ネット上の情報を鵜呑みにするのもアレだが、想像しているより多い割合で不倫が行われているらしい事が判った。昔と今を比べてもみたかったが、そう云う都合の良いデータは見つけられなかった。だが、単なる想像だが、昔より今の方が不倫をする人が増えているのでは無いかと・・・思うのだ。
私自身の考えは、政治家にしろ芸能人にしろ「仕事をきちんとやっていて、才能もある」ならば、不倫は悪いことだけれど、社会があまり糾弾するのはよくない、と思っている。勿論、その政治家や芸能人の配偶者や家族なら厳しく糾弾しても構わない、と思っている。その不倫した人の縁者でも無い他人である一般人が、何故、被害者である縁者に感情移入しなければならないのかが判らない。
昔は「芸の肥やし」や「不倫は文化」とかナンダカンダと言い訳をつけて暫く自主謹慎をしたら翌週か翌月には普通にTVに登場していたりしたモンだ。それが良いのか悪いのかは私には判らない。だが、そんなモノでは無いかと思うのだ。
亡父の武勇伝ならば、ワイシャツに着いた口紅を母に咎められた亡父は、翌休みの日には朝から晩まで庭の草取りをして過ごしていたが、翌週には何事も無かった様に普通に過ごしていたモノだ。
それが今では、政治家なら所属する政党からの離党や議員辞職、芸能人ならCMからの降板、TV番組降板やTV番組撮り直し、映画の撮り直しと云う話になっている。
不倫って、人間の原始的な感情に火をつける出来事からなのか、それ以外の悪い事との悪さのレベル判断に影響が及ぶのカモ知れない。そんな論文が「サイエンス」にも掲載されたのだそうだ。又、シシリアンマフィアの血の十戒では「ファミリーの仲間の妻に手を出してはいけない」、「妻を尊重しなければならない」等の痴情のもつれを回避するための掟が書かれていたそうだ。
昔々は、例えば・・・ミッテラン・元フランス大統領は、大統領時代に複数の愛人がいたそうだが国内でも国外でも誰も問題にしなかったのだそうだ。我が国でも大物政治家は愛人宅に入り浸る事も有名で番記者なら承知の上だが、それがスキャンダルになる事は無かったそうだ。
最近は政治家や芸能人の不倫に厳しい社会になったと思うが、それはスマホの普及や掛け放題の普及に依りお手軽簡単に効果的な苦情の矛先を多くの市民が手にした事が原因なのだと思う。当の政治家や芸能人に言っても効果が無いだろうし、当の政治家事務所や芸能プロダクションに言っても効果が無いだろうが、政党本部や採用しているCM採用や提供するスポンサー企業のお客様相談センターに苦情の電話を入れ続ければ番組降板やCM降板等にインスタントに繋がってしまうのだそうだ。(その背景に、スマホの普及によりSNS利用の増大や、掛け放題の電話等があるのだろうが)他人の不倫に覚える怒りを、行使する力を得た一般大衆を侮れなくなっているのだろう。
不思議だ・・・一般人も比較的多くの割合の人が不倫をしている事になっているらしいのに自らの不倫を顧みず他人の不倫を厳しく追求するのは理解に苦しむ。だが、そんな現代に於いて意に沿わぬ炎上を防止する為には、不倫はしない事に限るのだろう。
だが、当初の疑問・・・「何故、現代の日本の一般大衆は、政治家や芸能人の不倫に激しい怒りを感じて、昔には存在しなかったツールを使って社会からの粛清を強要する様になったのか?」・・・への答えには遠い。
思いつくのが、現代の日本人のモラルが向上した事だろう。モラルが向上した事で、今まではモラル違反として糾弾していなかった些細な事が気になる様になったのでは無いだろうか?犯罪が減る事で、従来は犯罪だとはしなかった触法行為や誤魔化しへ怒りの目を向ける事で更に犯罪を抑制しようとする社会になりつつあるのだろう。従って、治安が向上しても新たな迷惑行為を糾弾する社会だから、新たな軽微な過ちが罪として糾弾される事が続く訳だ。
最近の日本人のモラル感は、端的に言えば「人に迷惑を掛けない事」に尽きるだろう。昔人間の私は、多少の迷惑はお互いさまだと思うズボラな男だが、最近の日本人は「人に迷惑を掛けない事」を最優先するのだそうだ。
いや、少し違うか?自分の事を知っている人々に対して「自分は人に迷惑を掛けても平気な人では無い」と認識して貰いたいと言い換えた方が良いだろう。だから、つまり、人に迷惑を掛ける事は罪として糾弾しても良いのだ・・・・と成るのだろう。
最近では、衣類の生乾き臭や口臭等の気をつければ軽減出来る迷惑だけではなく、加齢臭や集積場に運ぶ生ゴミ臭まで気を配る必要があるらしい。勿論、列車内の飲食も然り。加熱式焼売弁当は云うに及ばず、列車内では匂いの強い食品は御法度らしい。(新幹線に乗る前に、DAIMARUで旨そうなカレーライス弁当を買おうとして同行者に止められた事がある)
・・・と、ここまでは長〜い前置きで・・・
元記事消滅に備えて、上記ページから記事文章を全文引用させて頂きます。映像は引用せずにおきました。
18日午後8時ごろ、福岡市地下鉄七隈線の別府駅。列車内でドアのそばに座る男性が、非常通報ボタンを押した直後の映像です。
ボタンを押した理由、それは・・・。「咳をしているのに、マスクをしていない人がいる」。隣の男性がマスクを着けずひどく咳をしたことから、非常通報をしたといいます。
舌打ちするマスクの男性を周囲の乗客は非難します。しばらくすると、駅の係員らが駆けつけます。
福岡市交通局によりますと、ホームに降りた2人は、その後和解をしたということです。
確かに、マスクもせずに激しく咳き込まれる乗客と列車に乗り合わせるのは嫌だなぁ〜とは思う。だからと云って、非常通報ボタンを押して列車を止めてしまうと云うのはヒステリーが過ぎると思う。このニュース引用先ページの動画の通りの混雑具合ならば、嫌なら咳き込む人から離れて別の車両に逃げれば良いのでは無いだろうか?と思ってしまう。
兎に角、他人の迷惑行為を放置出来ない人が増えている証だろう。記事にはしなかったが、某道の駅でアイドリングのまま仮眠しているトラックのエンジン音がウルサイからと周囲でエンジンを止めて仮眠している車の人を次々に起こして回って、数を揃えて皆んなで抗議に行きましょう!と就寝中に起こされた事がある。『迷惑なのはオマエだよ!」と口からは出かかったが、5〜6人がエントランス前に立っているので穏便策として「トラックの運転手さんが荷物を運んで下さっているお陰で我々は今の日常生活を過ごせているのだからお仕事トラックのアイドリングは許してあげましょうよ。駐車場はガラガラに空いているのだから、もっと離れた所に駐めたら音は小さくなりますよ。」と煽動していた先頭の方に告げたら後に従っていた数人の車中泊をしていたらしい同調者の方々もそうだそうだと引き揚げて行かれた事がある。
兎に角、他人の迷惑行為を放置出来ない人が増えている証だろう。面識もある知人からSNS上で、迷惑行為をする車を晒すSNSグループを作ったので入りませんか?と誘われた事がある。身障者用駐車スペースを使う健常者の輩とか、迷惑駐車する輩とか、他人(特に弱者と云われる人々)に迷惑を及ぼす輩を晒して社会正義を為しましょうと云う趣旨なのだろう。(当然、登録番号標等はモザイク処理はするツモリなのだろう)だが、個人の特定の難易度を上げてでも、迷惑行為を行う車を晒す行為は名誉毀損に該当するだろう。
事実の公開を以て他人の評価を下げたら名誉毀損である。しかし「犯罪」の告発ならば名誉毀損に問われない場合がある。この場合、公開された事実が本当の事であるか虚偽であるかは名誉毀損の要件では(実は)重要では無い。つまり、本当に迷惑行為を行っていても、その事実を晒して他人の評価を下げたとしたら(勿論、犯罪事実や迷惑事実の重大さは考慮され罪は軽くなるだろうが)名誉毀損は成立する。
その行為が重大な犯罪行為で有れば名誉毀損は免責されるだろう。但し、私設駐車場の身障者枠を占拠したと云う迷惑行為は犯罪では無い。施設設置車の意向に反する無断駐車、目的外駐車を刑法130条不法侵入に該当させるのは結構面倒な手続きを要する。公益性が高いと免責される可能性が高い。(スーパーやモールで、身障者枠に駐車した不法駐車を警察に告発する様になれば公益性が高いと判断されるだろう)
この行為を為した者が罰金刑以上となる犯罪なら許容される可能性が高い。未成年者の喫煙は、未成年者本人には喫煙してはいけないと云う法律が無いので当人は犯罪者では無いので、もしもSNSで晒してしまうと告発ではなく名誉毀損となるだろう。同じく、不倫も同じだ。不倫をしてはいけないと云う法律が無いので名誉毀損となるだろう(議員さんや芸能人なら公益性が高いのだろうが・・・)。
それと、SNS上で犯罪告発を行う場合は、面白がって晒したと判断されると名誉毀損だと判断される可能性が高いので、公益性(皆んなの利益の為に)行ったと云う姿勢を貫かなければならない。投稿グループだと、1人2人が面白おかしいキャプションを付けて投稿した投稿にイイネを押した時点でアウトだ。やはり投稿グループを組むのではなく、自ら自身のリスク判断で告発投稿は行いたいと思った次第。
迷惑行為にも色々ある。
(1)「法律や明文化されたルールに違反した行為」
法律違反は犯罪だが、その施設等のローカルルール等でも同じだろう。発電機禁止と書かれたキャンプ場で発電機を使うのは犯罪では無いが、明文化されたルールに違反した行為だ。電子レンジ調理が済むまでのたった5分だけ使うと云うのもダメだろう。道の駅や高速SA/PA等で、車外にアウトドアファニチャーを出して寛いだり調理したり休憩・仮眠以上の行為をする事はルール違反だろう。
(2)「ルール化されてはいないが、自分自身に実害が及ぶ行為」
道の駅で仮眠をしていて、何かの拍子に車の盗難防止アラームが鳴り響いている事がある。1度や2度なら間違いは誰にでもあるさと思えるが、5度も6度も続くと苦情の一つも言いたくなってくる(でも小心者なので、様子を見に行くカモ知れないが苦情は云わないと思う)
(1)と(2)は間違いなく迷惑行為だと思うし、自分自身や家族が困るのなら止めて欲しいと言いに行くのも良いと思う。その前に、私は離れた所に移動すると云う選択肢を先ずは試すかな。九州キャラバンの途中に睡魔でヨレヨレのまま道の駅の駐車場の片隅で仮眠していたら走り屋さんが駐車場でドリフト走行を始めた時は、一番隅っこに移動した。隅っこでもウルサイのはウルサイが、彼らが気を利かしてくれてか数分で出て行った。
但し、この迷惑行為を自分で罰する事は出来ない。自力救済禁止の原則である。実は、自力救済を禁じる民法の規定は無いのだが、近代法体系を維持する為には自力救済禁止の原則は不可欠で、あらゆる判例・通告が自力救済禁止の原則にたっている。
こうした行為を容認すると、実力行使できる方が有利(力が正義)ということになる。こうなると、腕力・武力・地位などで権利回復の度合いに差異が発生する。また私刑を行う用心棒や自警団など実力行使を請け負う私的機関がはびこって社会秩序の維持が難しくなる。またマフィアや暴力団などが市民を警護する対価として金銭(みかじめ料)を徴収するなど、非合法組織の資金源ともなってしまう。司法制度や警察組織が整備される以前には、警備員を自力で雇用できる貴族や裕福な者以外は地域や職能団体で金銭を集め組織に対価を払うことで自己防衛を図っていたが、侵害された権利を回復するためには実力に訴えざるをえなかった(たとえば、古ゲルマン法のフェーデ)。宗教団体は信徒や巡礼者を保護するために僧兵のようなウォリアーモンクを動員し自力救済を行っていた。ウィキペディア(Wikipedia)日本語版「自力救済」より抜粋
そして問題は、次の(3)(4)だ。
(3)「ルール化されてはいないが、他人に実害が及ぶ行為」
(4) 「実害はないが他人に不快感を与える」行為
兎に角、他人の迷惑行為を放置出来ない人が増えているのだろう。これを貴方が何とかしなければならないと考えるのは少し待つべきだと思う。
日本人は他人への配慮を重視する国民性と云うか、「他人に迷惑をかけること」に関して大変敏感なのだと思う。
自分自身も「他人に迷惑を掛けない事」を生活信条にしているツモリだが、それでも様々な機会で、私自身は意識もしなかった迷惑行為を行っていた事を気が付かされている。
一昨年の梅雨時にネット上で傘の迷惑行為が色々と挙がった。曰く、「傘を水平にして持って歩くのは周囲の人に危険を及ぼす」「周囲の安全を確認せずに傘を開く」「傘がびしょ濡れのまま持ち歩かない」「傘の水滴を飛ばす時は周囲を確認する」「傘をさした者同士がすれ違う時に相手に配慮しない」等々の迷惑行為が挙がったが、大体は配慮していたツモリだったが「傘を水平にして持って歩くのは周囲の人に危険を及ぼす」は目から鱗だった。田舎住まいの田舎者なので滅多に濡れた傘を持って人混みを歩かないので特に考えた事は無かったが、子供の目に近い高さに危険な傘先を持ち上げる危険性は買い込みを見て初めて認識し、以降は気を付けようと思った。
もし私自身が、傘の水平持ちで小さな子供を連れているお母さんに危険性を指摘され叱られたら、前を歩く方を誤って傘先で突いてしまったら、「スミマセン、次からは気を付けます」と素直に言えたと思うが、無関係の人に叱られたら素直では無い私はどう思うだろうか?
「もっと周りの人に配慮するべき、周りの人はこんなに迷惑しているのに何故気がつかないのか?」と云う怒りは、もしかして「もっと私に配慮するべき、私はこんなに迷惑しているのに何故気づかない?」と主張している事に等しいのだ。
私自身も「他人に迷惑を掛けない事」を生活信条にしてきたが、様々な局面で配慮不足や知識不足から多くの人に迷惑を掛けていたのだと思う。これは私だけではなく、恐らく誰だって様々な局面で配慮不足や知識不足から多くの人に迷惑を掛けているのでは無いだろうか?
つまり、社会で生きている者同士、迷惑を掛けたり迷惑を掛けられたりし合っていて、「おたがいさま」なのでは無いだろうか?社会正義を貫き他人の悪(迷惑行為)を挫き弱きを助ける生き方は、それは素晴らしい生き方だと思うが、自分自身は誰にも迷惑を一切掛けていないと云う人は居ない筈だし、自分自身が他人に掛けている迷惑は認識しない場合も多いだろう。だが「おたがいさま」と云う意識を持って、他人の迷惑行為も許容する寛容さを持たないと、もし貴方自身が一方的に被害を受け続けている風に思ってしまったら、この世は辛く生き難い世界になってしまうと思うのだ。
他人の行為が迷惑だと腹が立つ時、それは過去に由来する何かの理由が自分の中にあるのだろう。だけど、今は、その過去では無い。ウルサイと思うなら静かな場所に移動すれば良いと思うし、他人の咳が気になるなら咳の影響が及ばない範囲外に逃げ出せば良いと思うし、目障りで腹が立つなら見えない場所に移動すれば良いと思う。貴方の腹が立つのは迷惑行為をする他人に原因があるのではなく、貴方の中にしか原因は無いのだが、なかなか気が付けないモノだ。
他人の行為が迷惑だと腹が立のは過去の経験に自らが縛られている事、自分自身を縛るルールを他人に勝手に押し付けて他人の行為が迷惑だと腹が立のは自らのルールに縛られて自分も自由では無いと云う事だ。
自分は自由で在りたいと思うのと同じく、他人だって自由で在りたいと思っている筈だ。自分はあらゆる時に様々な方法で自分を正当化して自分だけは正しいと思っているのと同じく、他人だってあらゆる時に自分は正しいと思っている。自分の自由を尊重するのなら他人の自由も尊重すべきだと思うし、自分の正しさを主張したいのなら他人の正しさを許容すべきだと思う。
他人を裁くと云う事は、自分の正しさを前提に他人の正しさを損ない、自分の自由を他人の自由より優先する事である。
政治家や芸能人の不倫に厳しいのも案外同じ理由カモ知れない。