2015年6月17日水曜日

憲法

私がTwitterでフォローしている方のリツイート(ReTweet)で知ったのだが、憲法学者が安倍政権による憲法解釈の変更、及び、憲法改正へ違憲を掲げた事に不満をお持ちの方も多いのだそうだ。戦後から今日までの我が国防衛体制である「専守防衛」で、もはや我が国防衛が万全では無い事は共産党だって国会審議で認めている。

閣議決定に依る集団的自衛権への容認が憲法9条に反するか否かを、私は論じるツモリは無い。私自身は、我が国に依る集団的自衛権の行使が憲法9条に違反しているとは思っていない「口」なのだが、それでもそれを我が国行政の最高機関である内閣が従来の憲法解釈を変更したり、憲法改正を行おうとする事は憲法違反だと思っている。

その理由は、当ブログ過去記事「憲法改正論議 2013年5月26日日曜日」に書いた通りである。

憲法とは、憲法を尊重し擁護する義務を負う「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」を動かす基本命令である。我々一般の国民は、直接的に憲法の制限を受けていない。公務員さん達が、我々一般国民の自由権を法の名の下に制限してくるのは、公務員さん達を憲法が制御下に置いているから出来る事だ。アシモフらが提唱したロボット3原則に等しく、我が国主権の在する国民が、公務員を制限する為の唯一の安全装置なのである。

過去記事でも何度か扱ってきた「進化した人工知能」ネタでは、ロボット3原則の解釈変更や原則改正を人工知能に委ねた瞬間に、人類は「進化した人工知能」の支配下に落ちる。

イソップ寓話「ネズミの相談」では、結局どのネズミも猫の首に鈴を付ける事に名乗りを挙げる者は居なかった。太平洋戦争の前でも戦争突入を全日本国民が諸手を挙げて賛成した訳では無かった筈だ。別ブログ過去記事「根本問題 2012-02-22 19:51:49」に書いた通りだが、日本人が好む「早い話」にはトンだ裏がある。 

そもそも我が国が開戦した先の不幸な太平洋戦争の責任が誰にあるのだろうか?

東京裁判で裁かれた戦争犯罪人とされた方々の責任を負うだけでは済まされない問題が歴然と残っている事を忘れてはならない。非常事態の名の下に、法を曲げ国家を戦争に突入させるグレートリセットに抗う事が出来なかった国家体制こそが悪なのだと思う。

ナチスに戦争責任を委ねたドイツ国民と同じく、我が国は国家体制こそを悪として戦争責任を免れた。そして、開戦前の日本国民には付ける事が出来なかった鈴がアメリカに依って付けられている。この鈴を、猫自身に依って自由に鳴る鳴らない感度調整(解釈変更)や、鈴自体を自由に造り替える許諾を与えてはならないのだ。これを守る事こそが、我が国が先の不幸な大戦で学ばなければならない事だったと思う。

戦後70年経ち、自衛権に関する解釈に限らず、既に現行憲法が時代遅れと成りアップデートが必要な時期に来ている事は正しく本当だと思うが、それはネズミの相談に依って行われるべきなのだ。安倍政権は、政権による憲法解釈変更と憲法改正を否とした憲法学者に逆に聞いてみるべきだ「どうすれば、憲法解釈と憲法それ自体をアップデート出来るか?」と・・・。

今国会中どころか、今期中には無理かも知れないが、「百年河清を俟つ」迄もなく来期中には可能となるカモ知れない。ジックリと慎重に時間を掛けて進めるべき問題を「早い話」で済ませるベキでは断じてないと思うのだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿