2019年6月24日月曜日
高齢者による暴走交通事故を止めるには
電気式パーキングブレーキは、助手席や後部座席にいる同乗者が使える非常ブレーキだと云う事が判ったのだが、ASV(先進安全自動車)に、もう1項目デッドマン装置を組み込むと現時点での安全対策は一応完了するのではないかと思うのだ。
デッドマン装置とは『機械の安全装置の一つで、人間の操作者が死亡・意識不明などの事態に陥ったときや、不用意に運転位置を離れた際に自動的に動作(あるいは停止)して事故を防止する装置(Wikipedia 日本版より抜粋)』だ。
デッドマン装置には搭載する乗り物に応じて様々な種類があるので、素人の私が自動車に搭載するのはコレが良いと決めつける事は出来ないが、例えば、私の足車には車線維持支援機能(LKA: レーンキープアシスト機能)が装備されていて、道路両脇の車線境界線(中央線や車道外側線等の車線を区切る線)が確認出来るカーブなら、自動で車線の中央をトレースして走ってくれる機能であり、前方に低速車や停止車両が居れば速度を合わせ追従したり適当な車間で停止する機能もある。但し、国土交通省の定める車線維持支援装置の技術指針である「1. ドライバーが機能をオン/オフできるスイッチを備えていなければならない。また、エンジンをかけた直後はオフでなければならない。」が有る為に、意図的に作動させない限り車線維持支援機能は作動しないが、車線境界線を超えない様な軽い操舵は自動で行うみたいだ(気持ち悪いと感じる事も)。この車線維持支援機能には10秒以上ハンドルから手を離すと警告音と共に作動を停止する仕様になっていて、車線維持支援機能任せで自動運転が出来ない様に出来ているのだが、ハンドルから手を離すと制御を止める事から、運転操作を止めるとデッドマンモードに入る安全装置を装着する素地は出来ているのだろう。列車に装備されているEB装置(緊急列車停止装置)は『5km/h以上で走行中の列車の運転士が、マスコン・ブレーキ・警笛(機関車の場合はこれらに加え、「砂撒き」操作も入る)などの機器のいずれかを指定時間(1分に設定されている場合が多い)以上操作しないと警報ブザーが鳴動するとともに警報ランプが点灯し、5秒以内にこれらの機器を操作するか、リセットスイッチ(バーまたはボタン式)を操作しない場合、即座に非常ブレーキがかかる。(Wikipedia 日本版より抜粋)』と云う代物だが、レールの上を走る鉄道とは異なり歩行者自転車も含め多くの通行者が入り混じっている公道上では1分間も放置する余裕は無いだろうが、10秒(それでも時速40Kmでは110m進んでしまうが)運転操作をしないとニュートラルになりハザードランプを灯して車線に従って安全停止する事も技術的には可能だろうが、ボーッと追従して走っている人間が運転する車なら気が付かずに追突してしまうカモ知れないのだろう。
だから、安全対策は一筋縄ではいかずASV(先進安全自動車)にドライバー異常時対応システムを搭載する事に至っていないのだろうと思う。レベル3自動運転もほぼ実用段階に至っている。レベル3とは高速道路や自動車専用道路に限られる自動運転だが、それが達成出来ているなら、一般道に於いて後続車に非常停止をアピールしながら緩やかに減速を続け路側に寄せて停止する事も可能だろう。
如何だろうか?
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独り言
2019年6月20日木曜日
もし貴方が助手席に乗っている車が暴走を始めたら?
福岡高齢男性暴走事故から1週間 ブレーキ踏み間違えか、捜査長期化の様相
地方福岡 産経新聞News Web
福岡市早良区の交差点に81歳男性の運転する車が突入し9人が死傷した多重事故で、手前約700メートル地点で車が追突事故を起こした後、中央線付近をほぼ直進していたことが10日、捜査関係者への取材で分かった。11日で発生から1週間。福岡県警は一定程度ハンドル操作をしながら、ブレーキとアクセルを踏み間違えた可能性もあるとみて捜査している。車は平成12年式で、操作状況を自動記録する「イベントデータレコーダー」(EDR)やカメラが付いていなかったことも判明した。捜査関係者は「原因解明まで時間がかかる」としている。 事故は4日午後7時ごろ発生した。交差点の手前約700メートルの片側2車線の道路で、小島吉正さん(81)運転のワゴン車が前方の車に追突後、左側から回り込む形で対向車線にはみ出した。中央線をまたぐようにしながらほぼ直進を続け、交差点の200メートルほど手前から対向の車とタクシーに次々と衝突し交差点へ突入。右折中の前方の車2台を巻き込んで歩道に乗り上げ、小島さんと妻の節子さん(76)が死亡、通行人1人を含む男女7人が負傷した。 司法解剖の結果、小島さんに心筋梗塞など身体に異変が生じた形跡は見つからなかった。捜査関係者によると、運転席に異物はなく、ブレーキのペダル下に物が挟まって動かなくなったとは考えにくく、誤ってアクセルを踏み続けた可能性があるとしている。交差点に突入時は法定速度50キロを大幅に超えるスピードが出ていた。
運転者の行動と心理に詳しい九州大大学院の志堂寺和則教授(交通心理学)は「事故でパニックになりブレーキとアクセルを間違えるケースは一般的にある。ただ長距離を誤って走り続けるのは珍しく、気を失っていた可能性も含めて、調べなければいけない」と指摘した。(全文引用させて頂きました)
この事故の関連続報として、他者のドライブレコーダー映像から最初の接触事故の後も意識的な操舵が行われていた事実が判明していて、その後の衝突前には助手席に乗っていた奥様は外部のカメラに写って居らず、事故後に運転席助手席の足元に腹這い状態で死亡している事が発見されたのだそうだ。(ニュース系バラエティ番組で聞いた情報なのだが、ソースをWeb上で見つけられて無い)
当初は、時速120Kmを超える速度で逆走し 次々と衝突を繰り返しながら交差点に進入した事故は、高齢者事故にありがちなアクセルとブレーキの踏み間違い事故だとされていた。
実際のところは誰にも分からないだろうが、ニュース系バラエティ番組(ひるおび/TBS)で提起された可能性は、助手席の奥様はアクセルを踏みっ放しで暴走を続ける車を、何度か助手席側から操舵を試み、最終的には停止させようとシートベルトを外し、手でブレーキペダルかパーキングブレーキペダルを操作しようと床に腹這いになったのでは無いか?と云うモノだった。もし、そうならば、時速120Kmと云う市街地走行では危険な暴走をする車の中で、意識を失ったか下半身が麻痺して運転動作が行えない配偶者に声を掛けながら、車を止めようとシートベルトを外して、運転席足元でブレーキを操作しようとしていたと云う番組想定を聞いて・・・思わず貰い泣きしてしまった。(歳をとると涙腺が脆くなるモノだ)
奥様が運転免許を所持していたか否かは同ニュース系バラエティ番組(ひるおび/TBS)では判らないとしていたが、奥様が自らシートベルトを外して運転席足元に潜り込んだ心境を考えれば、今でも涙してしまう。
これは、明日の我が身なのカモ知れない。夫婦で車に乗っていて、もし私が運転中に意識を失ったり下半身が麻痺してアクセルを踏みっ放しとなったら、助手席のワイフは何をどうすべきだろうかと考えてみる事にした。
助手席からでも可能な限り操舵を続けるべきだろう。シートベルトをしたままでは助手席からハンドルを操作する事は難しいだろうが、シートベルトを外すべきではない。自動巻取の範囲を超えて引き出した場合、シートベルトは殆ど役に立たないだろうが、でも有ると無いとでは違う筈だ。シートベルトを外さず、肩ベルト側を引き出して、ハンドルに手を触れて操舵を継続するべきだ。
(1) 先ず、シートベルトの肩ベルト側を引き出してシートベルトを外さずに、可能な限りハンドル操作を行おう。
(2) 次に、ハザードランプを点灯して、周囲の車に異常事態を伝えよう。
(3) そして、シフトをニュートラルへ。
(4) それから、サイドブレーキか電気式パーキングブレーキを作動させよう。
(5) その後も操舵を継続して自らと周囲の車や人を最大限避け続ける内に、いつかは車は止まる筈だ。
シフトレバーをニュートラルへ、この際にボタン操作を行わなくてもニュートラルには入る筈だ。ここでPレンジ(パーキングポジション)までシフトを入れたら車を止めてくれそうに思う人もいるカモ知れないが、パーキングポジションではフライホイールに対して細い金属のピンが突き刺さるだけなので停止状態を維持する事は可能でも、走行中の車だと金属ピンが直ぐに折れてしまい車を減速するには至らないしミッション機構を破壊してしまうだろう。同じくRレンジ(リバースポジション)に入れると、走行中だとトランスミッションの内部機構が破壊されるだろう。それが減速に効果を表すか否かは全く不明だが、事故後車を移動する事が困難になるのと、日本を走行する大部分がそうで有るFF車(前輪駆動車)では前輪がロックしハンドルでの操舵が効かなくなる恐れがあるので、減速中も最後まで可能な限りハンドル操作を続けようと云う事が不可能となるカモ知れない。
ワイフの車なら、ハザードランプスイッチの位置、電気式パーキングブレーキスイッチの位置とかは直ぐに分かるだろうが、私の足車なら直ぐに判らないカモ知れないし、キャンピングカーならサイドブレーキなので位置は分かるだろうがパーキングブレーキの効きは悪いだろう。車種によってはハンドブレーキだったりペダル式パーキングブレーキだったりするだろう。
やはり、これは自宅に有る全部の車で練習をしておくべきだろう。(因みに、娘の愛車はペダル式パーキングブレーキなので、シートベルトを外さないとパーキングブレーキペダルを踏み込む事は出来なかった)いずれにしろ練習をしておくのとしないのとでは、絶対に違うと思う。
この実験の過程で知った事だが、ハンドブレーキやペダル式パーキキングブレーキと違い電気式パーキングブレーキが車を止めるブレーキ力の強さは特筆モノだった。車好きの多くの人が電気式パーキングブレーキにネガティブな反応を示していたが、こう云う助手席や後部座席の乗員が乗っている車の減速をしなければならない非常事態を想定すれば電気式パーキングブレーキの装備が増えている事は、そう云う事だったのか?と気が付かされた。
但し、運転者以外が運転操作に介入する事は、緊急避難的にのみ行うべき事で、運転者が運転を継続している環境下では絶対に余人は運転操作に介入すべきでは無い事を改めて申し上げる必要は無いだろう。
ニュース系バラエティ番組(ひるおび/TBS)で提示された想定が発生したとして、もしこの情報を奥様が御存知だったら、シートベルトを外して運転席足元のブレーキ操作を手で行おうとは思わなかったと思う。(因みに、同型のエスティマは、ペダル式パーキングブレーキで、運転席助手席の間には大きな張り出しがあるので足でペダルを踏み込む事は容易では無い。シートベルトを外さないでシフトをニュートラルポジションにするだけでも、事故の被害は減少していた筈だし、何よりも奥様は御存命だったかも知れない。
助手席の乗員が車を減速させると云う極限状態の選択を迫られた際にも、事前の予行演習で対処出来れば幸いと思い記事にした。別ブログでも、同じ内容を記事にしているので御一読頂けると幸いだ。
ラベル:
独り言
2019年6月5日水曜日
高齢者による交通事故多発と免許返納強制への時流
「高齢者ドライバー問題」とは、高齢者ドライバーによる事故が多発している事と、事故を起こす恐れのある高齢ドライバーの免許返納を加速させようと云う時流と、免許返納を果たした高齢者の移動インフラ整備の問題等々の事である。
今回の本記事は、高齢ドライバーの免許返納を強制しようと云う時流をテーマとしたい。と、云うか、私は安易な免許返納を強制する時流に反対したい。
高齢者ドライバーによる悲惨な交通事故報道が続いている。だが、人身事故・物損事故を問わず事故率では若年層(10代・20代)ドライバーの方が多いと云う統計的事実を先ずは御披露したい。
警視庁の「平成27年における交通事故の発生状況」(平成28年3月)によると、年齢階層別の免許保有者(原付以上)の10万人当たりの年間の交通事故発生件数は、16~19歳がもっとも多く1,888件、以後、年齢を重ねるごとに件数は下降し、35歳以上から60代までは500件台という低い位置での推移となる。つまりこの年代は事故を起こすリスクは低い。しかし70代は662件と再び上昇し、85歳以上では811件になる(いずれも平成27年中)。10代や20代よりは低い件数とはいえ、70代を迎えると事故を起こすリスクが高くなるのは間違いなさそうだ。
今回の本記事は、高齢ドライバーの免許返納を強制しようと云う時流をテーマとしたい。と、云うか、私は安易な免許返納を強制する時流に反対したい。
高齢者ドライバーによる悲惨な交通事故報道が続いている。だが、人身事故・物損事故を問わず事故率では若年層(10代・20代)ドライバーの方が多いと云う統計的事実を先ずは御披露したい。
警視庁の「平成27年における交通事故の発生状況」(平成28年3月)によると、年齢階層別の免許保有者(原付以上)の10万人当たりの年間の交通事故発生件数は、16~19歳がもっとも多く1,888件、以後、年齢を重ねるごとに件数は下降し、35歳以上から60代までは500件台という低い位置での推移となる。つまりこの年代は事故を起こすリスクは低い。しかし70代は662件と再び上昇し、85歳以上では811件になる(いずれも平成27年中)。10代や20代よりは低い件数とはいえ、70代を迎えると事故を起こすリスクが高くなるのは間違いなさそうだ。
若年層は今後のドライバー人生の中で運転が上手くなり統計的に事故率が減少いく事は証明されていて、運転適性が低下した事に拠って事故を起こした高齢ドライバーは(回復可能な疾患に拠る場合以外は)不可逆に運転適性が低下の一途を辿るだろう事は容易に想像出来る。
運転適性が低下し公道での運転が行えない高齢ドライバーに、絶対に運転をして欲しく無いと考えるのは私も当然の事と思っている。だが、運転適性が公道での運転が可能なレベルにある高齢ドライバーも定年制とかの名の下に免許返納を強制されるのは如何なモノかと思うのだ。
自動運転車の普及を待っていれば、悲惨な高齢ドライバーの事故が増え続けるだろう。そもそも専用高架の上を走る自動運転列車なら兎も角、だが、一律の運転免許定年制では、充分に安全運転を継続できる運転適性を持ち、且つ、今後も運転を継続したいと思っている高齢者から移動手段を奪う事になる。
誰でも想起出来る上記考察から、TVの情報番組コメンテーターからは、高齢ドライバーの免許更新の期間短縮を打開策として提案されていた。だが、それでは高齢ドライバーによる事故を止める事は出来ないと思うのだ。
運転適性が徐々に失われていって段々安全運転が出来なくなるのなら、免許更新期間の短縮化は数学的に一定の効果を示すだろうと思うが、高齢ドライバーによる事故を止める事は適わないと思う。
これは、全く私の想像の産物なのだが、ある朝目が覚めたら運転適性が低下していて公道での運転が出来ない高齢者になっている・・・と云うのが事故を惹起した高齢者の現実なのでは無いだろうか?
ある朝目が覚めると、もう公道での安全運転を行う運転適性を有していない高齢者になっていて、自らを騙し騙し運転している内に家族から免許返納を強制されるか、高齢者惹起交通事故を起こしてしまう。
自動運転車の開発よりも、運転免許一律定年制の導入よりも、公道での安全運転を行う運転適性を有していないドライバーに運転させない装置・システムの開発が必要なのでは無いだろうか?公道を走る総ての自動車が自動運転車になれば交通事故は大幅に減少する(だが、交通事故は無くならない)だろうが、人間が運転する自動車と混在して自動運転車を走らせる事は我が国では実現しないと思うのだ。実験施設や高速道路の一定区間に限定された自動運転可能ゾーンだけでは、どうせ自動運転車技術の大幅な立ち遅れは否めない。それよりも、人に優しい技術を売り物にしている高齢化率1位の技術立国たる我が国は、運転適性を失った人には運転させない装置・システムを開発すべきでは無いだろうか?
その技術が普及するまでは、TVで識者の方が言われていた方法「運転免許定年制を導入して一律で運転免許更新を止めるが、その中で運転を継続したい意志を持つ高齢者には厳密な運転適性検査(技能・法規)を実施し、短期間の運転免許を継続する」に踏み切るしか無いのだろう。自動車学校の卒業検定レベルの運転適性検査なら、現在の免許更新よりもハードルは高くなり免許更新出来ない高齢者は増えるだろう。だが、自らでの運転継続に情熱を抱き続けられれば、その運転適性検査に合格する様に日々努力し続ける事を生き甲斐にしても良いのでは無いだろうか?
私は、車の運転が好きなので安全運転が継続できる内は自らで運転したいと思っているのだが、このままの時流では老後は運転免許を早くに取り上げられそうな雰囲気に思えてしまう。運転適性があるのに免許を奪われるのは嫌だ。しかし、ある朝目が覚めて公道での運転が適わないレベルに運転適性が低下していたら、私が運転する事を絶対に止めて貰いたいとも思うのだ。
自宅周辺の田舎道では、交通法規を全く守らない危険な運転をする高齢ドライバーが多くいて何度も危ない目に遭っている。私もあんな運転をする高齢者になるのなら、免許を継続して貰わない方が良いと思うのだ。トラックやバス・タクシーのドライバー不足に拍車をかけて、日本の自動車産業の衰退にも拍車をかけてしまいそうだが、若年層も含めて技能・法規の適性検査を受けて合格者のみに運転免許を更新する制度に切り替えていかないと一掃の交通安全は担保されないのでは無いだろうか?
運転適性が低下し公道での運転が行えない高齢ドライバーに、絶対に運転をして欲しく無いと考えるのは私も当然の事と思っている。だが、運転適性が公道での運転が可能なレベルにある高齢ドライバーも定年制とかの名の下に免許返納を強制されるのは如何なモノかと思うのだ。
自動運転車の普及を待っていれば、悲惨な高齢ドライバーの事故が増え続けるだろう。そもそも専用高架の上を走る自動運転列車なら兎も角、だが、一律の運転免許定年制では、充分に安全運転を継続できる運転適性を持ち、且つ、今後も運転を継続したいと思っている高齢者から移動手段を奪う事になる。
誰でも想起出来る上記考察から、TVの情報番組コメンテーターからは、高齢ドライバーの免許更新の期間短縮を打開策として提案されていた。だが、それでは高齢ドライバーによる事故を止める事は出来ないと思うのだ。
運転適性が徐々に失われていって段々安全運転が出来なくなるのなら、免許更新期間の短縮化は数学的に一定の効果を示すだろうと思うが、高齢ドライバーによる事故を止める事は適わないと思う。
これは、全く私の想像の産物なのだが、ある朝目が覚めたら運転適性が低下していて公道での運転が出来ない高齢者になっている・・・と云うのが事故を惹起した高齢者の現実なのでは無いだろうか?
ある朝目が覚めると、もう公道での安全運転を行う運転適性を有していない高齢者になっていて、自らを騙し騙し運転している内に家族から免許返納を強制されるか、高齢者惹起交通事故を起こしてしまう。
自動運転車の開発よりも、運転免許一律定年制の導入よりも、公道での安全運転を行う運転適性を有していないドライバーに運転させない装置・システムの開発が必要なのでは無いだろうか?公道を走る総ての自動車が自動運転車になれば交通事故は大幅に減少する(だが、交通事故は無くならない)だろうが、人間が運転する自動車と混在して自動運転車を走らせる事は我が国では実現しないと思うのだ。実験施設や高速道路の一定区間に限定された自動運転可能ゾーンだけでは、どうせ自動運転車技術の大幅な立ち遅れは否めない。それよりも、人に優しい技術を売り物にしている高齢化率1位の技術立国たる我が国は、運転適性を失った人には運転させない装置・システムを開発すべきでは無いだろうか?
その技術が普及するまでは、TVで識者の方が言われていた方法「運転免許定年制を導入して一律で運転免許更新を止めるが、その中で運転を継続したい意志を持つ高齢者には厳密な運転適性検査(技能・法規)を実施し、短期間の運転免許を継続する」に踏み切るしか無いのだろう。自動車学校の卒業検定レベルの運転適性検査なら、現在の免許更新よりもハードルは高くなり免許更新出来ない高齢者は増えるだろう。だが、自らでの運転継続に情熱を抱き続けられれば、その運転適性検査に合格する様に日々努力し続ける事を生き甲斐にしても良いのでは無いだろうか?
私は、車の運転が好きなので安全運転が継続できる内は自らで運転したいと思っているのだが、このままの時流では老後は運転免許を早くに取り上げられそうな雰囲気に思えてしまう。運転適性があるのに免許を奪われるのは嫌だ。しかし、ある朝目が覚めて公道での運転が適わないレベルに運転適性が低下していたら、私が運転する事を絶対に止めて貰いたいとも思うのだ。
自宅周辺の田舎道では、交通法規を全く守らない危険な運転をする高齢ドライバーが多くいて何度も危ない目に遭っている。私もあんな運転をする高齢者になるのなら、免許を継続して貰わない方が良いと思うのだ。トラックやバス・タクシーのドライバー不足に拍車をかけて、日本の自動車産業の衰退にも拍車をかけてしまいそうだが、若年層も含めて技能・法規の適性検査を受けて合格者のみに運転免許を更新する制度に切り替えていかないと一掃の交通安全は担保されないのでは無いだろうか?
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