2013年11月28日木曜日

丙子胡乱

丙子胡乱は、明との蜜月的な属国関係に在った李氏朝鮮が、急速に勃興した後金(後の清帝国)に逆らった結果、清帝国が朝鮮に攻め入り占領された戦争の事で、その後は明代と異なり厳しい占領下政策に苦しんだ契機となった。後に、日清戦争に勝利した日本に拠って大韓帝国として独立(形だけの独立と云われるカモ知れないが)を果たした。李氏朝鮮以前は建国から漢民族の支配下にあった高麗に朝鮮半島は統一されたが、中国をが統一すれば宋の、契丹が侵攻を行えば契丹の、宋が契丹と闘えば宋の、契丹が優位に立てば契丹の、契丹が女真を制圧すれば朝鮮も女真を占領していたが女真軍に敗れ女真が興したの属国となっていた。



兎に角、国の歴史の大部分が宗主国から冊封を受けた朝貢国に甘んじてきた大韓民国は今や温故知新としてか丙子胡乱ブームなのだそうだ。



1945年8月15日に日本が連合国に敗れたが、急遽参戦したソ連が日本併合下の朝鮮半島北部を日本の敗戦後も侵攻を続けていた為に、反共を掲げていた米国はソ連の急速な進軍で朝鮮半島全体が共産主義に落ちる事に危機感を感じソ連に対して北緯38度線を境に南北朝鮮を分割占領する事を提案。ソ連は提案を受け入れ、北緯38度線を境に北側はソ連が占領統治し、南側は米国が占領統治する事となった。その後建国された北朝鮮が建国されたばかりの中華人民共和国の助けを借りソ連から武器の調達を受けて38度線を越え大韓民国へ侵攻を開始したのだ。これを日本では朝鮮戦争と呼んでいる。尚、朝鮮戦争についてはwikipediaを読み返す事をお薦めしたい。どうも何処かの国と何処かの国の歴史認識とは大きくかけ離れているので・・・



兎に角、反共の砦として大韓民国を守り続けてきた恩義は在るモノの弱体化が見え隠れする米国と、急速に国力を強めつつ在る中国、昇る中国と沈む米国のどちらの威を借りようかと云う選択に迫られているのだろう。明の恩義に遠慮して清に逆らった時と同じ失敗を犯すなと云う声が高まっているのだろう。



最近の大韓民国は米中間での二股外交を目しているのだろう。今の大韓民国大統領朴槿恵の父は朝鮮戦争終結後間無しに軍事クーデターを起こして軍事独裁権威主義体制を樹立した人物でこの独裁政権は民主化運動の高まりで側近のKCIA長官に暗殺されるまで17年続いたのだが、大韓民国大統領に就任する否や日韓基本条約を締結して日本との国交を正常化し11億ドル(当時の1ドルは360円)の経済協力金をせしめ「漢江の奇跡」と云う経済発展を遂げた。強権政治を敷き民主化を阻み終身大統領として自身の権力を死ぬまで保持しようとした独裁者では在ったが日本を上手く操って投資を引き出し経済を大きく発展させた功績を認める人も多く歴代大統領人気投票では堂々の第一位なので、暗殺された彼の娘である朴槿恵が大統領に選ばれたのは経済発展を成し遂げた父に肖ろうとしたのだろう。娘である朴槿恵は、父の最大の欠点で在る親日派を気取られる事なく卑日に勤しんでいる。



そんな朴槿恵大統領も短期間では経済発展で成果を挙げられず折からの丙子胡乱ブームに煽られた結果、「米中二股外交+卑日」を外交方針に据えてしまった。米国には北朝鮮を抑えて貰いたいし、卑日政策の成果として日本にギャフンと言わせる為に中国との接近が不可欠だ。しかし、これでは「卑怯なコウモリ」と云うイソップ寓話の様だ。但し、この路線でいつまでも米中が機嫌良く欺し通せるとは思ってはいまい。そんな事は、宋と契丹で二股政策を演じた挙げ句何度も何度も寝返り続けた高麗時代末の歴史を紐解けば判る筈だ。米国のMD構想参加を迫られて困った時も、日本が従軍慰安婦問題を謝罪しないから参加出来ないと卑日に逃げた。日米韓の防衛協力構想を迫られた時も日本が歴史認識を改めないから参加出来ないと卑日に逃げた。この次は、何が何でも日本が嫌いだから参加出来ないと言い訳するのだろうか?




丙子胡乱と、高麗時代末の宋と契丹の間で寝返り続けた歴史を反省すれば、韓国に残された途は独自に核武装して米国の傘から離脱する事なのカモ知れないが、その機を北朝鮮が見過ごすとは思えない。何故なら、大韓民国と北朝鮮は国境を境に隣接し合った国同士と云う関係で在った事は一度も無く、朝鮮半島と云う1つの領土上に2つの政権が存在すると云う状態が続いている。彼の国の歴史を紐解けば、何でも有りなので大韓民国が一足飛びに核保有国になる禁じ手として南北が融和され朝鮮半島の民族統一が為されるのカモ知れない。



窮鼠噛猫(きゅうそごうびょう)とは恐ろしい。

0 件のコメント:

コメントを投稿