ガイドにも日本のマナー集・べからず集が乗るかも知れないでは無いか?

私自身は一言居士なので、マナーの悪い外国人観光客にはカタコト英語でも一声かける派である。国際交流には興味が無いのでマナーの良い外国人には特に声を描けない。目があったら軽く会釈する程度が奥ゆかしい日本人的で良いだろうと思っている。

並んでます。並んで下さい。      We are in line. Q please.

ここは左側通行です        Keep to the left.

ここは有料です。       Here is a fee.

神聖な場所なので静かに!   Quietly , this is a sacred place.

写真を撮るな!と書いてある  There wrote , don't take a picture.

ゴミを捨てるな!       No litter.

(指示に従ってくれたら)   
ご協力に感謝します      Thank you for your cooperation.

無視されたら         「◯◯しないでって頼んだのに、こいつ無視したぜ!」
               と大声で周りの人に日本語で云う。村八分や陰口
               好きの日本人は必ず応じて一緒に非難してくれる。

又、過去記事にも書いた通り、旅行者には守れない規則が存在する。特に、ごみ収集等に関しては、その地域に住んでいる住民の税金で公共サービスが行われているので住民以外がゴミを捨てるには問題があるとする意見が多い。だからか・・・

高速道路のサービスエリアのトイレの洗面台で釜を洗っていたのは、どう見ても車中泊旅行者ではなく観光バスの団体旅行者だった。峠の釜めし本舗おぎのやの店舗なら食べた後の釜を洗ってくれる無料サービスがあるが、観光バス車内で配られた峠の釜めしの包装紙に書いてある通り、釜を持ち帰ったら家で御飯が炊けるを試す為には、釜を洗って持ち帰るしか無い・・・のだろう。

観光バスでの旅行の際に、あっちこっちの立ち寄り先では名物の軽食を販売している。特に観光バスの旅行者向けには、旅行社からの斡旋込みなので熱心に販売して下さる。そんな食べガラは、次の土産物販売軽食販売の斡旋契約先なら快く捨てさせて下さるが、単なるトイレ休憩で立ち寄ったドライブインでは断られた事があった。(因みに、その観光バス旅行の間のゴミはバスガイドさんは快く引き受けてくれたが、バスが高速に上がって最初のサービスエリアで人数分の弁当ガラとペットボトルと空き缶が分別されずに大袋に入れられゴミ箱の前に放置された)

京都観光の合間に、テイクアウトスイーツを買って食べたのは良いが、その食べガラを捨てる場所がナカナカ見つからない。別のテイクアウト軽食の店で商品を買った際ですら持ち込みゴミだと拒否された事がある(変に丁寧な京都風の言い訳付で断られたのが更に不快だった)。まさか旅館かホテルに帰るまでゴミを持ち帰れと云うツモリなのだろうか?

管理事務所が付いた分譲別荘なら自治体のゴミ収集日に限らず管理棟のゴミステーションにゴミ出しが出来るのだろうが、単独の別荘に週末訪れるとゴミ収集日では無い日曜日に規則違反をしてゴミ出しして帰るしか無いだろうし、収集日に出せないゴミを持ち帰れと云うなら、生ゴミと一緒に電車に乗らなければならない事になる。

キャンピングカーでキャラバンをしていると、ついつい内食をしてゴミ出しに困る事になる。そんな際にオートキャンプ場泊やRVパーク泊を入れるとゴミ出しが出来て良いのだが、GWや盆休みの繁雑期にはオートキャンプ場泊やRVパーク泊の予約が取れない事がある。(でも官営オートキャンプ場では・・・事情を話せばゴミ出しやトイレタンクのダンプの許可が頂けるケースが多い・・・と云うか断られた事は一度も無い。外食は全くゴミが出ないし、中食なら大手のスーパーなら洗浄した食品トレーは資源ごみとして引き受けてくれるのでキャンピングカーのギャレーは食品トレーの洗浄用に不可欠カモ?)

もし本気で住民以外はゴミを捨てるなと徹底するのなら、ゴミが発生する飲食物を売ってはダメだ。守る事が困難なルールを破る事がマナー違反と云うのなら、観光客は呼ばない方が良いだろう。

最近、スペインで最も多くの観光客が訪れるバルセロナや、世界的な観光都市であるイタリアのベネチアなどで、相次いで住民による観光産業に対するデモがあったと報道された。同様に、日本の京都市でも流入する観光客が住民税で賄っている行政支出に悪影響を及ぼしているとの声が挙がっている。
前述のスペインやイタリアに限らず、行政が呼んだ外国人観光客に伴うマイナス部分への対処の為、多くの国ではホテル等での宿泊税等を徴収している。(但し、ドミトリー ≒ ユース方式の民泊では宿泊税が掛からないので問題になってもいる)勿論、入国税も徴収している。それを行政が但しく運用すれば問題解決となる筈だが、実はそうでも無い。
観光は産業なので、その産業に携わる人々にとっては飯の種であっても、その産業とは無関係な人々にとっては一方的な迷惑でしか無い。過去記事に書いたが、我が家の前は妹尾川土手沿いに桜並木が存在して桜のシーズンには花見客がやってくる。狭い道路に無余地駐車したりカラオケで騒いだりゴミを放置して帰ったり酔っ払いがトイレを貸せとやってくる。実に一方的な迷惑でしか無い。だから京都市民の気持ちが理解できない訳では無い。

第3回未来の公共交通まちづくり 検討部会 - 京都市



流入自動車抑制政策として、将来的に京都市に流入するETC(高速道路・有料道路等での自動通行料金収受システム)装着車から一定の流入調整金を徴収するべく現在社会実験が開始されている。本来は料金所を設けて全車両から徴収するのが良いのだろうが、大人の事情でETC装着車限定となるらしい。(料金が収受出来なくても何ら制約は無いのでETC未装着車なら料金不要)他にも、流入自動車抑止対策として駐車料金の大幅値上げや駐車容量抑制を行うのだそうだ。
京都市内市街地に2つ目のRVパークが稼働し始めたので、キャンピングカーで京都観光に行きたいと思っていたが、RVパークを利用して京都観光に訪れると宿泊税はどうなるのだろう?もしRVパーク利用者が、宿泊税から免れ得るならフリーライダー化してしまう。入湯税は自動販売機式と云う温泉施設が多いが、宿泊税も自動販売機式になるのだろうか?
但し、自動車流入抑制と宿泊税を課した原資で、京都市は何をするのかが問題となる筈だ。自動車流入税は、今後パーク&ライドを徹底し流入自動車制限を行ったとしてもFIT客のレンタカー対策にはならない気がする。日本の狭い駐車場の枠内に駐車できる技量を国際免許のFIT客に求めるのは酷と云うモノだ。パーク&ライドの案内を効率的に示す方法が最重要となる。そして、バス路線図や鉄道地下鉄路線図のスマホ等での閲覧を前提とした多言語での整備と共に、郊外の鉄道駅最寄りやレンタサイクルステーション最寄りに観光用駐車場やRVパークを数カ所程度に集約して設置する必要性もあるだろう。(バス停脇の観光駐車場やRVパークは・・・)でも、そんな施策に掛かる原資が200円程度では、実効力のある対策には成り得ないと思うのだ。

因みに、先に例を挙げたヨーロッパの観光都市バルセロナの場合居住する住民数は160万人に対して観光客が年間延人数で3200万人、そのスペイン全体で国民4700万人に対して観光客が7500万人訪れている。我が国では国民1億2680万人に対して海外から3000万人弱であり陸続きのヨーロッパの比では無い事から、国家行政が誘致した外国人観光客に対する行政施策のお粗末さが問題の前提にあると思われる。尚、殊スペインのバルセロナを例にすれば、未公認の民泊やホテルの無秩序な増加や、未公認脱法の白タクや観光ガイドを放置した事こそが行政の怠慢だと云う市民デモだった。大量に押し寄せる観光客を排除してくれと云うデモでは無かったので、京都市の市民感情とは少し趣きが異なると思う。

21世紀のキーワードは多様性の容認だ。国内でも日本人観光客のパーソナル化に追従出来ず日本の観光産業はインバウンド頼みとシフトした。でも、外国人旅行者も大人しく通訳付きの観光バスに揺られてやって来る時代は過ぎた。日本の観光産業は広く薄い個人旅行者に満足感を与え、薄利(とは限らないが)多売して収益を得る方向にシフトしなければならない。もう観光バスに乗り合わせてやってくる団体観光客だけを欲するのは時代錯誤では無いだろうか?

RVによる車中泊旅行者への取り組みへの、観光行政や観光産業の対応に期待したい。