2018年11月10日土曜日

ボヘミアン・ラプソディーを観た

封切日の金曜日には時間が取れなかったので、翌日の土曜日に夫婦で行ってみた。
(以前はレイトショーまで待っていたが、夫婦50割引のお陰で陽の高い内に映画を観る事が出来て幸せだ)



夫婦共に高校時代にクィーンのレコードアルバムを買っていた。当時はキッス、エアロスミス、クィーンと人気を分けていたが、我々はどちらかと云えばクィーン派だった様だ。中学の頃のベイ・シティー・ローラーズから、高校生になって少し背伸びをしたい頃だった。その後もCDを何枚かも買っていて、今でもマイMacのiTunesにはCDからインポートしたクィーンのアルバムが入っていて、勿論iPhoneにも入れている。

伝説のロックバンドの伝記映画・・・だとすると、最低の出来だと思う。

クィーンの存命メンバーが参画し存命メンバーがフレディ・マーキュリー亡き後を中心に描きたいと希望した為に映画製作は紆余曲折変遷を繰り返し空中分解した経緯があるそうだ。(フレディ・マーキュリー追悼コンサート/ウェンブリー・スタジアム/1992までを製作したがった?)

伝説のロックスターであるフレディ・マーキュリーへの描写も控えめで、最低限の伝記的要素を羅列したに過ぎない陳腐な出来だ。だから、伝説のロックスターであるフレディ・マーキュリーの伝記映画としての専門家の評価は低い。そして、この評価は間違ってはいないと思う。

だが、この映画は超オススメだ。でも是非、音響環境の良い映画館で御覧頂きたい

クィーンの楽曲を聞いた事が無い人は、凡そ日本には存在しない筈だ。TVCMでも多く使われていて作中で流れる曲の大部分を御存知だと思う。超早回しの最低限レベルの伝記映画の後、ラスト21分の圧巻のライブエイドシーンには、何故か涙が流れてしまった。


2018年11月8日木曜日

【南海トラフ】紀伊半島〜四国で「スロースリップ継続中」プレート内でM5

【南海トラフ】紀伊半島〜四国で「スロースリップ継続中」プレート内でM5 (ハザードラボWeb)2018年11月07日 18時10分


上記URL引用記事では




「 近い将来に発生する可能性が高い南海トラフ地震について、気象庁は7日、『先月から今月にかけて紀伊半島から四国で相次いでいる最大マグニチュード(M)5.4の地震は、フィリピン海プレートが沈み込む境界内で発生したスロースリップが引き起こした可能性が高い』と明らかにした。」




と煽ってみたが






但し、「気象庁はこれらの観測結果について、『現時点では南海トラフ沿いで巨大地震が発生する可能性が平常時と比べて相対的に高まったとは言えない』として、引き続き観測を続けている。」




と、切迫感は無いと纏めている。




西南日本に発生する深部低周波微動の活動概況はずっと以前から報告が挙がっている。私の別ブログでも6年前に記事にしている。

拙別ブログ過去記事「ゆっくり地震 2012-03-16 20:52:41 | 独り言

スロースロップ地震の学術的情報はWikiに譲るが、スロースリップ地震が巨大地震の短期的な前兆現象であるとの知見は無い。スロースリップやサイレント地震が起き続ける事で、プレート同士の境界面の一部が強い圧力によって密着して固定(固着)され、数十年から数百年の間圧力を溜め込んで動かない固着域(アスペリティ)が、溜まった圧力に抗しきれず破壊されて一気に動く事でプレート境界型巨大地震が発生すると云う説が最有力だ。その固着域(アスペリティ)の正体は、私は海洋プレート内の火山島や海山だと予てから(学生だった30年以上前に)思っていたが、先日別ブログ過去記事に地震学者の方から頂いたコメントで火山島や海山の根っ子は逆にコロやベアリングの球の様に滑りを良くする働き・・・地震波を伴うスロースリップ地震を引き起こす遷移領域・・・静的に不安定破壊を起こす部分だと教わった。最新の知見での固着域(アスペリティ)とは、圧縮され続けた高温により溶着された比較的平らな面だと予測されているそうだ。(尚、他にも固着していない平らな面でサイレント地震・・・静的に破壊を伴わない滑り・・・地震波を発生させないスロースリップが発生している)

何にしろ、スロースリップやサイレント地震は長期的にはアスペリティで強い強震動を発生させるメカニズムにエネルギーが溜まっている目安には成り得るだろうが、現在の科学力では、動的な不安定破壊を起こす降伏点迄の残りゲージ(目安)は発見されていない。

その降伏点はプレートの性質(温度や強度や弾性や密度等々)に拠って変わるだろうから、これからプレート内ボーリング等で資料を集め、実際に発生する地震で答え合わせをし続けて知見を集めていく段階にあるのだろう。


上画像は、GNSS 連続観測システム(GEONET)が捉えた1997年4月から2017年3月時点での日本列島の地殻変動なのだが、この図から1年3ヶ月後の大阪府北部地震、1年半後の北海道胆振東部地震にも何となく納得がいくが、何よりもスロースリップやサイレント地震が多発している和歌山県・南西諸島の地殻変動が著しく素人目には巨大地震への切迫感が高そうに見える。

我々の科学力では地震予知は敵わないとは言うものの、防災の備えの必要性は強く感じ取る事が出来そうだ。防災の備えとは、発災後に楽に生活する事を目指しがちだが、それは大きな間違いだ。発災を生きて乗り越える為の方策こそが防災の備えである。水や食料の備蓄の前に、倒れそうな家具の固定、倒れそうな家具の側で就寝しない、飛散したガラスでの受傷防止、職場や通勤途中で身を守るシミュレーション等々にこそ注意を注ぐべきだと思う。

2018年10月29日月曜日

外国人観光客にはドシドシ声を掛けるべし

先日の記事に対して、複数のメールを頂いた。もし私の予言する様に、今後はFIT(
海外個人旅行)者がキャンピングカーで国内旅行をするケースが増えると国内のキャンピングカーユーザーも迷惑を受ける事が増える・・・のなら、どう対処すれば良いのか?・・・と云う御質問である。

そんな大それた事を市井の一般人の私に決める事は出来ないが、自分自身で出来る事と、行政にしか出来ない事を分けて考えるしか無いだろう。基本的に、第一義的には外国人旅行者誘致を管轄している国交省のお仕事だと思う。飛行機や船で入国してきた外国人全員に日本国内のマナー集を渡して頂くのが良いだろうが、そんな冊子に車中泊マナー等のレンタル・キャンピングカーでしか起き得ない問題を列挙するスペースは無いだろう。だから、レンタカー業者やレンタル・キャンピングカー業者が車両引き渡し時に、多国語表記の車中泊マナーやキャンピングカーべからず集を渡す様に国交省とレンタカー業界がタッグを組んで取り組んでもらうしか無い。

でも、恐らく実際は、車両の説明や宿泊可能施設の検索方法に終始して。マナーや禁止事項の説明には至らない筈だ。

だから、その後は、国民の義務なのだろうか?

先日の記事に書いた通り、日本社会が世界に誇れるお行儀の良い国になった理由は、日本人の島国根性・・・村八分や陰口、足の引っ張り合いなどの「恥ずべき文化」を駆使して「無礼」な人間に対する激しい迫害が行われ、出る杭として打たれない様に虚礼として礼儀正しく振舞っているダケだと思っている。この背景の上に、日本流のいじめの構図が存在するので、いじめ問題の解決方法も「いじめる方が悪い」と云う正論だけでは絶対に解決しない。だから、日本流の躾を短期滞在の外国人旅行者に施すには、申し訳ないが意図的な迫害を加えるしか無いと思うのだ。

日本社会でも、子供に対しては村八分や陰口、足の引っ張り合い等々の「恥ずべき文化」を駆使して迫害する風にはなっていない。子供は社会全体の財産として我が子に諭す様に怒鳴りつけるのが日本流だった筈。だから、町内には怖いオッサンが居て、挨拶をしない子供やゴミをポイ捨てする子供や、マナーを守らない子供には、野太い声で怒鳴りつけてきた。(今なら児童虐待事案として通報されるらしいが・・・)

我々が選挙で選んだ国家行政が誘致した外国人旅行者なのだから、我々にも責任の一端は存在する。マナーに反する外国人旅行者を見掛けたら、町内の頑固ジジイの様に怒鳴りつけてやれば良いのだ。1人が怒鳴りつけても効果が薄いが、同じマナー違反を続けたら次々と日本人に怒鳴りつけられる事が続けば、その国の旅行ガイドにも日本のマナー集・べからず集が乗るかも知れないでは無いか?

私自身は一言居士なので、マナーの悪い外国人観光客にはカタコト英語でも一声かける派である。国際交流には興味が無いのでマナーの良い外国人には特に声を描けない。目があったら軽く会釈する程度が奥ゆかしい日本人的で良いだろうと思っている。

並んでます。並んで下さい。      We are in line. Q please.

ここは左側通行です        Keep to the left.

ここは有料です。       Here is a fee.

神聖な場所なので静かに!   Quietly , this is a sacred place.

写真を撮るな!と書いてある  There wrote , don't take a picture.

ゴミを捨てるな!       No litter.

(指示に従ってくれたら)   
ご協力に感謝します      Thank you for your cooperation.

無視されたら         「◯◯しないでって頼んだのに、こいつ無視したぜ!」
               と大声で周りの人に日本語で云う。村八分や陰口
               好きの日本人は必ず応じて一緒に非難してくれる。

又、過去記事にも書いた通り、旅行者には守れない規則が存在する。特に、ごみ収集等に関しては、その地域に住んでいる住民の税金で公共サービスが行われているので住民以外がゴミを捨てるには問題があるとする意見が多い。だからか・・・

高速道路のサービスエリアのトイレの洗面台で釜を洗っていたのは、どう見ても車中泊旅行者ではなく観光バスの団体旅行者だった。峠の釜めし本舗おぎのやの店舗なら食べた後の釜を洗ってくれる無料サービスがあるが、観光バス車内で配られた峠の釜めしの包装紙に書いてある通り、釜を持ち帰ったら家で御飯が炊けるを試す為には、釜を洗って持ち帰るしか無い・・・のだろう。

観光バスでの旅行の際に、あっちこっちの立ち寄り先では名物の軽食を販売している。特に観光バスの旅行者向けには、旅行社からの斡旋込みなので熱心に販売して下さる。そんな食べガラは、次の土産物販売軽食販売の斡旋契約先なら快く捨てさせて下さるが、単なるトイレ休憩で立ち寄ったドライブインでは断られた事があった。(因みに、その観光バス旅行の間のゴミはバスガイドさんは快く引き受けてくれたが、バスが高速に上がって最初のサービスエリアで人数分の弁当ガラとペットボトルと空き缶が分別されずに大袋に入れられゴミ箱の前に放置された)

京都観光の合間に、テイクアウトスイーツを買って食べたのは良いが、その食べガラを捨てる場所がナカナカ見つからない。別のテイクアウト軽食の店で商品を買った際ですら持ち込みゴミだと拒否された事がある(変に丁寧な京都風の言い訳付で断られたのが更に不快だった)。まさか旅館かホテルに帰るまでゴミを持ち帰れと云うツモリなのだろうか?

管理事務所が付いた分譲別荘なら自治体のゴミ収集日に限らず管理棟のゴミステーションにゴミ出しが出来るのだろうが、単独の別荘に週末訪れるとゴミ収集日では無い日曜日に規則違反をしてゴミ出しして帰るしか無いだろうし、収集日に出せないゴミを持ち帰れと云うなら、生ゴミと一緒に電車に乗らなければならない事になる。

キャンピングカーでキャラバンをしていると、ついつい内食をしてゴミ出しに困る事になる。そんな際にオートキャンプ場泊やRVパーク泊を入れるとゴミ出しが出来て良いのだが、GWや盆休みの繁雑期にはオートキャンプ場泊やRVパーク泊の予約が取れない事がある。(でも官営オートキャンプ場では・・・事情を話せばゴミ出しやトイレタンクのダンプの許可が頂けるケースが多い・・・と云うか断られた事は一度も無い。外食は全くゴミが出ないし、中食なら大手のスーパーなら洗浄した食品トレーは資源ごみとして引き受けてくれるのでキャンピングカーのギャレーは食品トレーの洗浄用に不可欠カモ?)

もし本気で住民以外はゴミを捨てるなと徹底するのなら、ゴミが発生する飲食物を売ってはダメだ。守る事が困難なルールを破る事がマナー違反と云うのなら、観光客は呼ばない方が良いだろう。

最近、スペインで最も多くの観光客が訪れるバルセロナや、世界的な観光都市であるイタリアのベネチアなどで、相次いで住民による観光産業に対するデモがあったと報道された。同様に、日本の京都市でも流入する観光客が住民税で賄っている行政支出に悪影響を及ぼしているとの声が挙がっている。
前述のスペインやイタリアに限らず、行政が呼んだ外国人観光客に伴うマイナス部分への対処の為、多くの国ではホテル等での宿泊税等を徴収している。(但し、ドミトリー ≒ ユース方式の民泊では宿泊税が掛からないので問題になってもいる)勿論、入国税も徴収している。それを行政が但しく運用すれば問題解決となる筈だが、実はそうでも無い。
観光は産業なので、その産業に携わる人々にとっては飯の種であっても、その産業とは無関係な人々にとっては一方的な迷惑でしか無い。過去記事に書いたが、我が家の前は妹尾川土手沿いに桜並木が存在して桜のシーズンには花見客がやってくる。狭い道路に無余地駐車したりカラオケで騒いだりゴミを放置して帰ったり酔っ払いがトイレを貸せとやってくる。実に一方的な迷惑でしか無い。だから京都市民の気持ちが理解できない訳では無い。

第3回未来の公共交通まちづくり 検討部会 - 京都市



流入自動車抑制政策として、将来的に京都市に流入するETC(高速道路・有料道路等での自動通行料金収受システム)装着車から一定の流入調整金を徴収するべく現在社会実験が開始されている。本来は料金所を設けて全車両から徴収するのが良いのだろうが、大人の事情でETC装着車限定となるらしい。(料金が収受出来なくても何ら制約は無いのでETC未装着車なら料金不要)他にも、流入自動車抑止対策として駐車料金の大幅値上げや駐車容量抑制を行うのだそうだ。
京都市内市街地に2つ目のRVパークが稼働し始めたので、キャンピングカーで京都観光に行きたいと思っていたが、RVパークを利用して京都観光に訪れると宿泊税はどうなるのだろう?もしRVパーク利用者が、宿泊税から免れ得るならフリーライダー化してしまう。入湯税は自動販売機式と云う温泉施設が多いが、宿泊税も自動販売機式になるのだろうか?
但し、自動車流入抑制と宿泊税を課した原資で、京都市は何をするのかが問題となる筈だ。自動車流入税は、今後パーク&ライドを徹底し流入自動車制限を行ったとしてもFIT客のレンタカー対策にはならない気がする。日本の狭い駐車場の枠内に駐車できる技量を国際免許のFIT客に求めるのは酷と云うモノだ。パーク&ライドの案内を効率的に示す方法が最重要となる。そして、バス路線図や鉄道地下鉄路線図のスマホ等での閲覧を前提とした多言語での整備と共に、郊外の鉄道駅最寄りやレンタサイクルステーション最寄りに観光用駐車場やRVパークを数カ所程度に集約して設置する必要性もあるだろう。(バス停脇の観光駐車場やRVパークは・・・)でも、そんな施策に掛かる原資が200円程度では、実効力のある対策には成り得ないと思うのだ。

因みに、先に例を挙げたヨーロッパの観光都市バルセロナの場合居住する住民数は160万人に対して観光客が年間延人数で3200万人、そのスペイン全体で国民4700万人に対して観光客が7500万人訪れている。我が国では国民1億2680万人に対して海外から3000万人弱であり陸続きのヨーロッパの比では無い事から、国家行政が誘致した外国人観光客に対する行政施策のお粗末さが問題の前提にあると思われる。尚、殊スペインのバルセロナを例にすれば、未公認の民泊やホテルの無秩序な増加や、未公認脱法の白タクや観光ガイドを放置した事こそが行政の怠慢だと云う市民デモだった。大量に押し寄せる観光客を排除してくれと云うデモでは無かったので、京都市の市民感情とは少し趣きが異なると思う。

21世紀のキーワードは多様性の容認だ。国内でも日本人観光客のパーソナル化に追従出来ず日本の観光産業はインバウンド頼みとシフトした。でも、外国人旅行者も大人しく通訳付きの観光バスに揺られてやって来る時代は過ぎた。日本の観光産業は広く薄い個人旅行者に満足感を与え、薄利(とは限らないが)多売して収益を得る方向にシフトしなければならない。もう観光バスに乗り合わせてやってくる団体観光客だけを欲するのは時代錯誤では無いだろうか?

RVによる車中泊旅行者への取り組みへの、観光行政や観光産業の対応に期待したい。



2018年10月27日土曜日

車中泊問題(?)の解決策?

日本人は礼儀正しく民度が高いとネット民は曰うのだが、私自身は他国の「民度」と云うモノを推し量った事が無いので良く判らない。が、確かに短期間の旅行で訪れた国々(米国や豪州や中国や韓国等)と比べると電車内や街路に落ちているゴミも少なく、怒鳴り合っている人も少ないとは思う。






レコードチャイナ日本語版に「日本人はなぜこんなに礼儀正しいの?背後にある5つの理由を紐解く」と云う記事があった。










反日記事も多い中国メディアから、こうして日本人を褒められると何となく嬉しくなってしまう。だが、しかし、そんな礼儀正しい日本人が何故車中泊問題を引き起こすのか、が逆に疑問となってしまう。又、そんな礼儀正しい日本人なのに、自動車の運転では他者を思い遣っているとは到底思えない自分勝手な運転をする人が多いと思う。タバコのポイ捨てをする喫煙者は多い(流石に現代では歩きながらタバコを吸える環境も少ないのでタバコのポイ捨てをする歩行者は目撃する事は減っているが)グレーチングや植込み目掛けて吸殻を投げる喫煙者は多し、又、タバコを吸う自動車運転者のポイ捨ては毎日数え切れない程目撃する。








アウトドア系の話題で紡ぐ別ブログでの記事「車中泊問題(?)の解決策はあるのか?」では,
もし本当に日本人(日本在住者)が世界に誇れる程にマナーが良いのなら、何故車中泊問題が発生するのか?を徹夜明けのボンクラ頭で考察してみた。













別ブログ側の読者なら常識かも知れないが、車中泊問題の解説を暫し行いたい。車中泊問題とは、端的に「道の駅」で迷惑行為を行う人々が増えたから車中泊を禁止する道の駅が増えてきた、と云う事である。道の駅での車中泊を画策しない大多数の大多数の日本国民にとっては問題でも何でも無い。本来的に、道の駅は休憩施設であり居眠り運転や過労運転の防止の為の仮眠は許容されているが、そもそも宿泊やキャンプ行為(キャンプ=野営のアウトドアでの宿泊と云う意味ではなくキャンプ行為とは恰もキャンプ場で行うような行為…屋外に椅子を出して寛ぐ・調理をする等々のキャンプ場で行う様な野外活動全般をキャンプ行為とする)は認められていない。この事は、高速道路上のサービスエリア(SA)やパーキングエリア(PA)でも同じである。その道の駅に於いて、設置目的以外の行為である宿泊やキャンプ行為を行う事を禁止する道の駅が出てきた、としたトコロで大部分の国民には何らの影響は及ばない。それどころか、大多数の国民は『道の駅の駐車場に自動車を停めては車中泊で夜をすごし宿泊費をまるまる節約する』車中泊旅行者に対して反感すら抱くだろう。






但し、マスメディアでの扱いは「3ヶ月もの長期間に渡って道の駅の駐車場を占拠し続けるとか、今回の拙記事に於ける車中泊旅行者と同じ範疇に置いても良いのか悪いのかは分からないが、一般の車中泊旅行者と車上生活者を混同しているのカモ知れない。

「道の駅」車中泊の実態…3ヶ月近く滞在も 2018年8月27日 19:21 日テレNEWS24 Web版

だが、車中泊者が押し寄せて困っていると紹介されていた道の駅(九州の某道の駅)で見た光景は、真夏でも涼しい高原の道の駅にひたすら連泊し続けるRV(キャンピングカー)を含む車中泊者の集団だった。そこでは人が生活し続けていく日常が繰り広げられていて、食事の支度、食事、洗濯物を干し、寝具を日干しし、子供達は自転車で駐車場内を走り回っていて土産物を買おうと立ち寄ろうと思っても駐車場の空きが無い状況だった。満車の駐車場での駐車場所を確保する為に、観光や入浴で出かける際にはアウトドアファニチャーで駐車枠を埋め尽くして占有していて、確かにコレでは道の駅での車中泊が問題視されるのは当然だろうと納得した次第。(尚、我が家も涼しい高原で連泊をしたかったので電源付キャンプ場を拠点にしていた)

道の駅とは、一般道に於ける(高速道路上の)『サービスエリア(SA) やパーキングエリア (PA) のような誰もが24時間自由に利用できる休憩施設』として登場した。『その休憩施設を駐車場、トイレ、レストランなどドライバーたちのためだけのものではなく、その地域の文化・名所・特産物などを活用したサービスを提供し、道路利用者や地域の人々の情報交流や、地域連携と活力ある地域づくりを促進し、その地域の活性化をはかること』をも目的とした。

施設としては『道の駅は、24時間利用可能な一定数の駐車スペーストイレ、24時間利用可能な電話、情報提供施設を備えた施設であることが登録の条件となっている[10][3]。また、多くの場合、道路や地域の情報を提供する案内所が置かれ、その他、その地域の自主的工夫のなされた施設が設置され、その地域の文化・名所・特産物などを活用した農産物直売所売店レストランなどのサービスが提供されている[11]。これまでに地域の特色を生かした個性ある道の駅が誕生しており、温泉宿泊施設公園博物館を併設したものなど多様である[2]。規模は高速道路のPAのように小規模なものもあれば、ハイウェイオアシス鉄道駅、温泉施設を併設した規模の大きな道の駅もあり、形態も様々である[4]。なお、わずかだが、冬期は積雪などのため閉鎖される道の駅がある[12]。2004年10月に発生した新潟県中越地震を契機に防災拠点機能が追加されている。主な機能としては、断水時でも使用可能なトイレ、非常食・飲料水の備蓄、停電時の非常用電源の確保等がある[13]。道の駅は、道路管理者の国(地方整備局)や都道府県が基本的な施設である駐車場やトイレを整備し、市町村、またはそれに代わり得る公的な団体(ほとんどは第三セクター)が地域側施設を設置する形が取られる。実際の運営は民間企業が受託する場合もある[14]海の駅と重複登録している施設もある。

『道の駅ができたおかげで、北海道一周・四国一周・九州一周・日本一周など規模の大きい自動車旅行を行う旅行者でも、道の駅の駐車場に自動車を停めては車中泊で夜をすごし宿泊費をまるまる節約することや、宿に気兼ねせず日の出前に出発し先を急ぐということも可能になった。キャンピングカーで道の駅を利用し、地域地域の産物を楽しみつつ、数カ月におよぶような長期の自動車旅行を自由気ままに楽しむ人々もいる。』
(*上の斜字部分は全てWiki日本語版「道の駅」よりの引用)

別ブログでは散々書いてきたが、私の子供時代の亡父との年数回の旅行は殆ど全てが車中泊旅行だった。ヨット好きだった若かりし頃の亡父は小型ヨットの狭い船室で調理や就寝しながらクルーズを愉しんでいたそうだが、それに代わる趣味として半世紀前にフランス トリガノ社のトラベル・トレーラーを買おうと画策していた好き者だった。理解の無い配偶者の猛反対に遭いヨットを手放しトレーラーを諦めさせられたが、放浪好きの血が疼いて年に数回の家族旅行は車中泊旅行だった。その当時、同じく車中泊旅行をしている車中泊仲間に出会った事は無かった。亡父の車中泊スタイルは、当時の道路事情では2〜3日掛かる遠距離の旅の目的地の宿だけ予約していて、その予約日までを自由気ままに車中泊旅行で埋めながら目的地の宿で1〜2泊しつつ観光をセッセとこなして、再び車中泊旅行で帰ってくると云う1週間の旅行を好んでいた。幼少の砌の私はそんな旅行しか知らないので、今でも家族旅行の原風景とはそんな感じだ。

そんな家族旅行の英才教育を受け、亡父譲りの放浪癖のある私は16才でバイクの免許を取り、寝袋とゴミ袋だけを積んでツーリング旅行に出掛ける趣味を持った。当時ツーリングテントは買えなかったので、駅舎のベンチや観光地の東家や商店や民家の軒先で寝袋に包まって旅行していた。(ゴミ袋は寝袋の汚れ防止や夜露での濡れ防止としていた)その後、大学生になり東京と岡山を年に数度移動する様になると買い与えられたセダンタイプの愛車で車中泊する事が当たり前になった。当時のセダンタイプの乗用車は、後部座席後ろにはバルクヘッド(隔壁)があり、その後部にガソリンタンクが取り付けられていて、最近のセダン車両の様なトランクスルー機構は無いので、運転席助手席を一杯に倒して寝るか、後部座席で丸まって寝るかしか方法は無い。(現在のセダン乗用車で車中泊をするノウハウを知っていれば、それでも快適な寝床を作れたカモ知れないが、当時は若さに感けて無加工で車中泊をしていた。それに学生で金が無いので、車中泊時にアイドリングで眠る余裕が無いのでエンジンを止めて、夏は窓全開、冬は愛用の寝袋に包まって寝ていた。帰郷は高速代倹約で一般道経由だったのでドライブインの店先での車中泊、上京は高速道路代を貰えたので高速道路のサービスエリアやパーキングエリアでの車中泊となった。又、帰省した長期の休みには車中泊旅行で旅をしまくったが、この頃(30数年前)には同じく車中泊旅行をする人を少なからず見かける様になっていた。当時には道の駅は無かったが、観光地や景勝地の観光駐車場や、民間のドライブイン等で細々と車中泊旅行をしている方が少し居ると云う程度だった。その頃でもベテランそうな方はアルコールコンロで炊飯をしたりコーヒーを淹れたりなさっていて、学生である私は一方的に御馳走になっていたりした。

そんな旅行しか知れない私が、今のワイフと付き合い始めて、行け!進め!と目的地に向かって猪突猛進して疲れ果てたら緊急避難的に車中泊をして、目が覚めたら再びする行け!進め!と目的地に向かって猪突猛進して疲れ果てたら緊急避難的に車中泊を繰り返している内に目的地に到着している強行軍を旅行とは呼ばないと・・・結婚して2年目の盆休みに懇々と教わった。普通の家庭で育ったワイフは、予定が立てられる場所に宿を確保してでないと旅行には行かないと教わった。で、結婚してから2年目以降は全く旅行に行かない時期が8年ばかり続く事になる。そんなワイフが旅行に行きたいと言い出した事が、我が家のRVデビューのキッカケとなった。私の旅行スタイルである「行け!進め!と目的地に向かって猪突猛進して疲れ果てたら緊急避難的に車中泊」する際に、ワイフの希望である「体を真っ直ぐに伸ばして熟睡出来る寝台」を毎回準備する方法としての最適解は、「体を真っ直ぐに伸ばして熟睡出来る寝台」を携行する方策としてRVを購入した。何台かのRVを乗り継いで、我が家史上、当時の我が家に最良のRVは21ft.のアメリカントラベルトレーラーを牽引する事だった。これで、亡父伝統の旅行スタイル「遠距離の旅の目的地の宿だけ予約していて、その予約日までを自由気ままに車中泊旅行で埋めながら目的地の宿で1〜2泊しつつ観光をセッセとこなして、再び車中泊旅行で帰ってくると云う1週間の旅行」を現地の宿をオートキャンプ場とする事で充足する事が出来た。トイレと「体を真っ直ぐに伸ばして熟睡出来る寝台」を足車で牽いて行くと云うスタイルが、我が家には最良だったので、近くの目的地に行く際も前泊前乗りで朝一から現地で遊ぶと云うスタイルにも昇華していった。当時、子供も小さかったので、何処でも自分のトイレとベッドを携行するスタイルは本当に助かった。そんなこんなで、私は普通車での車中泊歴50年、RVでの車中泊歴20年である。

私の中で、車中泊者が爆発的に増えたと感じたのは「1000円高速」時代である。2009年3月にスタートしたいわゆる「1000円高速」制度だ。 当時の麻生内閣による生活対策、景気刺激策としてETC(自動料金収受システム)の搭載車であれば、土日祝日は大部分の高速道路が「1000円乗り放題」となるこの制度により自動車で遠出する人が爆発的に増え、JRの利用者が大幅に減り、高速道路と接続しない中間経路上の道の駅には閑散として、社会問題となった。この「1000円高速」当初は、我が家はトラベル・トレーラーを牽いていたのでキャンピングカーなら「1000円高速」を満喫できるのに、中型車で牽引する為に大型車料金で高速道路を利用して羨ましく思っていた。が、その後、キャンピングカーに換えたので「1000円高速」を使って鹿児島や青森に車中泊旅行を愉しんだ。余談だが、( WTCへの旅客機突入で白日に晒されたテロへの危機は2006年の事だったが)この頃(2010年)以降に観光駐車場や景勝地駐車場のゴミ箱がテロ対策を理由に一斉に姿を消し始めたと思う。爆発的に増大する車中泊者が捨てる大量のゴミ処理費用を施設管理者側が問題視し始めた頃なのだと思う。丁度、この「1000円高速」末期の高速道路のサービスエリアやパーキングエリア及び高速道路と連絡の良い道の駅駐車場が車中泊旅行者の車で壊滅的に溢れ返ってトイレやレストランの利用が出来ないと云う非常事態を体験した。

この問いは逆説的でもある。マナーが良い日本人が車中泊問題を起こす筈がない。

実は、私自身は「日本人はマナーが良くない」と思っている。実はマナーの悪い日本人は放っておくと自分勝手な行動ばかりするのだ。タバコのポイ捨てをする喫煙者は多い(流石に現代では歩きながらタバコを吸える環境も少ないのでタバコのポイ捨てをする歩行者を目撃する事は減っているが)グレーチング目掛けて吸殻を投げる喫煙者は多く、又、タバコを吸うドライバーのポイ捨ては毎日数え切れない程目撃する。これは喫煙者と云う種族がマナーが悪いのではなく日本人全体がマナーが悪いのだと思う。自動車の中と云う自分自身がクローズアップされない現場では、抵抗なくゴミのポイ捨てやタバコのポイ捨てが出来るのだろう。つまり、自分自身が何処に住む誰かを特定されない環境では、素の日本人像が現れやすいのだ。諺にもある「旅の恥はかき捨て」は、本来は「習慣や風習の違う見知らぬ旅行先では思わぬマナー違反をしてしまうモノだが別に恥じ入る必要はない」とマナー違反をされた側が慰める為に使う言葉なのだが、現代版解釈では『旅先には知人もいないし、長く滞在するわけでもないため、普段ならしないような恥ずかしい言動も、その場限りの事だと思って平気でやってしまうものだ』(大辞林 第三版 - 旅の恥はかき捨ての用語解説 - 旅先では知る人もいないし、長く滞在するわけでもないから、恥をかいてもその場限りのものである。)となっている。その心情の通りに、自分の事を知らない旅行先や、自分自身を特定されない環境では地が出てしまいマナーの悪い行いを平気でしてしまう事が多いのでは無いだろうか?



これが武士道を表す諺だと云えば多くの武士道信奉者から怒られてしまいそうだが・・・「武士は食わねど高楊枝」である。これは「 武士の清貧や体面を重んじる気風」を「やせ我慢」と茶化されているのだが、「 武士の清貧や体面を重んじる気風」には第3者の視線が不可欠となる。曰く、誰も見ていないなら高楊枝の必要が無いからだ。




私の様な年配の方は、50年前の主要国鉄駅のコンコースの光景を思い出して欲しい。朝夕のラッシュ時には床は吐き捨てたタンとタバコの吸殻で酷く汚れていたと思う。この有様は、日本の街は清潔で日本人は礼儀正しいと日本社会を褒めてくれる(現在の)外国よりも荒んでいると思うのだ。それが50年掛けて日本の街は清潔で日本人は礼儀正しいと思われる様になったのは、日本人の島国根性・・・村八分や陰口、足の引っ張り合いなどの「恥ずべき文化」を駆使して秩序を維持してきた延長であると思う。日本人が礼儀正しいのも「無礼」な人間に対する迫害が激しいからだと思う。出る杭を打たれない様に虚礼として礼儀正しくしているだけなのだ。虚礼としての礼儀正しさや正義が罷り通っているので、実際社会や現実とは乖離しているのだが、正義正論の名の下にマナーの悪い人を迫害している側は気がついていないのカモ知れない。




芸能人や政治家等の著名人の不倫問題の顛末を例に挙げる。統計によれば約2割の日本人が不倫経験者らしい。又、日本人の4割が(他人事なら)不倫も仕方がないと許容するのだそうだ。なのに、コンプライアンス強化の企業法務を上手く狙い打てば処罰感情を抱いた極々少数の人(100人〜2000人)のクレームで芸能人は自粛謹慎を余儀なくされ辞職を選ぶ政治家も出てきている。


そこで開き直った私は、日本人(日本在住者)は言う程にマナーの悪い人の比率が少ないのかと考え直してみる事にした。先に引用したレコードチャイナの記事では、先ず第一に「日本人は、特に中国の聖人が制定した厳しい行動準則を何世紀にもわたって代々小さい頃から教え込まれた。彼らは家庭や国のために責任を負わなければならず、その結果、人々は従順となり、ルールの束縛を受けるのに慣れてしまった」と分析している。

この場合の、日本文化に影響を与えた中国の聖人とは孔子だろう。例えば『論語 為政第二」その3には、こう書かれている。

白文
子曰、導之以政、斉之以刑、民免而無恥、導之以徳、斉之以礼、有恥且格。

書き下し文
子曰く、之を導くに政を以ってし、之を斉えるに刑を以ってすれば、民免れて恥なし。之を導くに徳を以ってし、之を斉えるに礼を以ってすれば、恥有りて且つ格し。


意訳
子曰く「人民を導くために政策を用い、また治めるために刑罰をもってすれば、人民は恥ずかしげも無く法律の抜け穴を探すだろう。しかし、徳をもって人民を導き、礼をもって国を治めるならば、人民はその身を正すようになるだろう」

だが、日本人(日本在住者)の構築した社会は、そんな風には思えない。紀元前500年頃に孔子先生が嘆かれた通り、法律の抜け穴探しに躍起になる人々の社会である。なので、レコードチャイナの分析は間違っていると思うのだ。今回のネタは、礼儀正しい社会だと評される日本社会の根源を掘り下げてみたい。(本来は、車中泊と云う別ブログ向けのネタなのだが、gooブログの10000字制限を超えそうなのでコチラで扱う)

私自身が物凄いマナーの悪い車中泊者を目撃したのは、今から約20年前の盆休みの和歌山県での事だ。娘と仲の良い娘さんがいらっしゃるキャンプ仲間とトラベル・トレーラーを牽いて和歌山県のプール付キャンプ場に行き連泊した事がある。当時はキャンプ場がWebページを持つ時代では無かったのでサイト風景は全き想像のみで、その1泊7000円の電源サイトは相当に羊頭狗肉だった。区画サイトと言いつつ通路は無いのでトレーラーを設置してサイドオーニングを出したら、その横にはテントキャンパーの方が連結テントを並べていく・・・避難民キャンプの様なサイトだった。

でも、そこを拠点に2泊3日滞在(実は、4泊5日で予約していたが、2泊3日目の隣サイトの方の撤収のタイミングでトレーラーを出さないと脱出できない程の大混雑だったので、通路に面した隣サイトの方が出たタイミングで逃げ出したと言うのが正解)する間に、和歌山県観光の合間に見た海沿いの観光駐車場を埋め尽くす車中泊者の生態にはカルチャーショック的な大きな衝撃を受けた。

和歌山県南岸は、高知県南岸と同じく奇異な絶景が続く奇岩の宝庫であり随所に奇岩奇景を観望する観光駐車場が整備されているのだが、その全てに我々と同じアウトドア愛好家が思い思いキャンプをしていた。観光地の駐車場で連泊して占拠し通路も残さずスクリーンテントで埋め尽くしトイレの照明器具を破壊して盗電していた。休憩用の椅子テーブルはバーベキュー台代わりに炭火が燃え、施設のゴミ箱にはうず高くキャンプゴミが積み上げられて、洗面台からはアチコチのグループにホースで水が引かれ、吐瀉物が散見されるトイレ中には多くの電気炊飯器が並んで湯気を立てていた。で、ブレーカーが落ちたら、スルスルと電柱に登って柱上トランスから手際良く電線を引いてくる超ウルトラCも展開していた。

当時は折しもアウトドブーム真っ盛りで、キャンプ場の予約を取る為には予約開始日(利用日の半年前やら3ヶ月前)の朝から電話を架けまくって取れるか取れないかの狂想曲が繰り広げられた時期だった。我が家も件の難民キャンプの様な1泊7000円の電源サイトを確保する為に奥方様方の体験ダイビングが決まった数ヶ月前に何度か電話して確保した位に大ブームだった。だからと言っても、その有り様はもの凄い。観光地の駐車場なので、そこに車を横付けしない限り観光地には行けないので、止む無く立ち寄った小さな女の子連れの私などは身の危険を感じる程の狂乱集団と思えた。

流石に、このレベルのマナーの悪い車中泊者集団は他で見た事は無い。同道した奈良県のキャンプ仲間の方の解説では、ここでPキャン狂想曲を繰り広げているのは大部分が大阪府民だと教わり、豈図らんや「泉」プレートが多かったので妙に納得した次第。この体験から長年和歌山県を訪ねようとは思わずにいたが、先日高野山からの流れで和歌山県南岸部を訪ねたのだが、件の景勝地の観光駐車場の多くはロープやバリケードで駐車場が閉鎖されていて、それでもバリケードを強制撤去して駐車場余地でキャンプをする風習は残っている様だが恐怖を覚える大集団で駐車場を占拠する光景はもう見られなかった。

20年前に和歌山県南岸随所でキャンプ祭りを繰り広げていたのは紛う事なく日本人(日本在住者)である筈だが、「民免而無恥」ではなく盗電等の罪を犯していたと思う。又、当時の話だがトラベルトレーラーのオフ会で出会った方の中にも、車中泊時に自販機のコンセントを抜いて分岐させて盗電していると公言していた方がいた。車中泊マナー集に盗電はしないと明記しなければならない程に盗電が多いのだろう。ここら辺を見ても、決して日本人はマナーが良いとは言えないのでは無いだろうか?


経済学部出身の私だが不勉強で知らなかったが、経済学用語にフリーライダーと言う言葉があるそうだ。Wiki日本語版からフリーライダー(経済学用語)概要部分を全文引用する。



経済学においては、ことに公共財のように非排除性があるサービスについて、対価(供給のための費用)を支払わないで便益を享受する者を指す用語である。一般的に、物財やサービスは、対価を支払った者に限り便益を受けることができる。これを財の排除性という。しかし、他の経済主体に有利に働く正の外部性を有する財のなかには、公共財や情報財(例:ウィキペディア)のような排除性を有しない財がある。たとえば純粋公共財である消火活動や治安・国防などは、対象になる利用者を限定することが難しい(非排除性)。誰かが費用を負担してサービスを供給すれば、負担していない人も便益を受けられる。結果として、供給のための費用を負担する誘引は働かず、みながただ乗りをしようとするようになる。そのため、市場経済に任せた場合、これらの正の外部性を伴うサービスの供給が著しく過少になるという問題が生じる。しかしながら、必要不可欠なサービスである。そこで租税により、便益に関わらず広く負担を募り、公共サービスを提供し社会的需要を満たす。これらのサービスを提供するのは、租税によって活動する公共性の高い主体(政府や地方自治体)である。

とある。非常に難しい問題だが、これを件の道の駅問題に置き換えてみよう。道の駅とは、同じくWiki日本語版から前文を引用すると
道の駅(みちのえき)は、日本の各自治体と道路管理者が連携して設置し、国土交通省(制度開始時は建設省)により登録された、商業施設・休憩施設・地域振興施設・駐車場等が一体となった道路施設である。道路利用者のための「休憩機能」、道路利用者や地域の人々のための「情報発信機能」、道の駅を核としてその地域の町同士が連携する「地域の連携機能」という3つの機能を併せ持ち、2018年4月25日付時点の全国登録数は、1,145箇所ある[1]。
と書かれている。

同じくWiki日本語版「道の駅」の概要第1節第2節「日本でも昭和期にモータリゼーションの進展によって長距離ドライブをする人々が増えたが、安全に長距離ドライブを行うには ある程度の距離や時間ごとにドライバーが休息することが必要である。従来高速道路には24時間自由に利用できる休憩所であるサービスエリア(SA) やパーキングエリア (PA) が整備されてきたのに対し、どこでも立ち寄ることのできる一般道では自動車走行に適した道路改良を主眼に置いた整備が優先され、SAのような施設は重要視されてなかったたことから、公的で24時間開いている休憩所はほとんど存在しなかった[2][3]。民間経営によるレストランや売店を併設したドライブインが休憩所の役目も担っていたものの、実質的にはドライブインの利用者しか使えず[4]、しかも24時間自由に利用できるものではなかった。

道の駅」の制度が創設された背景には、時代の流れとともに、レジャーの多様化によって長距離ドライブを楽しむ人が増えてきたため、一般道路にも誰もが24時間自由に利用できる休憩施設が長らく求められていたことや、その休憩施設を駐車場、トイレ、レストランなどドライバーたちのためだけのものではなく、その地域の文化・名所・特産物などを活用したサービスを提供し、道路利用者や地域の人々の情報交流や、地域連携と活力ある地域づくりを促進し、その地域の活性化をはかることが狙いでもある[2]。

つまり、道路設置者である国(国道)や自治体(都道府県や市町村)は、『一般道に於ける(高速道路に於けるPA/SAの様な)ドライバーたちの為の駐車場、トイレ、レストランなどを備えた休憩施設」として、『その地域の文化・名所・特産物などを活用したサービスを提供し、ドライバーたちと、地域の人々の情報交流や、地域連携と活力ある地域づくりを促進し、その地域の活性化をはかること』と『その地域の文化・名所・特産物などを活用したサービスを提供し、ドライバーたちのためだけのものではなく、地域の人々の情報交流や、地域連携と活力ある地域づくりを促進し、その地域の活性化をはかること』を目的に設置されたのだろう。

ハイウエイオアシスや道の駅併設ではない高速道路のSA/PAは、純然と『安全に長距離ドライブを行うには ある程度の距離や時間ごとにドライバーが休息することが必要である』と云う必要不可欠なサービスをのみ提供すれば事足りるのと異なり、道の駅の機能には『ドライバーたちのためだけのものではなく、地域の人々』や『地域連携と活力ある地域づくりを促進』や『その地域の活性化をはかること』が加わっているのだろう。

では、道の駅設置の目的に反するフリーライダーとは何かと云うと、現代文的解釈では「休息を目的にしない駐車」「その地域の文化・名所・特産物を知ろうとしない利用」であり、ドライバーたちのためだけのものではないとすれば「地域に貢献しない利用」もフリーライダーの誹りを受ける事になるのだろう。

それだから、道の駅車中泊者マナーを説く多くのサイト(車中泊マナー等で検索されるWebサイト等)では、仮眠は良いが長期の滞在やキャンプ行為はダメだと書かれているのだろう。勿論、持ち込みゴミの投棄やキャンピングカーの汚水の処理やトイレや洗面所施設の目的外の利用等は言うに及ばず、盗電に至ってはマナー違反ではなく犯罪行為である。

唯、多くの道の駅車中泊者マナーを説くサイトで抜けている視点は、『一般道に於ける(高速道路に於けるPA/SAの様な)ドライバーたちの為の駐車場、トイレ、レストランなどを備えた休憩施設」である道の駅の設置目的を充足させる為に、施設の営業が終わってから来場して車中泊をさせて頂き施設の営業が開始され前に立ち去るのがマナーだとして、「その地域の文化・名所・特産物を知ろうとしない利用」「地域に貢献しない利用」には無頓着に思えてならない。

道の駅は、日本の各自治体と道路管理者が連携して設置したモノ(設置者の98%は自治体)だが、施設を実際に運営している主体は、委託を受けた民間事業者やら自治体やら様々なケースが在ろう(自治体15%、第三セクター30%、観光施設管理協会、地域振興財団等の財団法人へ委託10%、JAや民間企業等への指定管理者への委託44%、等々)となっている。それらが、道の駅の駐車場、トイレ、レストランなどを備えた施設を運営している運営費用は施設の運営利益から支出される事が望ましい。だからこそ、経済学用語であるフリーライダーが問題となるのだ。

施設の運営者にとっては「ドライバーたちの為の駐車場、トイレ」の管理費・ゴミ処理費用は必要悪であり、昨今の地域経済の不活性化に起因する不景気の中で、ここの部分をフリーライダーにタダで使われる事が気になってしまうのカモ知れない。(ま、それ以前に、タダ乗りのフリーライダーに施設を汚されゴミを不法投棄され美観を損ねられ御客様の為の駐車場を占拠されている現状を打破しないと、正常な御客様の来場機会を失すると思うのだろう)

そして、これが道の駅での車中泊を許さない世論の最大の理由だが、日本人はフリーライダーに厳しい傾向が強いのだそうだ。これはWikiの受け売りだけでは無いが、Wiki日本語版フリーライダー 実験経済学上での類例の全文を引用しよう。

上述の公共経済学におけるフリーライダー論(正の外部性を有しつつ排除性を有しない財をその対象とする)とは異なるが、実験経済学での日米比較実験によると、日本人はアメリカ人と比べ、自分が損をしてもフリーライドする人の足を引っ張る傾向にある[2]。たとえば、友人と2人でアルバイトを始めるにあたり、店を選ぶ決定権が自分にある場合、自分も友人も10万円もらえる店Aと、自分は9万9千円もらえるが友人は8万円しかもらえない店Bがあれば、約1割の日本人がBを選択する。 この傾向は小学生低学年には見られなかったことから、ある程度年齢を経るにつれ、徐々に得られるものだと思われる。また日米の大学院生を対象とした同様の実験では[3]、日本の学生はアメリカの学生に比べて、自分の利益をかなり下げてでも、参加をしない相手に損をさせようとする傾向が高いという実験結果となった。そこから得られた示唆として、公共経済に対するフリーライダーのあり方にも、日本では独特の背景があるとしており、「日本の社会ではみんなで仲良く協力してコトにあたっているのではなく、協力しないと後が怖い、というところでしょうか」と結論している。


日本人社会は貧困者が貧困者を叩くスパイト(いじわる)行動が顕著である事が、道の駅での車中泊を許容できない世論を醸成しているのカモ知れない。実験経済学として,
比較された北米よりも日本人は「たとえ自分が損をしてでも、ほかの人が得をすることを許さない」傾向が強いと西條辰義(経済学者。現 高知工科大学マネジメント学部教授)が分析している。

日本人は「いじわる」がお好き?!


貧困者が貧困者を叩くスパイト行動の例としては、生活保護受給者のパチンコ問題や喫煙飲酒問題等が想起されるが、他にも生活保護世帯の学童・学生に於ける教育を受ける機会にも波及する。

この(自分自身が損をしてでも、ほかの人が得をすることを許さない)傾向の事を「囚人のジレンマ」と呼ぶ。

Wiki日本語版によると「囚人のジレンマ(しゅうじんのジレンマ、英: prisoners' dilemma)とは、ゲーム理論におけるゲームの1つ。お互い協力する方が協力しないよりもよい結果になることが分かっていても、協力しない者が利益を得る状況では互いに協力しなくなる、というジレンマである[1]。各個人が合理的に選択した結果(ナッシュ均衡)が社会全体にとって望ましい結果(パレート最適)にならないので、社会的ジレンマとも呼ばれる[2]。

この傾向こそが、島国根性(他国と交流の少ない島国に住む国民にありがちな、視野が狭く閉鎖的でこせこせした性質や考え方)なのカモ知れない。EUからの離脱を決めた英国の国民投票を左右した原動力も「たとえ自分が損をしてでも、ほかの人が得をすることを許さない」と云う「貧困者が貧困者を叩くスパイト(いじわる)行動」が原因である事を除外できない。

だから、多くの道の駅での車中泊マナーを説くサイトで忘れた事にしている視点とは、施設運営者の運営を助ける利用法を心掛けると云う視点なのだ。施設を汚さない壊さない経費を増やさないと云う視点は素晴らしいが云うに及ばず当たり前の事で、それ以外に、設置者の利益・運営者の利益・周辺経済圏の利益に成る利用法を道の駅での車中泊者が積極的に行う事で、道の駅での車中泊者はフリーライダーではなくなるのだ。

因みに、道の駅設置勘案の際して想定されている望まれる利用者1人辺りの支出額とは、地域毎に大きく幅があるが600円〜1500円である。そして、統計上から(携行する荷物が少ない?)観光バス乗客の利用額が多く、商業施設閉店後から開店前しか滞在しない車中泊利用者が最も少ない事になる筈だ。

施設運営者に望まれる車中泊旅行者とは、当然の事として施設を汚さない壊さない経費を増やさないと云ったマナーを守り、メインの御客様である観光バスや車中泊をしない旅行者や地域周辺住民が到来する時間帯には施設駐車場を占有せず1人辺り最低600円〜1500円は施設の売上に協力する人々なのだろう。

私は兼ねてから、一宿の恩義に報いるには当該施設での食事利用と土産物の購入と共に、周辺観光施設の有料利用を自らに課している。日本社会がフリーライダーを許容しない社会である事を、我々フリーライダーの立場から問題視する事は本末転倒だ。だから、施設設置者の設置目的に適う利用と共に俗に云われる車中泊マナーを守った上で施設運営者の運営の目的を充足する(売上に協力する)事を遵守すれば、キャンピングカーに依る車中泊者がフリーライダーでは無いと認識されるだろう。

RVパークや様々な車中泊駐車場を展開する国内の多くのキャンピングカービルダーやプロモーターが所属する日本RV協会主催の「くるま旅クラブ」と云った老舗の他に、様々な車関係企業や車中泊関連企業が主催する車中泊駐車場斡旋サイトが次々に誕生しつつある。くるま旅クラブのRVパークや湯YOUパーク(温泉施設の駐車場で車中泊を愉しめる制度)を幾度か利用してくるま旅の愉しみ方が大きく広がったと思っている。

新参ではCarstay(カーステイ)等が、既にWebサービスを開始している。Carstay(カーステイ)のサービス内容は同Webページ依ると「Carstay(カーステイ)は、
快適に車中泊・テント泊をして、車旅をもっと楽しみたい旅行者と、駐車場・空き地を貸して収益化したいオーナーを繋ぐシェアリングサービスです。」とある。民間の企業や個人の占有する(所有に限らない)車中泊用地とは、店舗や会社の所有する駐車場や、個人宅の庭先の空きスペースでの車中泊を、更には、企業や個人宅が別の駐車場運営会社から月極めで借りている駐車場をも車中泊用地として貸し出す事も想定しているのだそうだ。

他のキャンピングビルダーやキャンピングカープロモーター、並びに、キャンピングカーレンタル会社や大手カー用品店グループも参入して有料での車中泊場所の斡旋を画策している。一般車の駐車場に於けるシェアリングエコノミー(事前予約制格安駐車場)同様に、民間の企業や個人の占有する(所有に限らない)車中泊用地をネット予約して時間貸しするサービスを展開する様だ。


現時点では駐車場内での車中泊をグレーゾーンとしている大手コイン駐車場グループも、車中泊を前提にしたくるま旅への取り組み開始を模索していると聞く。

そして、この流れは日本に於けるマイノリティーである車中泊を前提したくるま旅を愉しんでいた人々の声に応えたと云うよりも、インバウンド需要・・・比較的治安の良い日本ならではの自由な移動手段としてのレンタカーで車中泊しながら各地を旅行すると云う要望に応えてなのだろう。その証拠に、全世界規模のキャンピングカーレンタル企業複数社が日本での営業を開始している。

一部の道の駅が車中泊者を締め出しても、少子高齢化で人口減少が進む中でも今後車中泊者は増えていくと予想され、米国の様な公共駐車場での車中泊禁止を制度化する時期は逸したと思う。だから、受忍限度を超えたから利用者側の遠慮を車中泊者を締め出すと云う道の駅施設側の対応では、車中泊旅行者の車中泊場所として認知されていた筈の施設の翻意に依り、日本全体で考えれば道の駅問題を他に押し付けたダケとなってしまうだろう。日本人(日本在住者)にも来日FIT(海外個人旅行)者にも望ましい車中泊マナーを啓蒙する機関として、今後雨後の筍の様に登場する民間組織にだけ責任を押し付けるだけではなく車中泊ブームの火付け役として第一人者的存在として、道の駅設置者側もマナーの良い施設運営に協力する望ましい車中泊者を育てる努力を怠り逃げ出すだけではなく、自らの存続も賭けて道の駅施設の設置目的に沿う活動を行うべき時期に至っていると思うのだ。



この段に及んで日本の車中泊問題は、マナーの悪い少数の車中泊者の為に多くのマナーを守る車中泊者が迫害を受けていると云う様相から、文化の違いから日本固有の車中泊マナー等想像もつかない外国人旅行者の或る意味「旅の恥はかき捨て的」な突飛な行動が引き起こすだろう混乱も加っていくだろうから、今後は益々キャンピングカーお断りの施設が増えていく事が予想される。




長い論旨不明瞭な文章となってしまったが、自分なりに論旨をまとめてみよう。



日本社会は、島国根性・・・村八分や陰口、足の引っ張り合いなどの「恥ずべき文化」を駆使して秩序を維持してきた延長として、礼儀正しい社会へと進歩してきた。だが、その本質は相手の立場を思い遣ると云うよりも「自分自身が損をしてでも、ほかの人が得をすることを許さない」との制約を自分自身と他者に及ぼした結果である。だから、道の駅問題(?)を解決に導く為には、車中泊者自身が車中泊マナーを守りフリーライダー化しない(公共財にタダ乗りしない)自制を課す事が重要だが、今後は来日FIT(海外個人旅行)者の増大が予測される事から車中泊問題を問題視する施設設置者や施設運営者の側からも、日本の車中泊慣習や望まれる車中泊者像を積極的にアピールする必要性が迫られている。




道の駅での全般の車中泊者対策の原資として、車中泊用パーキングチケットを購入しフロントガラス内側に貼り付けると云う取り組みを対応可能な道の駅で順次実施していけば良いと思う。当面、車中泊用パーキングチケットは強制ではなく任意購入方式で良いと思う。日本社会は「囚人のジレンマ」である「自分自身が損をしてでも、ほかの人が得をすることを許さない」との制約が作り上げた礼儀正しい社会である。他の方法で望ましい車中泊者を啓蒙するよりも最も日本らしいと思われる。




今後、雨後の筍の様に登場するであろう営利目的の民間組織と比べて、現在の道の駅側は割ける対策費も僅かだろう。だから、道の駅側も日本の車中泊慣習や望まれる車中泊者像を積極的にアピールする為の原資が必要となるだろう。だから、施設整備に少なからぬ費用が掛かるRVパークを徐々に増やしていく方法では全く追い付かない。現状の道の駅の駐車場のまま最小限の設備投資で資金回収を図る必要があると思う。





全国に展開するコインパーキングでは、入庫車がフリーライダー化する(駐車料金を払わずに逃げ出す)事を防止する為にゲートやフラップ式ロック装置を備えているが、駐車場設置が短期間であるとか設備投資に費用を掛けたく無い場合にはロック装置の無いパーキングチケット自販機だけを設置したコインパーキングも登場している。又、各自治体公安委員会も路側のパーキングチケット自販機での限定的駐車違反免除措置を実施している。そんな風なパーキングチケット自販機を道の駅にも設置して、車中泊利用者には任意に購入してフロントガラス内側に貼って頂く風習を開始すれば良いと思う。そのパーキングチケットには、許諾する車中泊可能時間帯(例えば、20時〜翌10時とか)を印字しておくとか、施設で使える割引クーポンを印字しておくとかすれば、「囚人のジレンマ」が発動して車中泊者は少なからず貼りたくなってしまうだろう。強制では無いので或る程度の原資が集まる迄は時間を要するだろうが、車中泊者限定の駐車場施設整備協力金的な意味合いで開始しても、マナーの良い日本人の多くが必要悪として購入してくれる筈だ。そして、最初の内は、強制では無い車中泊許諾チケットの売行きは悪くても、貧困者が貧困者を叩くスパイト行動が顕著な日本人の性質や日本社会の進歩の道筋通りの進化を経て、大部分の車中泊者が進んで車中泊許諾チケットを買う様になり、自らの選択として当該道の駅の車中泊に於ける制限や制約を受け入れ、その制限や制約に従う様になると思うのだ。但し、その料金設定はその立地及び環境に於ける夜間のみの駐車料金としての妥当な値段+α程度と手心を加えて頂きたいモノだ。





その原資で、望ましい車中泊マナーや望ましい車中泊者像や周辺の観光案内や施設への誘導を行えば、道の駅の設置目的に沿うフリーライダー では無い利用者を増やしていく事が可能となる。勿論、全道の駅規模のスケールメリットで、来日FIT(海外個人旅行)者向けにも和文対訳式の望ましい車中泊マナーや望ましい車中泊者像や周辺の観光案内や施設への誘導を行う事が可能となる。伴い、駐車場占拠が許諾されない日中にも居座る連泊車や3ヶ月も連泊する車上生活者への日本的圧力も加わり、我が国が礼儀正しい社会になったのと同じ経緯を辿り道の駅問題が解決していくと思うのだ。





何でも値上がりする昨今、『道の駅の駐車場に自動車を停めては車中泊で夜をすごし宿泊費をまるまる節約する』車中泊旅行者は肩身の狭い時代到来となるが、それを嫌って道の駅での車中泊をする人々が減ったとしても、それはそれで道の駅問題(?)の解決でもある。その問題解決の費用負担は、施設側ではなく車中泊旅行者側が負担しないと広く世論の賛同は得られないだろう。車中泊旅行を愉しむ者は、車両購入費・車両維持費・燃料代を支出している、それに加えて1人600円〜1500円程度の売上に協力出来ないのならフリーライダー の誹りは尤もだ。








2018年9月10日月曜日

浮気・・・

都道府県別・男性の特徴!浮気しがち&しない県ランキング 2018年9月9日 6時45分 愛カツ

あなたの彼は浮気性でしょうか、それとも一途?いかに女子がカンが良いと言えど、なかなか見えてこない部分ですよね。「私の彼は絶対安心!」と言える女子は、案外少ないもの。
そこで今回は、都道府県別に男性を見て「浮気しがちな県民」をランキング形式にしてご紹介致します。
さて、彼は何位にランクインしているでしょう!?

浮気しがちな県民:第5位 大分県……人見知りが激しい反面、惚れると止まらない

大分県の男子は、人見知りが激しくなかなか自分の本心を明かすことをしません。でもその反面、惚れてしまうと自分の心のブレーキが利かなくなる恐れも。遊びではなく、本気の浮気をしてしまうようです。

浮気しがちな県民:第4位 福岡県……酒も女も大好きな男が多し

福岡県の男子は、スケールが大きく酒も女も大好きな人が少なくありません。モテる男子となると、複数の女子を同時並行で付き合う強者もいるようです。
ただ、えばりんぼうなので相手から見切りをつけられてしまうケースも。

浮気しがちな県民:第3位 愛知県……ムッツリスケベが多いのが特徴

愛知県の男子は、そんなに浮気性に見えないかもしれません。しかし、むっつりスケベの傾向が強く、恋人にバレなければ女子とベッドインしても良いと思っている部分が。
比較的ウソが上手いため、浮気を見抜くのは難しいでしょう。

浮気しがちな県民:第2位 佐賀県……惚れると強引に口説きに行く

佐賀県の男子は、比較的おおらかな性格で付き合いやすいのですが、一度惚れるとかなり強引なところが。
「そんなに好きなら……」と、つい女子側も道なき恋にハマってしまうようです。好きなオンナは口説くのが礼儀だと思っているところも。

浮気しがちな県民:第1位 和歌山県……感情に素直で情熱的

和歌山県の男子は、早熟で惚れっぽいのが特徴。自分の感情に素直なため、好きだと感じたら情熱的に相手に対してアプローチすると言えます。
そのため、浮気性の人が多く、女子からすると困り者でしょう。

浮気しない県民:第5位 山口県……照れ屋で口下手、一途な男子が多し

山口県の男子は、不器用だけど心が温かいところがあり、それゆえに照れ屋で口下手な性格が多いようです。
恋人ができると、一途に愛を貫くため浮気の心配はなさそうです。ただし、女子の浮気は絶対許さないため、ある意味怖いかも……。

浮気しない県民:第4位 鹿児島県……男尊女卑な反面、家庭を大切にしたがる

鹿児島県の男子は、いまだに男尊女卑の傾向が強く、女子に対してやたらと偉そうな振る舞いをしがち。
でも、内心は女性という存在に対して“恐れ”を抱いている部分も。家庭や付き合いを壊すようなことはしないようです。

浮気しない県民:第3位 岡山県……クールで女子に夢中になることが少ない

岡山県の男子は、クールで理性的な性格の人が多く、あまり非合理的な行動をとることを好みません。
浮気をしてバレたら、かなりの痛手を負うことを分かっているため、よほどのことが無い限り他の女子に夢中にはならないはず。

浮気しない県民:第2位 香川県……腰が低く気持ちが冷めやすい

香川県の男子は、腰が低く謙虚な性格の人が多いとされます。恋愛に関しても、そこまで相手に深入りすることが無いため、浮気の心配は少なそうです。
ただ、恋人に対してもどこか冷めたところがあるため、少し寂しい想いをするかも。

浮気しない県民:第1位 京都府……世間体を大切にするため浮気しない

京都府の男子は、何事も世間体を気にするタイプ。周囲からの評判を大切にするため、浮気といったネガティブなアクションを起こしにくいようです。
でも、一途な性格というわけではなく、あくまで良いカッコしいなだけの場合も。

さいごに

ある統計によると、男性は4人に1人、女性は10人に1人が浮気をしたことがあるとされています。また、浮気性の県ナンバー1とワースト1で比べると、浮気率は4倍もの差があるのだとか。
「浮気は甲斐性」なんて言葉もありますが、女子からすればやはり浮気症の男子は許せないもの。県民性がすべてではありませんが、なるべくなら身持ちの固い男性をパートナーにしたいものですよね。
(脇田尚揮/占い・心理テストクリエーター)

##############     ここまでが引用     ##############  

占い・心理テストクリエーターの脇田尚揮さんの御高説を鵜呑みにするツモリは無いが、『浮気性の県ナンバー1とワースト1で比べると、浮気率は4倍もの差があるのだとか。』と書かれていて少し驚いた。


では、日本の浮気率とは、どの位だろうと思って探してみると・・・


びっくり!これが日本人男女の本当の浮気率・不倫率の統計




なんだか、よく分からないが、男性で約3割、女性で約2割位の人が浮気をしている・浮気をしていたとアンケートに回答しているのだそうだ。




これが多いのか少ないのかは正直私には分からないが『浮気性の県ナンバー1とワースト1で比べると、浮気率は4倍もの差があるのだとか。』との根拠は見出せなかった。







こんなブログネタを持ってきた事から、「ははぁ〜、こいつ浮気がバレたな」と云うゲスな勘ぐりは御無用に願いたい。天地神明に賭けて、私は妻帯以降に浮気はしていない。

昔々は政治家や芸能人等の著名人は不倫報道を散見しても芸の肥やしだかなんだかで許されてきていた風に思えたが、最近では著名人の不倫は許さない事になっているらしい。

その理由を探していると・・・少し古い記事だが・・・

不倫報道が必ず炎上を招く科学的理由



『人類が文明を手に入れたのは、たかだか最近の6~7000年のこと。それ以前の数万年、つまり人類史のほとんどで、我々は文明など持たずに、移動を繰り返す狩猟採集生活をしてきた。このことから、今我々が持っている「社会性」と言われるものの多くは、この頃に培われたものだと考えられる。


 現在のような複雑な社会を持たない民族を研究することによって、我々の社会性の起源を探ろうというのが、この研究の目的だ。


 論文の中で、フライとソーダーバーグは、殺人に発展するような、暴力を伴う攻撃の多くは「集団内」で起こり、戦争などの「集団間」の攻撃行動は、予想されているよりもずっと少ないことを報告している。特に興味深いのは、集団内の暴力、特に死に至るような深刻な暴力は、個人間の復讐や男女関係のもつれによって起こっていることが多いという点だ。


 米国の文化人類学者、ボームも彼の著書『Hierarchy in the Forest』の中で、人類史の中で起こった暴力の多くは性に絡むもので、特に妻の浮気相手に対し、嫉妬に狂った夫が攻撃する、というのが殺人の中で最も大きな割合を占めると述べている。


 そして、人が嫉妬を覚えるときには、脳の報酬系と呼ばれる部位の一部や、「島」と呼ばれる原始的な負の感情(嫌悪や不快)を司る部位が活性化していることが、fMRI


(MRIを使って脳活動を調べる手法)を用いた研究からわかっている。』


そして更に・・・






『このことは、学術的な研究が証明する以前から、組織や集団を維持するための「知恵」として受け継がれてきた。例を挙げよう。1963年に、それまで実態が謎に包まれていた、イタリアのシシリアンマフィアのボスが残した「血の掟(マフィアの十戒)」が明らかになった。


 その中には、「ファミリーの仲間の妻に手を出してはいけない」、「妻を尊重しなければならない」など、痴情のもつれを回避するための掟が書かれていた。


 余談だが、その他の掟も「ファミリーには真実を話さなくてはならない」、「ファミリーや仲間の金を横取りしていはいけない」など、犯罪組織の掟というよりは、非常に真っ当な道徳訓に近いものだったので、皆笑ってしまったそうである。


 マフィアという組織にとって、不倫が組織崩壊を導くほどの重要問題であることをボスたちはわかっていた。そのために最も重要な「血の掟」に記したのである。』









そして、昨今はSNSに代表される様な『ネットによって情報があっという間に共有され、匿名で言いたいことが拡散できてしまう現代では、炎上の危険性は以前にも増して高くなっているといっていい。』その結果、本人の反省を促すよりも、著名人の経済活動を支えているスポンサーの方へ攻撃の矛先が向かう様になっている。芸能人であれば、番組で採用した番組(番組制作会社)や放送局や、その番組のスポンサー企業への攻撃があるのだそうだ。


『そう考えると今の日本で、炎上しないようにする一番の方法は、いうまでもなく「不倫しないこと」である。つまらないオチだが、本当にそれ以外の方策はないのだと思う。』と纏められているが、御高説御尤もである。


でも、不倫や浮気は、絶対にバレなければ構わないとする説もある。






貴方は、如何だろうか?

2018年9月6日木曜日

ゴジラは、日本の国難の象徴



ゴジラは、日本の国難の象徴だとも云われる。





最初にゴジラが誕生した1954年の時代背景は、太平洋戦争終戦から僅か9年、その後の世界は東西冷戦に突入し朝鮮戦争は1950年から1953年、その冷戦構造がアメリカにビキニ環礁における水爆実験を強行させ、日本の第五福竜丸など多くの漁船が被爆被害にあったのは1954年3月である。当時の日本は未だ敗戦後間もない広島・長崎での被爆体験も生々しい時代に、世界平和とは縁遠い東西冷戦への突入と原爆の1000倍の威力の水爆実験に拠って、再び日本人が被爆したと云うだった現実を受け止め、旧日本軍こそが悪の権現だったと云う世論に亀裂が入り始めた時に、その日本の国難を象徴してゴジラが現れた。





その後の1984年に始まった平成ゴジラ・シリーズも、アメリカの核の傘の下で発展を遂げてきた日本だが、更に東西冷戦対立が強まりオリンピックのボイコットにも発展し、そのアメリカとも日本は自動車輸出や電化製品輸出で巨大な貿易黒字を叩き出し経済摩擦で争う事になってしまった。東西冷戦の激化の中で、頼みの綱のアメリカとの日米関係悪化と云う国難が背景にあるのだろう。





そしてバブル崩壊から10年、山一證券・三洋証券・北拓銀破綻に代表される日本経済崩壊を思い知った頃に現れたミレニアム・ゴジラ・シリーズ。





そして最新のシン・ゴジラは想定外の被害を齎した東日本大震災とそれに起因する想定外の津波と電源喪失に起因する福島原発第一の原発事故が、国難としてシンボライズされていたのだろう。更に、公開直前に発生した熊本地震が、シン・ゴジラの正体をイメージ付けた。日本を次々襲う自然災害と現代社会を維持するインフラの崩壊と云う国難なのカモ知れない。





尚、アメリカで作られたトライスター版ゴジラも従来の日本版の持つ「荒ぶる神」のエッセンスで「GOD-ZILLA」としてみたが、日本版での畏怖すべき神と云う扱いではなくハリウッド版では乗り越えるべき障害と云う扱いで突然変異種の巨大怪物として駆逐されてしまう。私的には、やはりゴジラは日本の荒ぶる神で人類を超越した畏怖すべき存在であるべきでトライスター版をゴジラとして認めない。





従来のゴジラは、「東西冷戦と戦争抑止の為の核軍備増強と云う嘘」「更なる東西冷戦激化と日米経済戦争」「日本経済崩壊」と云った人や社会の行動の結果と云う国難をシンボライズだったが、シン。ゴジラに於いては想定外の自然災害こそが日本の国難と位置付けられてしまった・・・のカモ知れない。





その後の日本は、毎年何度も何度も想定外の自然現象に拠って、その地域のインフラが破壊され住民生活が毀損される不幸な災害が続いている。





私の別ブログ過去記事には、我々の母恒星である太陽活動の低下に拠って太陽風の風圧を減少(ヘリオポーズの減少)を招き、外宇宙から飛来する銀河宇宙線(太陽系外を起源とする高エネルギー荷電粒子)の遮蔽能力低下を齎し、その結果、環太平洋火山帯での火山活動の活発化(誕生後45億年強の地球の中心核が太陽表面温度並みの熱を保っているのは地球固有の核物質の崩壊熱に由来するとされているが、それとは別に飛来する銀河宇宙線が増大する事でマントル層の温度上昇を招くとの論文があり火山活動活発化の一因とされている)と異常気象の一因である豪雨の発生確率(宇宙線が豪雨を齎す雲の生成に大きく関係しているとする論文がある)を上げていると書いた。又、地磁気の減少が、地球圏に入り込む宇宙線の総量を増やしていて、太陽活動の低下と相まって、マントル層の温度上昇と、雲の発生確率上昇を招いているとも書いた筈だ。






又、実は後世の歴史家は、今日の7〜80年間こそが気候変動や地震活動が沈静化していた時期で、これ以降は平常運転である異常気象や地震活動活発化が起きると云う意見もある。又、昨今の異常気象も地殻活動の活発化も、我々人類の持つ物差しでは測り切れない連綿と繰り返された周期律で説明可能な現象なのカモ知れない。







何にしろ、毎月の様に来襲する国難に拠って、生涯使い続ける事を想定した自宅を奪い、十数年使い続ける筈の自動車を奪い、数十年間使用される事で採算が得られる筈の社会インフラを破壊し、GDPを毀損し、インフラ整備率を低下させ、あらゆる面から我々の国民生活を脅かしている。








今後我が国を蹂躙する国難は、本日の北海道の地震で終わらないだろう。今後も異常気象の名の下に風水害被害が続くだろうし、いずれは被害総額100兆円を超えるとされる東海・東南海・南海地震のトリプルコンボも来るだろう。そして、同じく被害総額100兆円を超える関東大震災、それ以外にも地震雷火事オヤジに代表される如く日本列島は地震の巣窟だと云われ続けてきた。それが我が国固有のモノか全世界的なモノかは別として、我々日本を取り巻く生存環境は悪化しつつあるのカモ知れない。日本人は、そんな厳しい生存環境に適応し、山に豊富にある木材の軸組工法で家を作って来た。それは、壊れた家の材料で速やかに住宅再建が可能だと云う側面も見逃せない。





国土が狭く急流の短い川が多い日本列島は河川災害が歴史的に多く、白亜紀花崗岩の海洋プレートが砕けた付加体で形成されている日本列島は脆く崩れ易いだろう。そして、平成28年熊本地震でも平成30年北海道胆振東部地震でも明らかになったように火山地帯と接する地域では、上記の脆い岩盤の上に火山灰や軽石やスコリアや火砕流堆積物が堆積したテフラ層が数mの厚みで被さっていて、地震の揺れで容易に表層剥離して崩れ落ちてしまう事も明らかになった。又、高度成長期には増大する住宅用地需要を満たす為に満足な土地改良を行わず宅地造成を行った場所は数えきれないだろうし、我が家もそうだが耕地を増やす目的の干拓地を住宅用地転用を行って住宅不適地に住んでいる例も数え切れないだろう。平成26年8月豪雨による広島市の土砂災害で明らかになった様に、扇状地と云う住宅不適地に建てられている住宅は日本全国に数え切れない程存在している。何れにしても、自然に形成された地形を自然に反して人工的に形成し直す為に様々な問題点を孕んでいるのだが、それは想定を超えた自然災害に因って牙を剥く事になっている。大自然の猛威の前に人類文明が作り上げた構造物が如何に無力かは、幾度となく繰り返された自然災害とのせめぎ合いの中で、もはや明らかだ。だが、想定される災害にも備える設計もされないままで宅地として造成され販売された数も数え切れないだろう。そんな宅地が、今日まで無事でいた事の方が奇跡なのカモ知れない。





又、平成30年台風21号では民間事業所計測では最大瞬間風速82mを記録したそうだ。風速82mを時速に置き換えた時速295Kmとは、レーシングカーの最高峰F1(フォーミュラーワン)の速度に匹敵する。この速度なら大抵の物が離陸してしまうだろう。風速82mに耐え得る個人住宅を建てる事は不可能では無いがコストは莫大で割りに合わないだろう。実際、竜巻銀座と呼ばれるアメリカ中央部オクラホマ州とかでは、公共の建物は風速90mに耐える構造で建設しても、民間住宅は普通のアメリカ住宅として建設されるのだそうだ。竜巻に耐えるコストよりも壊れたら建て直す資金余力を振り向けると云う考え方なのだろう。昨今の日本でも、想定外の自然災害に対しては備えるより逃げる事を優先しつつあると思う。







風水害や津波には備えるより速やかに逃げるに勝る方策は無いが、地震に対しては、それでは役に立たない。家具の倒壊を防ぐ防災、家が倒壊しても命は救える防災、住宅建て替えに際しては今以上に安全な場所に移動する等々の、今日までは考慮されなかった防災を見直す必要に迫られているのカモ知れない。







昨夜夜中に、北海道での巨大地震の報に触れ、夜が明けると共に報道される被害の甚大さに驚いた。この地域での大きな地震は別ブログ過去記事の北海道キャラバンの際に発震メカニズムも含めて将来の巨大な地震発生の危惧を書いたが、預言者ならぬ自分には時期の予想は出来ぬモノの、多くの方々と同じく発生は予想された。だが、いつかは起こると知っていても、その被害を食い止める事が出来ないのが我々人類の宿命なのだと思う。想定外の自然災害に、事前に備える事も技術的には可能でも、コスト増や種々の制約から実施不可能だったが、複数の人の死を以って備え得る事には備えようと法律が変わり、想定外の自然災害を、想定内に取り込んで備えると云う歩みの中で、我が国の防災は進歩して来た。




だが、度重なる想定外の自然災害に、次々と備えていく事は経済発展ではなく沈滞化を招く要因にもなっていると思うのだ。自然災害に打ち勝ち人類科学が勝利するのは人類の永遠の夢ではあるが、人類の英知を超えた畏怖すべき大自然に我々人類は打ち勝つ事は出来ないのだと、実は我々日本人は既に知っている筈だ。防災への歩みを止めようと云うツモリは無いが、別の答えを探す時期に至っているのでは・・・と思った次第。


居住不適地を居住適地に変える土地改良に莫大な公費を投じるよりも、我が家も含めて宅地不適地に建っている住宅が自然災害によって壊されたら、現代の知見の中での居住好適地への移転を視野に入れるべきなのカモ知れない。更に、その被害が広域に及ぶ自然災害は、いっそのこと公的資金を投入してでも、居住好適地への集団移転や個別移転を推進した方が未来の子孫の為にもなるのでは無いだろうか?








21世紀初の関東大震災や南海・東南海・東海地震コンボでは、それぞれ1000兆円を超える被害想定が為されている。それは、もう我が国一国だけで再建可能なレベルを超えていて諸外国への援助を受けつつ我が国は最貧国への転落を意味している。そうならない為の1つの布石が首都機能移転だったりする筈だが、現在の日本国の首都機能移転候補都市は「栃木福島地域」「岐阜愛知地域」「三重畿央地域」となっているが、これの見直しを含めて我が国全体で国難に対するシフトを明確にすべきだと思う。南海トラフ地震の発生確率を、向こう30年以内に70%以上から、向こう30年以内に80%以上に引き上げられた。

誤解が無いように申し添えたいが、この数字に根拠は無い。昨今報道されるこの20年〜10年〜現在に亘って観測された各所に偏在していたスロースロップ発生が、東日本大震災やペルーの海溝型地震で観測されていたスロースリップが「アスペリティ」周辺で徐々に起きていく事からの「海溝型地震アスペリティモデル仮説」は恐らく正しいだろう。オルゴールのドラムに生えた突起物が振動板を弾いて音を出す構図は、ズブの素人の私でも海底火山の断面図(火山の根っこ)を見て20年前に閃いた。オルゴールの突起物とは逆に、火山の根っこの方が滑り易いらしいのだが、現在の科学力では現在の固着域が前回・前々回のそれと比べてどうかの評価が出来るレベルに達していない事で、当該域での過去から現在迄の発震記録よりどこがアスペリティであるかは判っても、それが何時プレートの耐力の限界に達し一気に滑るのかは全く予見不能なのである。(尚、別ブログ過去記事に書いたが、知り得る限りアスペリティを地中レーダーで探ったのは関東平野地下のマイクロプレートと太平洋プレートの同領域のみで、南海・東南海・東海コンボ地域では未実施。代わりに、深部ボーリングを実施した。いずれのケースでも今後の地震予知に役立つデータとなっても、次回発震の予測に役立たない)


だから、30年以内に70%と云おうが、30年以内に80%と云おうが、両者には然程の差異は無い。ま、80%の方が対策を急げと呼びかける効果はあるのカナ?でも、その対策を急げと警鐘を鳴らす人々は、それぞれ何を求めているのだろうか?地震畑の学者さん達は観測網の整備カモ知れないし、防災畑の方々は防災セットの拡充だろう。最悪のケースでは我が国は多国籍部隊に経済占領される最貧国に転落する危機だと云うのなら、そうならない、そうなっても少しでも救いがある筈の方向へ国を進ませるべきだと思う。


想定される最大強度で次の南海トラフ地震・関東大震災が起きるとは決まっていない。だが、そうであっても被害を最小限に食い止める事こそが国家の防災である。一般家庭では防災セットを買うよりも家具の倒壊防止に代表される発震時の受傷防止に努めるべきだが、国家のすべき事は、つっかえ棒を充てがう事では無いだろう。