別ブログでは散々書いてきたが、私の子供時代の亡父との年数回の旅行は殆ど全てが車中泊旅行だった。ヨット好きだった若かりし頃の亡父は小型ヨットの狭い船室で調理や就寝しながらクルーズを愉しんでいたそうだが、それに代わる趣味として半世紀前にフランス トリガノ社のトラベル・トレーラーを買おうと画策していた好き者だった。理解の無い配偶者の猛反対に遭いヨットを手放しトレーラーを諦めさせられたが、放浪好きの血が疼いて年に数回の家族旅行は車中泊旅行だった。その当時、同じく車中泊旅行をしている車中泊仲間に出会った事は無かった。亡父の車中泊スタイルは、当時の道路事情では2〜3日掛かる遠距離の旅の目的地の宿だけ予約していて、その予約日までを自由気ままに車中泊旅行で埋めながら目的地の宿で1〜2泊しつつ観光をセッセとこなして、再び車中泊旅行で帰ってくると云う1週間の旅行を好んでいた。幼少の砌の私はそんな旅行しか知らないので、今でも家族旅行の原風景とはそんな感じだ。
そんな家族旅行の英才教育を受け、亡父譲りの放浪癖のある私は16才でバイクの免許を取り、寝袋とゴミ袋だけを積んでツーリング旅行に出掛ける趣味を持った。当時ツーリングテントは買えなかったので、駅舎のベンチや観光地の東家や商店や民家の軒先で寝袋に包まって旅行していた。(ゴミ袋は寝袋の汚れ防止や夜露での濡れ防止としていた)その後、大学生になり東京と岡山を年に数度移動する様になると買い与えられたセダンタイプの愛車で車中泊する事が当たり前になった。当時のセダンタイプの乗用車は、後部座席後ろにはバルクヘッド(隔壁)があり、その後部にガソリンタンクが取り付けられていて、最近のセダン車両の様なトランクスルー機構は無いので、運転席助手席を一杯に倒して寝るか、後部座席で丸まって寝るかしか方法は無い。(現在のセダン乗用車で車中泊をするノウハウを知っていれば、それでも快適な寝床を作れたカモ知れないが、当時は若さに感けて無加工で車中泊をしていた。それに学生で金が無いので、車中泊時にアイドリングで眠る余裕が無いのでエンジンを止めて、夏は窓全開、冬は愛用の寝袋に包まって寝ていた。帰郷は高速代倹約で一般道経由だったのでドライブインの店先での車中泊、上京は高速道路代を貰えたので高速道路のサービスエリアやパーキングエリアでの車中泊となった。又、帰省した長期の休みには車中泊旅行で旅をしまくったが、この頃(30数年前)には同じく車中泊旅行をする人を少なからず見かける様になっていた。当時には道の駅は無かったが、観光地や景勝地の観光駐車場や、民間のドライブイン等で細々と車中泊旅行をしている方が少し居ると云う程度だった。その頃でもベテランそうな方はアルコールコンロで炊飯をしたりコーヒーを淹れたりなさっていて、学生である私は一方的に御馳走になっていたりした。
そんな旅行しか知れない私が、今のワイフと付き合い始めて、行け!進め!と目的地に向かって猪突猛進して疲れ果てたら緊急避難的に車中泊をして、目が覚めたら再びする行け!進め!と目的地に向かって猪突猛進して疲れ果てたら緊急避難的に車中泊を繰り返している内に目的地に到着している強行軍を旅行とは呼ばないと・・・結婚して2年目の盆休みに懇々と教わった。普通の家庭で育ったワイフは、予定が立てられる場所に宿を確保してでないと旅行には行かないと教わった。で、結婚してから2年目以降は全く旅行に行かない時期が8年ばかり続く事になる。そんなワイフが旅行に行きたいと言い出した事が、我が家のRVデビューのキッカケとなった。私の旅行スタイルである「行け!進め!と目的地に向かって猪突猛進して疲れ果てたら緊急避難的に車中泊」する際に、ワイフの希望である「体を真っ直ぐに伸ばして熟睡出来る寝台」を毎回準備する方法としての最適解は、「体を真っ直ぐに伸ばして熟睡出来る寝台」を携行する方策としてRVを購入した。何台かのRVを乗り継いで、我が家史上、当時の我が家に最良のRVは21ft.のアメリカントラベルトレーラーを牽引する事だった。これで、亡父伝統の旅行スタイル「遠距離の旅の目的地の宿だけ予約していて、その予約日までを自由気ままに車中泊旅行で埋めながら目的地の宿で1〜2泊しつつ観光をセッセとこなして、再び車中泊旅行で帰ってくると云う1週間の旅行」を現地の宿をオートキャンプ場とする事で充足する事が出来た。トイレと「体を真っ直ぐに伸ばして熟睡出来る寝台」を足車で牽いて行くと云うスタイルが、我が家には最良だったので、近くの目的地に行く際も前泊前乗りで朝一から現地で遊ぶと云うスタイルにも昇華していった。当時、子供も小さかったので、何処でも自分のトイレとベッドを携行するスタイルは本当に助かった。そんなこんなで、私は普通車での車中泊歴50年、RVでの車中泊歴20年である。
私の中で、車中泊者が爆発的に増えたと感じたのは「1000円高速」時代である。2009年3月にスタートしたいわゆる「1000円高速」制度だ。 当時の麻生内閣による生活対策、景気刺激策としてETC(自動料金収受システム)の搭載車であれば、土日祝日は大部分の高速道路が「1000円乗り放題」となるこの制度により自動車で遠出する人が爆発的に増え、JRの利用者が大幅に減り、高速道路と接続しない中間経路上の道の駅には閑散として、社会問題となった。この「1000円高速」当初は、我が家はトラベル・トレーラーを牽いていたのでキャンピングカーなら「1000円高速」を満喫できるのに、中型車で牽引する為に大型車料金で高速道路を利用して羨ましく思っていた。が、その後、キャンピングカーに換えたので「1000円高速」を使って鹿児島や青森に車中泊旅行を愉しんだ。余談だが、( WTCへの旅客機突入で白日に晒されたテロへの危機は2006年の事だったが)この頃(2010年)以降に観光駐車場や景勝地駐車場のゴミ箱がテロ対策を理由に一斉に姿を消し始めたと思う。爆発的に増大する車中泊者が捨てる大量のゴミ処理費用を施設管理者側が問題視し始めた頃なのだと思う。丁度、この「1000円高速」末期の高速道路のサービスエリアやパーキングエリア及び高速道路と連絡の良い道の駅駐車場が車中泊旅行者の車で壊滅的に溢れ返ってトイレやレストランの利用が出来ないと云う非常事態を体験した。
私の様な年配の方は、50年前の主要国鉄駅のコンコースの光景を思い出して欲しい。朝夕のラッシュ時には床は吐き捨てたタンとタバコの吸殻で酷く汚れていたと思う。この有様は、日本の街は清潔で日本人は礼儀正しいと日本社会を褒めてくれる(現在の)外国よりも荒んでいると思うのだ。それが50年掛けて日本の街は清潔で日本人は礼儀正しいと思われる様になったのは、日本人の島国根性・・・村八分や陰口、足の引っ張り合いなどの「恥ずべき文化」を駆使して秩序を維持してきた延長であると思う。日本人が礼儀正しいのも「無礼」な人間に対する迫害が激しいからだと思う。出る杭を打たれない様に虚礼として礼儀正しくしているだけなのだ。虚礼としての礼儀正しさや正義が罷り通っているので、実際社会や現実とは乖離しているのだが、正義正論の名の下にマナーの悪い人を迫害している側は気がついていないのカモ知れない。
芸能人や政治家等の著名人の不倫問題の顛末を例に挙げる。統計によれば約2割の日本人が不倫経験者らしい。又、日本人の4割が(他人事なら)不倫も仕方がないと許容するのだそうだ。なのに、コンプライアンス強化の企業法務を上手く狙い打てば処罰感情を抱いた極々少数の人(100人〜2000人)のクレームで芸能人は自粛謹慎を余儀なくされ辞職を選ぶ政治家も出てきている。
そこで開き直った私は、日本人(日本在住者)は言う程にマナーの悪い人の比率が少ないのかと考え直してみる事にした。先に引用したレコードチャイナの記事では、先ず第一に「日本人は、特に中国の聖人が制定した厳しい行動準則を何世紀にもわたって代々小さい頃から教え込まれた。彼らは家庭や国のために責任を負わなければならず、その結果、人々は従順となり、ルールの束縛を受けるのに慣れてしまった」と分析している。
この場合の、日本文化に影響を与えた中国の聖人とは孔子だろう。例えば『論語 為政第二」その3には、こう書かれている。
白文
子曰、導之以政、斉之以刑、民免而無恥、導之以徳、斉之以礼、有恥且格。
書き下し文
子曰く、之を導くに政を以ってし、之を斉えるに刑を以ってすれば、民免れて恥なし。之を導くに徳を以ってし、之を斉えるに礼を以ってすれば、恥有りて且つ格し。
意訳
子曰く「人民を導くために政策を用い、また治めるために刑罰をもってすれば、人民は恥ずかしげも無く法律の抜け穴を探すだろう。しかし、徳をもって人民を導き、礼をもって国を治めるならば、人民はその身を正すようになるだろう」
だが、日本人(日本在住者)の構築した社会は、そんな風には思えない。紀元前500年頃に孔子先生が嘆かれた通り、法律の抜け穴探しに躍起になる人々の社会である。なので、レコードチャイナの分析は間違っていると思うのだ。今回のネタは、礼儀正しい社会だと評される日本社会の根源を掘り下げてみたい。(本来は、車中泊と云う別ブログ向けのネタなのだが、gooブログの10000字制限を超えそうなのでコチラで扱う)
私自身が物凄いマナーの悪い車中泊者を目撃したのは、今から約20年前の盆休みの和歌山県での事だ。娘と仲の良い娘さんがいらっしゃるキャンプ仲間とトラベル・トレーラーを牽いて和歌山県のプール付キャンプ場に行き連泊した事がある。当時はキャンプ場がWebページを持つ時代では無かったのでサイト風景は全き想像のみで、その1泊7000円の電源サイトは相当に羊頭狗肉だった。区画サイトと言いつつ通路は無いのでトレーラーを設置してサイドオーニングを出したら、その横にはテントキャンパーの方が連結テントを並べていく・・・避難民キャンプの様なサイトだった。
でも、そこを拠点に2泊3日滞在(実は、4泊5日で予約していたが、2泊3日目の隣サイトの方の撤収のタイミングでトレーラーを出さないと脱出できない程の大混雑だったので、通路に面した隣サイトの方が出たタイミングで逃げ出したと言うのが正解)する間に、和歌山県観光の合間に見た海沿いの観光駐車場を埋め尽くす車中泊者の生態にはカルチャーショック的な大きな衝撃を受けた。
和歌山県南岸は、高知県南岸と同じく奇異な絶景が続く奇岩の宝庫であり随所に奇岩奇景を観望する観光駐車場が整備されているのだが、その全てに我々と同じアウトドア愛好家が思い思いキャンプをしていた。観光地の駐車場で連泊して占拠し通路も残さずスクリーンテントで埋め尽くしトイレの照明器具を破壊して盗電していた。休憩用の椅子テーブルはバーベキュー台代わりに炭火が燃え、施設のゴミ箱にはうず高くキャンプゴミが積み上げられて、洗面台からはアチコチのグループにホースで水が引かれ、吐瀉物が散見されるトイレ中には多くの電気炊飯器が並んで湯気を立てていた。で、ブレーカーが落ちたら、スルスルと電柱に登って柱上トランスから手際良く電線を引いてくる超ウルトラCも展開していた。
当時は折しもアウトドブーム真っ盛りで、キャンプ場の予約を取る為には予約開始日(利用日の半年前やら3ヶ月前)の朝から電話を架けまくって取れるか取れないかの狂想曲が繰り広げられた時期だった。我が家も件の難民キャンプの様な1泊7000円の電源サイトを確保する為に奥方様方の体験ダイビングが決まった数ヶ月前に何度か電話して確保した位に大ブームだった。だからと言っても、その有り様はもの凄い。観光地の駐車場なので、そこに車を横付けしない限り観光地には行けないので、止む無く立ち寄った小さな女の子連れの私などは身の危険を感じる程の狂乱集団と思えた。
流石に、このレベルのマナーの悪い車中泊者集団は他で見た事は無い。同道した奈良県のキャンプ仲間の方の解説では、ここでPキャン狂想曲を繰り広げているのは大部分が大阪府民だと教わり、豈図らんや「泉」プレートが多かったので妙に納得した次第。この体験から長年和歌山県を訪ねようとは思わずにいたが、先日高野山からの流れで和歌山県南岸部を訪ねたのだが、件の景勝地の観光駐車場の多くはロープやバリケードで駐車場が閉鎖されていて、それでもバリケードを強制撤去して駐車場余地でキャンプをする風習は残っている様だが恐怖を覚える大集団で駐車場を占拠する光景はもう見られなかった。
20年前に和歌山県南岸随所でキャンプ祭りを繰り広げていたのは紛う事なく日本人(日本在住者)である筈だが、「民免而無恥」ではなく盗電等の罪を犯していたと思う。又、当時の話だがトラベルトレーラーのオフ会で出会った方の中にも、車中泊時に自販機のコンセントを抜いて分岐させて盗電していると公言していた方がいた。車中泊マナー集に盗電はしないと明記しなければならない程に盗電が多いのだろう。ここら辺を見ても、決して日本人はマナーが良いとは言えないのでは無いだろうか?
経済学部出身の私だが不勉強で知らなかったが、経済学用語に
フリーライダーと言う言葉があるそうだ。Wiki日本語版から
フリーライダー(経済学用語)概要部分を全文引用する。
経済学においては、ことに公共財のように非排除性があるサービスについて、対価(供給のための費用)を支払わないで便益を享受する者を指す用語である。一般的に、物財やサービスは、対価を支払った者に限り便益を受けることができる。これを財の排除性という。しかし、他の経済主体に有利に働く正の外部性を有する財のなかには、公共財や情報財(例:ウィキペディア)のような排除性を有しない財がある。たとえば純粋公共財である消火活動や治安・国防などは、対象になる利用者を限定することが難しい(非排除性)。誰かが費用を負担してサービスを供給すれば、負担していない人も便益を受けられる。結果として、供給のための費用を負担する誘引は働かず、みながただ乗りをしようとするようになる。そのため、市場経済に任せた場合、これらの正の外部性を伴うサービスの供給が著しく過少になるという問題が生じる。しかしながら、必要不可欠なサービスである。そこで租税により、便益に関わらず広く負担を募り、公共サービスを提供し社会的需要を満たす。これらのサービスを提供するのは、租税によって活動する公共性の高い主体(政府や地方自治体)である。
とある。非常に難しい問題だが、これを件の道の駅問題に置き換えてみよう。道の駅とは、同じくWiki日本語版から前文を引用すると
「
道の駅(みちのえき)は、日本の各自治体と道路管理者が連携して設置し、国土交通省(制度開始時は建設省)により登録された、商業施設・休憩施設・地域振興施設・駐車場等が一体となった道路施設である。道路利用者のための「休憩機能」、道路利用者や地域の人々のための「情報発信機能」、道の駅を核としてその地域の町同士が連携する「地域の連携機能」という3つの機能を併せ持ち、2018年4月25日付時点の全国登録数は、1,145箇所ある[1]。」
と書かれている。
同じくWiki日本語版「道の駅」の概要第1節第2節「
日本でも昭和期にモータリゼーションの進展によって長距離ドライブをする人々が増えたが、安全に長距離ドライブを行うには ある程度の距離や時間ごとにドライバーが休息することが必要である。従来高速道路には24時間自由に利用できる休憩所であるサービスエリア(SA) やパーキングエリア (PA) が整備されてきたのに対し、どこでも立ち寄ることのできる一般道では自動車走行に適した道路改良を主眼に置いた整備が優先され、SAのような施設は重要視されてなかったたことから、公的で24時間開いている休憩所はほとんど存在しなかった[2][3]。民間経営によるレストランや売店を併設したドライブインが休憩所の役目も担っていたものの、実質的にはドライブインの利用者しか使えず[4]、しかも24時間自由に利用できるものではなかった。
道の駅」の制度が創設された背景には、時代の流れとともに、レジャーの多様化によって長距離ドライブを楽しむ人が増えてきたため、一般道路にも誰もが24時間自由に利用できる休憩施設が長らく求められていたことや、その休憩施設を駐車場、トイレ、レストランなどドライバーたちのためだけのものではなく、その地域の文化・名所・特産物などを活用したサービスを提供し、道路利用者や地域の人々の情報交流や、地域連携と活力ある地域づくりを促進し、その地域の活性化をはかることが狙いでもある[2]。」
つまり、道路設置者である国(国道)や自治体(都道府県や市町村)は、『一般道に於ける(高速道路に於けるPA/SAの様な)ドライバーたちの為の駐車場、トイレ、レストランなどを備えた休憩施設」として、『その地域の文化・名所・特産物などを活用したサービスを提供し、ドライバーたちと、地域の人々の情報交流や、地域連携と活力ある地域づくりを促進し、その地域の活性化をはかること』と『その地域の文化・名所・特産物などを活用したサービスを提供し、ドライバーたちのためだけのものではなく、地域の人々の情報交流や、地域連携と活力ある地域づくりを促進し、その地域の活性化をはかること』を目的に設置されたのだろう。
ハイウエイオアシスや道の駅併設ではない高速道路のSA/PAは、純然と『安全に長距離ドライブを行うには ある程度の距離や時間ごとにドライバーが休息することが必要である』と云う必要不可欠なサービスをのみ提供すれば事足りるのと異なり、道の駅の機能には『ドライバーたちのためだけのものではなく、地域の人々』や『地域連携と活力ある地域づくりを促進』や『その地域の活性化をはかること』が加わっているのだろう。
では、道の駅設置の目的に反するフリーライダーとは何かと云うと、現代文的解釈では「休息を目的にしない駐車」「その地域の文化・名所・特産物を知ろうとしない利用」であり、ドライバーたちのためだけのものではないとすれば「地域に貢献しない利用」もフリーライダーの誹りを受ける事になるのだろう。
それだから、道の駅車中泊者マナーを説く多くのサイト(車中泊マナー等で検索されるWebサイト等)では、仮眠は良いが長期の滞在やキャンプ行為はダメだと書かれているのだろう。勿論、持ち込みゴミの投棄やキャンピングカーの汚水の処理やトイレや洗面所施設の目的外の利用等は言うに及ばず、盗電に至ってはマナー違反ではなく犯罪行為である。
唯、多くの道の駅車中泊者マナーを説くサイトで抜けている視点は、『一般道に於ける(高速道路に於けるPA/SAの様な)ドライバーたちの為の駐車場、トイレ、レストランなどを備えた休憩施設」である道の駅の設置目的を充足させる為に、施設の営業が終わってから来場して車中泊をさせて頂き施設の営業が開始され前に立ち去るのがマナーだとして、「その地域の文化・名所・特産物を知ろうとしない利用」「地域に貢献しない利用」には無頓着に思えてならない。
道の駅は、日本の各自治体と道路管理者が連携して設置したモノ(設置者の98%は自治体)だが、施設を実際に運営している主体は、委託を受けた民間事業者やら自治体やら様々なケースが在ろう(自治体15%、第三セクター30%、観光施設管理協会、地域振興財団等の財団法人へ委託10%、JAや民間企業等への指定管理者への委託44%、等々)となっている。それらが、道の駅の駐車場、トイレ、レストランなどを備えた施設を運営している運営費用は施設の運営利益から支出される事が望ましい。だからこそ、経済学用語であるフリーライダーが問題となるのだ。
施設の運営者にとっては「ドライバーたちの為の駐車場、トイレ」の管理費・ゴミ処理費用は必要悪であり、昨今の地域経済の不活性化に起因する不景気の中で、ここの部分をフリーライダーにタダで使われる事が気になってしまうのカモ知れない。(ま、それ以前に、タダ乗りのフリーライダーに施設を汚されゴミを不法投棄され美観を損ねられ御客様の為の駐車場を占拠されている現状を打破しないと、正常な御客様の来場機会を失すると思うのだろう)
そして、これが道の駅での車中泊を許さない世論の最大の理由だが、日本人はフリーライダーに厳しい傾向が強いのだそうだ。これはWikiの受け売りだけでは無いが、Wiki日本語版フリーライダー 実験経済学上での類例の全文を引用しよう。
『上述の公共経済学におけるフリーライダー論(正の外部性を有しつつ排除性を有しない財をその対象とする)とは異なるが、実験経済学での日米比較実験によると、日本人はアメリカ人と比べ、自分が損をしてもフリーライドする人の足を引っ張る傾向にある[2]。たとえば、友人と2人でアルバイトを始めるにあたり、店を選ぶ決定権が自分にある場合、自分も友人も10万円もらえる店Aと、自分は9万9千円もらえるが友人は8万円しかもらえない店Bがあれば、約1割の日本人がBを選択する。 この傾向は小学生低学年には見られなかったことから、ある程度年齢を経るにつれ、徐々に得られるものだと思われる。また日米の大学院生を対象とした同様の実験では[3]、日本の学生はアメリカの学生に比べて、自分の利益をかなり下げてでも、参加をしない相手に損をさせようとする傾向が高いという実験結果となった。そこから得られた示唆として、公共経済に対するフリーライダーのあり方にも、日本では独特の背景があるとしており、「日本の社会ではみんなで仲良く協力してコトにあたっているのではなく、協力しないと後が怖い、というところでしょうか」と結論している。』
日本人社会は貧困者が貧困者を叩くスパイト(いじわる)行動が顕著である事が、道の駅での車中泊を許容できない世論を醸成しているのカモ知れない。実験経済学として,
比較された北米よりも日本人は「たとえ自分が損をしてでも、ほかの人が得をすることを許さない」傾向が強いと西條辰義(経済学者。現 高知工科大学マネジメント学部教授)が分析している。
日本人は「いじわる」がお好き?!
貧困者が貧困者を叩くスパイト行動の例としては、生活保護受給者のパチンコ問題や喫煙飲酒問題等が想起されるが、他にも生活保護世帯の学童・学生に於ける教育を受ける機会にも波及する。
この(自分自身が損をしてでも、ほかの人が得をすることを許さない)傾向の事を「
囚人のジレンマ」と呼ぶ。
Wiki日本語版によると「囚人のジレンマ(しゅうじんのジレンマ、英: prisoners' dilemma)とは、ゲーム理論におけるゲームの1つ。お互い協力する方が協力しないよりもよい結果になることが分かっていても、協力しない者が利益を得る状況では互いに協力しなくなる、というジレンマである[1]。各個人が合理的に選択した結果(ナッシュ均衡)が社会全体にとって望ましい結果(パレート最適)にならないので、社会的ジレンマとも呼ばれる[2]。」
この傾向こそが、島国根性(他国と交流の少ない島国に住む国民にありがちな、視野が狭く閉鎖的でこせこせした性質や考え方)なのカモ知れない。EUからの離脱を決めた英国の国民投票を左右した原動力も「たとえ自分が損をしてでも、ほかの人が得をすることを許さない」と云う「貧困者が貧困者を叩くスパイト(いじわる)行動」が原因である事を除外できない。
だから、多くの道の駅での車中泊マナーを説くサイトで忘れた事にしている視点とは、施設運営者の運営を助ける利用法を心掛けると云う視点なのだ。施設を汚さない壊さない経費を増やさないと云う視点は素晴らしいが云うに及ばず当たり前の事で、それ以外に、設置者の利益・運営者の利益・周辺経済圏の利益に成る利用法を道の駅での車中泊者が積極的に行う事で、道の駅での車中泊者はフリーライダーではなくなるのだ。
因みに、道の駅設置勘案の際して想定されている望まれる利用者1人辺りの支出額とは、地域毎に大きく幅があるが600円〜1500円である。そして、統計上から(携行する荷物が少ない?)観光バス乗客の利用額が多く、商業施設閉店後から開店前しか滞在しない車中泊利用者が最も少ない事になる筈だ。
施設運営者に望まれる車中泊旅行者とは、当然の事として施設を汚さない壊さない経費を増やさないと云ったマナーを守り、メインの御客様である観光バスや車中泊をしない旅行者や地域周辺住民が到来する時間帯には施設駐車場を占有せず1人辺り最低600円〜1500円は施設の売上に協力する人々なのだろう。
私は兼ねてから、一宿の恩義に報いるには当該施設での食事利用と土産物の購入と共に、周辺観光施設の有料利用を自らに課している。日本社会がフリーライダーを許容しない社会である事を、我々フリーライダーの立場から問題視する事は本末転倒だ。だから、施設設置者の設置目的に適う利用と共に俗に云われる車中泊マナーを守った上で施設運営者の運営の目的を充足する(売上に協力する)事を遵守すれば、キャンピングカーに依る車中泊者がフリーライダーでは無いと認識されるだろう。
RVパークや様々な車中泊駐車場を展開する国内の多くのキャンピングカービルダーやプロモーターが所属する日本RV協会主催の「
くるま旅クラブ」と云った老舗の他に、様々な車関係企業や車中泊関連企業が主催する車中泊駐車場斡旋サイトが次々に誕生しつつある。くるま旅クラブのRVパークや湯YOUパーク(温泉施設の駐車場で車中泊を愉しめる制度)を幾度か利用してくるま旅の愉しみ方が大きく広がったと思っている。
新参では
Carstay(カーステイ)等が、既にWebサービスを開始している。Carstay(カーステイ)のサービス内容は同Webページ依ると「
Carstay(カーステイ)は、
快適に車中泊・テント泊をして、車旅をもっと楽しみたい旅行者と、駐車場・空き地を貸して収益化したいオーナーを繋ぐシェアリングサービスです。」とある。民間の企業や個人の占有する(所有に限らない)車中泊用地とは、店舗や会社の所有する駐車場や、個人宅の庭先の空きスペースでの車中泊を、更には、企業や個人宅が別の駐車場運営会社から月極めで借りている駐車場をも車中泊用地として貸し出す事も想定しているのだそうだ。
他のキャンピングビルダーやキャンピングカープロモーター、並びに、キャンピングカーレンタル会社や大手カー用品店グループも参入して有料での車中泊場所の斡旋を画策している。一般車の駐車場に於けるシェアリングエコノミー(事前予約制格安駐車場)同様に、民間の企業や個人の占有する(所有に限らない)車中泊用地をネット予約して時間貸しするサービスを展開する様だ。
現時点では駐車場内での車中泊をグレーゾーンとしている大手コイン駐車場グループも、車中泊を前提にしたくるま旅への取り組み開始を模索していると聞く。
そして、この流れは日本に於けるマイノリティーである車中泊を前提したくるま旅を愉しんでいた人々の声に応えたと云うよりも、インバウンド需要・・・比較的治安の良い日本ならではの自由な移動手段としてのレンタカーで車中泊しながら各地を旅行すると云う要望に応えてなのだろう。その証拠に、全世界規模のキャンピングカーレンタル企業複数社が日本での営業を開始している。
一部の道の駅が車中泊者を締め出しても、少子高齢化で人口減少が進む中でも今後車中泊者は増えていくと予想され、米国の様な公共駐車場での車中泊禁止を制度化する時期は逸したと思う。だから、受忍限度を超えたから利用者側の遠慮を車中泊者を締め出すと云う道の駅施設側の対応では、車中泊旅行者の車中泊場所として認知されていた筈の施設の翻意に依り、日本全体で考えれば道の駅問題を他に押し付けたダケとなってしまうだろう。日本人(日本在住者)にも来日FIT(海外個人旅行)者にも望ましい車中泊マナーを啓蒙する機関として、今後雨後の筍の様に登場する民間組織にだけ責任を押し付けるだけではなく車中泊ブームの火付け役として第一人者的存在として、道の駅設置者側もマナーの良い施設運営に協力する望ましい車中泊者を育てる努力を怠り逃げ出すだけではなく、自らの存続も賭けて道の駅施設の設置目的に沿う活動を行うべき時期に至っていると思うのだ。
この段に及んで日本の車中泊問題は、マナーの悪い少数の車中泊者の為に多くのマナーを守る車中泊者が迫害を受けていると云う様相から、文化の違いから日本固有の車中泊マナー等想像もつかない外国人旅行者の或る意味「旅の恥はかき捨て的」な突飛な行動が引き起こすだろう混乱も加っていくだろうから、今後は益々キャンピングカーお断りの施設が増えていく事が予想される。
長い論旨不明瞭な文章となってしまったが、自分なりに論旨をまとめてみよう。
日本社会は、島国根性・・・村八分や陰口、足の引っ張り合いなどの「恥ずべき文化」を駆使して秩序を維持してきた延長として、礼儀正しい社会へと進歩してきた。だが、その本質は相手の立場を思い遣ると云うよりも「自分自身が損をしてでも、ほかの人が得をすることを許さない」との制約を自分自身と他者に及ぼした結果である。だから、道の駅問題(?)を解決に導く為には、車中泊者自身が車中泊マナーを守りフリーライダー化しない(公共財にタダ乗りしない)自制を課す事が重要だが、今後は来日FIT(海外個人旅行)者の増大が予測される事から車中泊問題を問題視する施設設置者や施設運営者の側からも、日本の車中泊慣習や望まれる車中泊者像を積極的にアピールする必要性が迫られている。
道の駅での全般の車中泊者対策の原資として、車中泊用パーキングチケットを購入しフロントガラス内側に貼り付けると云う取り組みを対応可能な道の駅で順次実施していけば良いと思う。当面、車中泊用パーキングチケットは強制ではなく任意購入方式で良いと思う。日本社会は「囚人のジレンマ」である「自分自身が損をしてでも、ほかの人が得をすることを許さない」との制約が作り上げた礼儀正しい社会である。他の方法で望ましい車中泊者を啓蒙するよりも最も日本らしいと思われる。
今後、雨後の筍の様に登場するであろう営利目的の民間組織と比べて、現在の道の駅側は割ける対策費も僅かだろう。だから、道の駅側も日本の車中泊慣習や望まれる車中泊者像を積極的にアピールする為の原資が必要となるだろう。だから、施設整備に少なからぬ費用が掛かるRVパークを徐々に増やしていく方法では全く追い付かない。現状の道の駅の駐車場のまま最小限の設備投資で資金回収を図る必要があると思う。
全国に展開するコインパーキングでは、入庫車がフリーライダー化する(駐車料金を払わずに逃げ出す)事を防止する為にゲートやフラップ式ロック装置を備えているが、駐車場設置が短期間であるとか設備投資に費用を掛けたく無い場合にはロック装置の無いパーキングチケット自販機だけを設置したコインパーキングも登場している。又、各自治体公安委員会も路側のパーキングチケット自販機での限定的駐車違反免除措置を実施している。そんな風なパーキングチケット自販機を道の駅にも設置して、車中泊利用者には任意に購入してフロントガラス内側に貼って頂く風習を開始すれば良いと思う。そのパーキングチケットには、許諾する車中泊可能時間帯(例えば、20時〜翌10時とか)を印字しておくとか、施設で使える割引クーポンを印字しておくとかすれば、「囚人のジレンマ」が発動して車中泊者は少なからず貼りたくなってしまうだろう。強制では無いので或る程度の原資が集まる迄は時間を要するだろうが、車中泊者限定の駐車場施設整備協力金的な意味合いで開始しても、マナーの良い日本人の多くが必要悪として購入してくれる筈だ。そして、最初の内は、強制では無い車中泊許諾チケットの売行きは悪くても、貧困者が貧困者を叩くスパイト行動が顕著な日本人の性質や日本社会の進歩の道筋通りの進化を経て、大部分の車中泊者が進んで車中泊許諾チケットを買う様になり、自らの選択として当該道の駅の車中泊に於ける制限や制約を受け入れ、その制限や制約に従う様になると思うのだ。但し、その料金設定はその立地及び環境に於ける夜間のみの駐車料金としての妥当な値段+α程度と手心を加えて頂きたいモノだ。
その原資で、望ましい車中泊マナーや望ましい車中泊者像や周辺の観光案内や施設への誘導を行えば、道の駅の設置目的に沿うフリーライダー では無い利用者を増やしていく事が可能となる。勿論、全道の駅規模のスケールメリットで、来日FIT(海外個人旅行)者向けにも和文対訳式の望ましい車中泊マナーや望ましい車中泊者像や周辺の観光案内や施設への誘導を行う事が可能となる。伴い、駐車場占拠が許諾されない日中にも居座る連泊車や3ヶ月も連泊する車上生活者への日本的圧力も加わり、我が国が礼儀正しい社会になったのと同じ経緯を辿り道の駅問題が解決していくと思うのだ。
何でも値上がりする昨今、『道の駅の駐車場に自動車を停めては
車中泊で夜をすごし宿泊費をまるまる節約する』車中泊旅行者は肩身の狭い時代到来となるが、それを嫌って道の駅での車中泊をする人々が減ったとしても、それはそれで道の駅問題(?)の解決でもある。その問題解決の費用負担は、施設側ではなく車中泊旅行者側が負担しないと広く世論の賛同は得られないだろう。車中泊旅行を愉しむ者は、車両購入費・車両維持費・燃料代を支出している、それに加えて1人600円〜1500円程度の売上に協力出来ないのならフリーライダー の誹りは尤もだ。