2013年3月22日金曜日

Googleリーダーの代わり・・・

Official Google Reader Blog: Powering Down Google Reader:


「Powering Down Google Reader」とアナウンスが有ってからGoogleリーダー愛好家である私は代替アプリを探し中である。私はGoogleリーダーで定期的に読んでいる多くの方々のブログやネットニュース・・・そして、地元市消防の火災速報も読んでいる。あの方のブログも、あの方のブログも、あのニュースサイトも、あの掲示板も・・・凡そ定期巡回する先は全部Googleリーダーに入っていた。だが、「使用量が減少している」ので2013年7月1日に廃止されてしまう。




RSSアプリの「Feedly」、「Google Reader」終了発表で50万人以上の新規ユーザーを獲得

Steven Musil (CNET News) 翻訳校正: 編集部 2013/03/18 10:55





御世間的にはRSSアプリfeedlyへの移行が盛んな様である。勿論、私もお試し中なのだが、長年使い慣れたGoogleリーダーの無骨さの方が、新進気鋭のRSSリーダーであるfeedlyよりも好ましいオジサンだった。

各社のブログサービスも一段落したが、古いタイプのブログやニュースサイトをを表示するにはGoogleリーダーは最適だったのだが、新しいタイプのブログサービスを表示すると味気なかったのは否めない。だが、私は新しいタイプのブログサービスで展開されているブログを定期巡回先に入れているケースは稀なので痛痒には感じなかったのだが、こうして新しいタイプのRSSリーダーであるfeedlyを使い始めると新しいタイプのブログサービスを見るのが愉しくなる事に気が付いた。

単なるRSSリーダーなのだが、表示される画面は私の読みたい記事しか載っていない少しオシャレな雑誌になっていた。(日本語タイトルの記事の表示などは未だ少し苦手みたいだけど・・・)では、7月1日以降は、こいつで決めた!とは言い難い。

国内勢で使えるRSSリーダーサービスを継続してくれるとアナウンスしてくれれば国内勢を使っても良いのだけど、2004年から使い始めていたgoo RSSリーダーは2011年にはサッサとサービス終了してしまった。

こうした全収集型RSSリーダーは、ユーザーがアクセスしなくてもマシンはセッセとコンテンツを収集し続けなければならないのでアクセスしないユーザー分のコストも嵩んでいき「使用量が減少している」訳ではなくてもユーザー数の伸びが止まったらコストだけが増えていくと云うコスト効率の悪いサービスなのだろう。

う〜ん・・・

2013年3月18日月曜日

関与先の事務所に泥棒が・・・

今朝6時分に電話で起こされた。関与先の事務所に泥棒が入ったのだそうだ。

秘密の暴露」に抵触してはダメなので詳しい状況は書けないが、兎に角、関与先の事務所に泥棒が入った。で・・・法人を代表できる者が被害届を出さなければならないとの事で(いつもより早く)出て行った次第。ノコノコと私が出て行った時には、既に現場検証も終わっていて若いお巡りさんが被害届を作成して下さったダケである。

ガラス等破られていないので御粗末な事に施錠し忘れたのカモ知れない。でも、そのガラス戸には指紋付きのガムテープが張りっ放しだったそうなので、当初はガラスを割って侵入しようとしたトコロ、無施錠だったので楽々侵入を果たしたと云う感じだろうか?(でも、そのガムテープを剥がして帰るのを忘れたそうなので、犯人の指紋は既に特定されている?)

今後、従業員や社員の指紋採取等を経て、現場検証で採取した指紋と照合していくのだろうが・・・

決して少なくない被害額だったが、誰も怪我もせずガラスも割られずに済んで良かったと思うしか無いのだろう。が、今後は防犯体制を刷新しないと2度目3度目が起きそうな予感が・・・。今度は現金の管理は徹底するだろうけど、ガラスを割って侵入して置いていない現金を探すために彼方此方を破壊する事になるのだろうか?

やれやれ・・・

2013年3月9日土曜日

社説って、こんな軽いモノだったんだ。

朝日新聞デジタル:社説:




素人の私の作文力は小学生並みだが、天下の大新聞の社説は中学生並みだろうか?

ミサイル攻撃を前提に危機を煽るのなら全国のダムから水を抜いておくべきだとも書くべきだろう。

兎に角、朝日新聞社は形振り構わず我が国から原発を無くしたいのだと云う事だけは良く判った。




2013年3月8日金曜日

この発言を海江田代表を3〜4年は覚えていてくれるだろうか?

朝日新聞デジタル:「解散、慎重になるべきだ」 海江田代表が野田氏を批判 - 政治:


非常に残念な事に、御粗末すぎた民主党政権が我が国での二大政党制の芽吹きを刈り取ってしまった・・・のだと思う。私の感想は、表題の通り「この発言を海江田代表を3〜4年は覚えていてくれるだろうか?」である。それとも、今度は自民党政権に解散を迫らない穏健派野党を目指しているのだろうか?

しかし、民主党政権が昨年衆院解散せずズルズルと参院任期満了に伴う衆参W選挙まで逃げ延びていれば、民主党は衆参共に壊滅していたと思うのだ。

自公政権のオウンゴールでも無ければ、今年の参院選でも民主党は惨敗してしまうだろう。そうならない為にも海江田代表は野田氏への恨み節を記者会見で披露する前に新生民主党を印象付けるべきだったと思う。

海江田さんって、少しだけピントのずれた発言がある方だけど・・・

2013年3月6日水曜日

マスコミに依る洗脳方法

前提として、私はこんな風に考えていると知って頂きたい。

別ブログ過去記事「人の記憶はドンドン書き換わっていくらしい 2011-10-28 21:48:17 | Innocent joke

別ブログ過去記事「(その2)人の記憶はアテにならないとして・・・ 2011-10-28 23:07:00 | Innocent joke

別ブログ過去記事「(その3)大きく脱線・・・人工知能萌えな私 2011-11-03 19:59:02 | Innocent joke

別ブログ過去記事「(その4)受動意識仮説に於ける<私>とは 2011-11-07 22:45:38 | Innocent joke


「『自分自身』とは何か?」とは人類永遠のテーマである。

古くから『自分自身』とは「自分の生きてきた証としての全記憶」とか、「自分の全記憶に影響された『何か』」とかと考えられてきた。だが、(その1)では、「『自分が忘れずに覚えている事』=『記憶』は疑いようのない真実」だと誰しもが思いがちだが、それは幻想に過ぎず、様々な研究から「記憶の再固定化(memory reconsolidation)」で度々書き換わっていく事が判明していて、「自分が忘れずに覚えている事」=「記憶」は真実でも事実でもないらしい事、そして、その「記憶の再固定化」は自分自身の実体験に因らずともTV視聴と云うお手軽な方法で「虚偽の体験効果(false experience effect)」で次々に書き換わってしまう事を書いた。

「自分自身」の拠り所である自分の全記憶がアテにならないとした上で(その2)では、「我思う、故に我在り」だと信じられてきたが、実際の観測結果から「我在り、故に我思う」では無いかと云う「受動意識仮説」が現実視されつつある事を書いた。『自分自身」だと認識している存在は、ヒトの意識が進化の過程でエピソード記憶を必要とした為に便宜上生み出されたバーチャルなモノに過ぎず、もし馬を操る御者だと認識するバーチャルな存在を『自分自身』の司令塔だと強弁するのなら単なる観察者に過ぎない事になると書いた。

その3)は単なる脱線だが、「受動意識仮説」に触れた故小松左京氏の著作から「無意識」とは「全体を統べる代表者の居ない『複数の様々な自動処理群」」である可能性を見出した。

そして(その4)では、「受動意識仮説」の登場以前から薄々感じられていた「自分自身」の脆さを、人々は古くから宗教や、最近ではクオリア理論を拠り所に逃れてきた。クオリア理論は科学的な結論と云うよりも、創造主としての神を信じるか信じないかは別として、生き物には生物として機械とは置き換え不可能な何かが宿っているとした方が・・・命の有り難さは高まると云う願望に過ぎない。(その3)で登場した人工知能は自己の同一性に固執せず自らの素子や回路の変更を鷹揚に許容する存在として書かれていたが、最新の研究では我々ヒト属の脳も「人間の脳細胞では遺伝子組み換えが高頻度に起き、各細胞ごとにゲノム(全遺伝情報)が異なっていることを英エディンバラ大学や理化学研究所などによる国際チームが発見した。」の通り、自己の同一性に固執せず遺伝子レベルでの改変を積極的に行う進化を選んでいた様だ。

「自分自身」が例えバーチャルなモノで在ったとしても、自分の利益の為に遺伝子レベルから素子や回路を改変し記憶を改変し価値観を改変する適応をしてきた。そして、社会の進歩と共に「自分自身」だけの判断基準では無い全体最適化にも適応しつつあるヒトは、その時々の最新の精神科学の知見に基づく方法でマスコミから洗脳を受けているのカモ知れない。

我々の決定や行為の多くが、観察者である「自分自身」が決定したと思う以前に意識がアクセスできない潜在過程(潜在意識)の決定として追認しているに過ぎない。我々は、決定や行為の後ですら決定や行為に至った真の原因に関して直接接近する事は出来ない。

そして、我々は自らの決定や行為の直接的な原因を全く知らない場合に於いても、質問されれば「観察者=自分自身」のエピソード創出能力に因って、尤もらしい回答をする事が広く知られているが、それが正確ではない事は種々の実験により明らかとされている。そして更に、自分の態度や情動と云った純粋に内的な状態や、自らの自尊心やステロタイプと云った社会心理学的概念が自己報告型の測度では測定できない。

「観察者=自分自身」は潜在的過程の決定後に知らされているに過ぎず、しかも困った事に「観察者=自分自身」が決定したと思い込んでしまう風に造られているのだ。古典的な認知的斉合性理論は潜在的過程を説明する手段としてなら使えるが、顕在的過程を説明する事はできないのだ。


ココまでが長〜い前置きだ。

社会学と云う学問では古くよりマクロデータに基づく社会調査が行われてきたが、最近では調査者の主観に左右されやすいと云うミクロデータの欠点を好き嫌いと云う簡潔な設問で主観を廃した一種の実験心理学的なデータとして扱う新しい範疇の社会学が登場してきた。こうして生身の人間の好悪感情に近しいミクロデータの方が社会学をマーケティングの「売れる仕組み」造りに使い易かった事から進歩し、「売れる仕組み」と云う狭義のマーケティングから大衆の価値観の書き換えにも用いられる様になっているのカモ知れない。TVの歴史は、こうした実験心理学に基づく洗脳手法の進化の歴史でもある。

ヒトは、接触回数が多いモノの方を好きになる傾向が知られていて、マスコミはスポンサーに対して繰り返してCMを挿入するメリットを説いてきた。だが、マーケティング丸分かりのミエミエのCMでは宣伝効果が逆効果となる事が判明し始め、制作費の嵩む魅せるCM、好感度の高いCMを競う様になった。だが、世界的不景気の中でスポンサーもスポンサー料の減額を余儀なくされデバイスの低廉化に因る録画視聴の急速な普及からCM飛ばしの悪習が業界を席巻しつつある。 更に、制作費をケチった番組が増えた事で若者のTV離れが加速しつつある。

サブリミナル効果の説明の際に引用される実験(1957年9月から6週間にわたり、市場調査業者のジェームズ・ヴィカリ(James M. Vicary)は、ニュージャージー州フォートリーの映画館で映画「ピクニック」の上映中に"実験"を行なったとされている。ヴィカリによると、映画が映写されているスクリーンの上に、「コカコーラを飲め」「ポップコーンを食べろ」というメッセージが書かれたスライドを1/3000秒ずつ5分ごとに繰り返し二重映写(フィルムのフレームを差し替えたと信じている人が多いが誤解である)したところ、コカコーラについては18.1%、ポップコーンについては57.5%の売上の増加がみられたとのことであった)の効果の有無は有耶無耶になっている。様々な検証方法で、物品を購入させるとか電話を掛けさせると云う直接的な暗示効果が立証される事は無かったが、脳波測定等で閾下刺激を検証すると『自分自身=観察者』には気が付かれずに精神・身体に影響を及ぼす事が明確に判明した。既に知られている心理学的手法を複数組み合わせる事で相互の作用を強化する事も判った。その結果、北米では1974年にサブリミナル広告は「人を欺き公共の利益に反する」と禁止されるに至った。我が国では1995年にNHKが、1999年には民放連も、それぞれの番組放送基準でサブリミナル的表現方法の禁止を明文化している。







   日本放送協会 国内番組基準第1章 放送番組一般の基準
  第11項 表現 
    6 通常知覚できない技法で、潜在意識に働きかける表現はしない。



   日本民間放送連盟 放送基準第8章 表現上の配慮
 (59) 視聴者が通常、感知し得ない方法によって、なんらかのメッセージの伝達を意図する手法(いわゆるサブリミナル的表現手法)は、公正とはいえず、放送に適さない。


だが、我が国では禁止されている筈のサブリミナル的表現が日常的にTVに登場している様だ。サブリミナル的表現は教科書通りに意識できない短時間に映像が挿入されるだけとは限らない。内規を守り「視聴者が通常知覚できない技法」は使わず「普通に知覚できる技法で、潜在意識に働きかける表現」に心を砕いているのだ。

CMの古典的手法である「何回も見聞きすると、その対象への認知処理が流暢になる」を利用する。但し、この何回も見聞きする内容は「購入を勧めたり、決断を迫ったりする視聴者の利益不利益に抵触する内容では一切なく問い掛け形式のアドバイス」として提示される。

このアドバイスを何度も繰り返して見聞きする事で、「好ましい」とか「信じられる」とかの感情に誤帰属してしまう。こうして前提となるステレオタイプ(ステロタイプ)の考え方を、植え込まれてしまう。このステレオタイプの考え方は可能な限り単純でその真偽を疑い難い内容を選ぶ。つまり、(マスコミが言い出した考え方なのに)世論的一般論と云う形をとる。

こうして、感情の閾下から前提情報を信じさせる。何故なら、閾上刺激だと神経処理の負荷が大きくなり「本当のことだろうか?」と云う疑問が生じ易くなる。(素直に受け入れられない可能性が高まる)こうして植え込まれた前提情報の事を、「認知バイアス」と呼ぶ。

これが完了した集団は、特定の閾下刺激に因り、特定の感情を喚起され、「近似ショートカット」として特定の決定や行為を行う様になる。 < 今、ココ?

マスコミに支配される未来世界を描いた映画『スターシップ・トゥルーパーズ』は、ナチス・ドイツの宣伝映画であった「意志の勝利」のパロディだそうだが、今日我が国のマスコミは軍部に操られているのではなく独自の利益を追求している風に見える。もう、「当たり前の事を疑ってみる」だけでは対処できないのカモ知れない。


2013年3月5日火曜日

パンスターズ彗星




YouTubeを御覧になれば判るとおり現在は南半球からだけパンスターズ彗星が見えているのだが、遂に3月9日夕方から北半球からもパンスターズ彗星が見えるようになる。日没の少し後の太陽が沈んだ方向に見える筈だ。9日夕方・10日夕方と太陽の方向に近づいていく為に太陽の光にかき消されて見えなくなるが3月13日には再び見える様になり3月末頃まで見えるらしい。

当初はマイナス1等星かゼロ等星クラスの明るさになると予想されたが太陽再接近時でも2等星クラスにしかならないらしい。夜明け前や日没後の薄明の時間帯でもあり、彗星はボンヤリと全体が光るので等級クラスより暗く感じてしまうだろう。日没後なら西の空から北西の地平線まで開けた人工光の無い場所か、3月末からの日の出前なら北東の地平線まで開けた人工光の無い場所を探しておかれると良いカモ知れない。


ナンと今年は11月〜12月にも肉眼で観測できる彗星がやってくる。こちらはマイナス10等級(半月級)であり(丁度、日本から観測できない太陽最接近の頃にはマイナス12.7等級の満月をも超えるかも知れない明るさとなり)観測史上最も明るい彗星になるカモ知れないそうだ。愉しみだ。


2013年3月1日金曜日

「恨の思想」

朴韓国大統領、日本は歴史直視を 被害の立場は千年不変  - 47NEWS(よんななニュース):

日本人と違い韓国の方は感情表現が豊かで喜怒哀楽を明確に表現する事に長けている。韓国では、日本を含む大部分の国での「怨み(うらみ)」とは違う「恨み(うらみ)」の感情を持っているのだそうだ。

相手に対する怨みの気持ちである「怨(えん)」と異なり、「恨(はん)」の気持ちとは・・・全ての原点に立ち返り物事を考え、恨みを懐く原因となった事を恨む事である。

「恨みを懐く原因」が、まさか自分自身の責に帰する筈がないので、「恨みを懐く原因」は自分以外の他人にしか無い。自分ではなく他人が悪いから「恨みを懐く」のだから、反省なんかする必要がないのだ。


韓国の歴史は隷属の歴史である。韓国の方は序列好きだが、それは裏を返せば、序列には逆らえないと縛られているからだろう。この中で生まれた「恨(はん)」の気持ちとは、「悔しいけれど、どうしようもない」と云う気持ちなのだ。この気持ちは、本来的に人類共通の感情の筈だったと思う。

日本では韓国の歴史のように(現在の国家割りに於ける)他国から侵略された事はない。だが、国内では国家間の戦争や天災や飢饉の歴史があり日本に於いても「悔しいけれど、どうしようもない」と感じる状況には事欠かなかった筈である。だが、日本では、この思想に「和」と云う思想が加わり「悔しいけれど、どうしようもない」と云う時には「どうしようもないけれど、皆でナントカしてみよう」と昇華させたのだと思う。

キリスト教圏では、「悔しいけれど、どうしようもない」状況になった時は、それは「神」の意思として受け入れ、人である相手を憎んではならないと云う教えがあり、「どうしようもないけれど、ジッと耐えましょう」と考え、万物に感謝しつつお互いに赦し合うと云う「赦し」の文化を発達させたのだと思う。

こうして、人類が根源的に持つ「恨(はん)」の気持ちを、日本では「和」で、キリスト教圏では「赦し」で、いつかは晴らす事が出来る「怨(えん)」に変える事が出来たのだ。

こうして、先の不幸な大戦では、欧米列強からの植民地支配からアジア同胞を救おうと「どうしようもないけれど、皆でナントカしてみよう」したトコロが、真っ先に併合した韓国の方々からは、侵略され隷属の辱めを受けたと「悔しいけれど、どうしようもない」と感じて日本に対する「恨(はん)」の気持ちを根付かせたのだろうと思う。

そして、困った事に・・・「恨(はん)」の気持ちは晴らす事が出来ないのだ。韓国精神史研究家に依ると、恨(はん)とは「希望が挫折された消えない悔しさ」だそうで、既に挫折されている為、晴らすことが出来ないのだそうだ。





つまり、「恨(はん)」の気持ちとは、自分自身は決して悪くないと云う自分勝手なモノで、どうしようもないと判っているのに赦さない・・・恨みの気持ちである。




韓国の朴槿恵大統領は「日本が歴史を正しく直視し、責任を取る姿勢を持たねばならない」と日本側の態度次第で日韓関係が変わると指摘なさった。韓国側には全くの責任は無く一方的に日本側の態度が悪いのである。



戦後生まれの若造である私には、正しい歴史認識に関しては些か自信がない。だが、嘗て日教組が推し進めた自虐史論には些か問題があると思う。別ブログに於いて書いたが、「外交は善悪では無く、自国の損得だけを考えるべきだ。」「道義は擬装であり、手段を選ばず自国の利益だけを尊重する。」「利害が絡む隣国は互いに敵対するのが普通だ。」「敵の敵は、戦術的には味方である。」「だが、敵対する国とも平和的な関係を維持する事は可能だ(それを外交努力と呼ぶ)。」「外交に於いては、諸外国も同じ考え方で我が国と接する筈なので、徹底的な性悪説で臨むべきだ。」と云う「外交基本ルール」を遵守して各国が外交している中で、もしも韓国の望む自虐史観に基づいて土下座外交を行う政府は外患罪で裁かれるべきだろう。

過去の韓国指導者が重ね重ね「日本同様に世界平和に対する歴史的大罪を犯したドイツの戦後補償を見習うべきだ」と云う発言を繰り返していたので調べてみたが、日本が中韓を含む環太平洋諸国に対して既に行った戦後補償の方が遙かに巨額で広範囲で「和」の精神に溢れていて人道的である。この戦後補償を行う為に自国防衛を日米安保に依存しつつ同時に日本国内の戦後復興をやり遂げたのである。


日本が歴史を正しく直視し、責任を取る姿勢を持っても、「千年の歴史が流れても変わらない」のだと思う。我が国だけの努力では日本と韓国は永遠に互いに理解し赦し合う事は出来ないので、韓国側が軟化するまで適切な距離感を維持して紳士的な淡い付き合いを続けるしかないだろう。


隣の家と仲良くする事だけに心を砕くのが良い近所付き合いでも無いし・・・ネ?